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妹だった子に告白されたので、とりあえずチョップした

作者: 昨夜名月

「兄さん。好きです。ずっとずっと好きでした。大好きでした」

 目の前のユーマが言った。いつもの眠たげな目が、この時ばかりはしっかり開いていて。らんらんと瞳が輝いている。


 俺はとりあえずそんなユーマの頭にチョップをくれてやった。ビシっとね。

 あうっ、とユーマがうめいて、俺のチョップがヒットした前頭部を押さえる。

 わけがわからない、という顔で俺を見る。

 それから両目にジワっと涙が浮かぶ。


「ヒ、ヒドイわ、兄さん。勇気を振り絞って告白したというのに。こともあろうにチョップで迎え撃つだなんて。鬼畜、外道の所業よ」

 元義母とそっくりな美人が顔を歪めて、ののしる。ののしる。


 元妹から告白されたからチョップしておいた。

 こう聞いただけじゃあ、訳が分からないかもしれない。うん、俺も第三者だったら、なに言ってんだコイツってなるかもね。


 というわけで、ちょっと状況を説明していこうか。


 まずは自己紹介。俺は木野和太キノカズタ、二十六歳、会社員。彼女なし。趣味は映画鑑賞。あとゲーム。現在一人暮らし。


 目の前で俺にクズだのカスだの罵声を浴びせている、コイツ。枇々木由麻ひびきゆうま、二十二歳。無職。元ヒキコモリ。なぜか臙脂色のブレザーにグレーのチェックのスカートという女子高生姿。長い黒髪が腰までどころか尻まで伸びていて。前髪は自分で切ったのだろう眉のところで切りそろえている。

 唇の右端から五ミリあたり離れたところにあるホクロがチャームポイントらしい。本人の言うには。

 あっ、知ってる? 口元にホクロがあると食べるのに困らないんだってさ。


 こいつ、ユーマは俺の元妹だ。

 正確に言うと義理の妹だったということなんだが。

 俺が三歳の時に両親が離婚した。生前の父から聞いた話しでは母親は結婚前から浮気しており、結婚後もしっかり不倫していたらしい。俺が父、木野一也きのかずやの本当の子かも、実はかなり怪しいんだとか。結局、DNA検査はしていないから、今となってはわかんないんだけどさ。


 離婚後、父一也は実家に戻り、そこで両親(俺に取っては祖父母)の助けを借りつつ、俺を育てた。

 そんな父が再婚したのは俺が十二歳の時。

 俺にとっては実の母親の顔も覚えていない。祖母が折に触れて、あんたの母親はねえ~、なんて愚痴っていたから、まったく愛着もない。

 だから元義理の母、みやびさんを紹介されたときは、おおっ、て素直に感心したね。

 だって雅さんは当時二十八歳。しかも清楚系美人。父一也が当時、四十歳だったから、スゲーじゃん、親父、こんな美人と付き合ってんだ、なんて感動。


 雅さんはシングルマザーだった。

 その娘がつまりユーマ。俺の元妹。雅さんを紹介されてから、しばらくしてそれぞれ子供を連れての四人での食事会。

 そこで俺は初めユーマに会った。長いサラサラの黒髪の眠そうな顔の不愛想な女の子。真っ黒い瞳で、ジーとひたすら俺を見てた。


 その半年後に父と雅さんは結婚。

 何度目かの四人での食事会で、それを告げられた時、あっ、ついにか、と思った。

 それはまあ子供ながらに分かるさ。俺なんて、ちょっとひねくれた頭でっかちなガキだったし。


 へえー、じゃあ、この人が俺の母親になるのか、と緊張した顔で俺をうかがう雅さんを見た。

 なぜか顔がカーと熱くなった。その理由に気づいたのは、もうしばらく後だったけど。


 四人で住み始める。

 雅さんのマンションに俺たちが転がり込んだ形。雅さんの元夫の実家がかなりの資産家で、養育費と慰謝料代わりにマンションをくれたらしい。


「由麻とこの部屋が残ったんだし。まあ、悪くない結婚だったんじゃないかしら」

 なんて雅さんは自嘲してた。元夫には未練なんて、まったく欠片もないらしい。


 そこから義理の母と妹との生活。これがすごく居心地が良くてね。

 雅さんの性格がカラッとしてるおかげってのもあったんだろうけど。ユーマは相変わらず、不愛想で最初の頃はぜんぜん懐かなかったんだけど。

 いつの間にか、俺にくっついてくるようになってた。四歳差って年齢もちょうど良かったのかもしれない。

 俺がユーマを守ってやるんだ、なんてちょっとうぬぼれちゃったりして。思春期の男の子って、そういうヒロイックなことに憧れるんだよな。


 お互い最初のパートナー選びに失敗して、再チャレンジで良縁をつかんだ父と義母。だけど、その家庭は長くは続かなかった。

 俺が高校生二年の時に父が死んだ。大腸ガン。えっ、マジかよ、てくらいあっさりと死んでしまって。

 俺には反抗期みたいなものはぜんぜんなかった。たぶん、出来立ての家庭が壊れないように必死だったんだと思う。だから、父さんとも仲良かったし、尊敬してた。


 夫を亡くした雅さんだったけど、つい二年前まで戸籍を戻さず木野性を名乗り続けた。もし、俺がしつこく勧めなければ、ずっと戸籍を戻すことをしなかったかもしれない。


 だって雅さんはまだ四十台前半。実年齢よりもずっと若く見えて、三十台前半だっていってもバレないくらい。おまけに美人。

 恋愛だって再婚だってできるだろう。

 ただでさえ、ユーマというヒキコモリのコブがいるんだし、これ以上のしがらみを持つべきじゃないって思ったんだ。


 本心を言えばちょっと寂しかったけど。

 俺は大学に進学したのを機に家を出て一人暮らししてたし。

 まだ、祖父母も元気だから介護をする頃には俺も一人前になっているだろうし。


「そうねえ。もし私になんかあったら、カズ君がユーマの面倒を見ることになるし。さすがに申しわけないわね」と雅さんはそっちを気にしたらしい。


 ちなみにユーマが部屋にヒキコモルようになったのは彼女が高校生になった直後。

 高校生活が始まって一週間後にズル休みを始め。その一週間後にヒキコモリ始めたらしい(俺はもう家を出ていたから雅さんから聞いただけだが)。

 ただ、ヒキコモリとはいっても別に部屋から出ないわけではなく。普通にフラフラ、リビングに現れる、夕飯は一緒に食べたらしい。

 ただ、基本的に部屋にコモっているので、ただの不登校というよりはヒキコモリっぽかったそうだ。


 俺は一人暮らししているとはいえ、ちょくちょく家には帰っていた。雅さんたちが枇々木に戻った後も、それは変わらず、二ヵ月に一度くらいは顔を出すようにしてる。

 ユーマは俺が帰ると、リビングに顔を出すことが多かったので(着ぐるみっぽいパジャマに、髪の毛ボサボサのひどいかっこうでな)、そんなに心配はしなかった。


「兄さん、次はいつ会えるかしら?」


「来月、父さんの命日だし、雅さんと墓参りするつもりだけど? なに? お前も来る?」


「馬鹿ね、兄さん。私が外に出るわけないじゃない。一歩、外に出ようものならば、恐怖でオシッコを漏らしてしまうわ」


「じゃあ、別にいいけど。とりあえず、風呂入ったら? 最後に入ったの、いつ?」


「馬鹿ね、兄さん。そんな昔のことは忘れたわ。でも、そうね、私の名誉のためにこれだけは言っておこうかしら。たぶん、三ヵ月前には入っているはずよ」


「あのさ、前から気になってたんだけど。そのクール系っぽいキャラづけやめたら? 痛々しいから」


「あら、兄さん、これは仕方がないわ。知性がにじみでてしまっているのだから」


「黒歴史になるだけだと思うんだがなあ」


「ふふっ、兄さんたら本当に心配性ね」


 と、まあ、こういう感じの痛々しいやつだったわけだ。

 いっとくけど、こいつ、図太いからね、すごく。メンタル、防弾ガラスだからね。

 ヒキコモったのだって、繊細さからじゃないから。


 話を戻そう。

 とにかく、二年前に俺と雅さん、ユーマ親子との戸籍上のつながりは切れた。

 だから、二人は元母で元妹になったわけだ。

 その元母、雅さんから恋人ができた、と聞かされたのは三ヵ月前。元母だからというよりも、ちょっと個人的な理由で複雑な気持ちになったけど。もちろん、祝福した。

 雅さんには、ぜひ、幸せになってほしかった。これは本心。


「それでね。私、家を出ようと思うのよ」


「えっ。そうなの? ユーマはどうすんの?」


「それよ。ほら、あの子、すごく図太いじゃない。私がそばにいたら、一生、グータラしてると思うのよ。もう二十二なんだし。

そろそろ自立していかないと」


「つまり、荒療治をすると」


「ええ。ゆくゆくはあの部屋も引き払うつもり。あの子の口座にはそれなりの金額が入ってるし。慎ましく暮らしてけば十年くらいは大丈夫でしょう。その間になんとか暮らしのメドをたてるんじゃないかしら。もちろん、私が存命の間は、フォローするけどね」


 さすがに誰も食事を作ってくれないとなったら自分で動くしかなくなるだろう、と雅さんは考えたのだ。

 人間、飢えたら動かざるをえない、と。


 そして、先日、雅さんは部屋を出て、彼氏と同棲を始めた。長い長い書置きと、ユーマのために貯めた八ケタの貯金が入った通帳とカード、そして現金百万の入った封筒を置いて。


「ユーマから電話があったけど、着信拒否しといたわ。ひょっとしたら、カズ君の方に電話するかも」

 なんて、昨日の夜、雅さんからレイン(超メジャーなSNS)があった。


 だから今日あたりユーマから電話があるかと思っていたんだが。彼女は電話をよこさずに俺の部屋に直接来やがった。

 例の女子高生の姿でさ。


 仕事から帰ったら、部屋のドアに背中をあずけて、足を廊下にだらんと伸ばして座っている女子高生が目に入ったわけだ。しかも、でっかいイビキかいてるのな。

 最初、行き倒れの女子高生かと思ったわ。

 それか、デリヘルの女の子が部屋間違えてるのか。


 で、近付いてみて、ああ、コイツだったか、と分かったわけだ。あんだけ、外に出ようとしなかったのに、電車を二本乗り継がないといけない俺の部屋までよく来れたもんだ、なんて感心した。

 まあ必要になったら、絶対、ちゃんとできると思ったけどね。コイツ、超図太いから。


「おい、起きろ。起きろ。こんなとこで寝てたら迷惑だろうが」

 まず声をかけた。


 だが、ユーマは起きない。ぜんぜん、起きない。鼻水と涎たらして、グガー、グガーと眠ったままだ。


「おい、起きろ」

 今度は肩をつかんで揺らす。ああ、今気づいたけど、ユーマの着てる制服、アレだ。コイツが一週間で損切りした高校の制服だわ。


 そうして頭がガクンガクンと前後に振り子のように揺らし、大声で呼びかけること十分間。ようやく、ユーマが起きた。


「はっ」

 わざとらしく、はっ、とか声を出さなくていいから。お前、絶対、目を覚ますタイミグはかってただろう。


「兄さん? 兄さんね」

 目をわざとらしくパチクリして言った。


「うん、そういう小芝居いらないから。とりあえず、立て。邪魔だから」


 ユーマが両手を伸ばす。


「えっ、なに? その手」


「相変わらず鈍感ね。手を貸して欲しいのよ。なにしろ、私は久しぶりに外を歩いてクタクタなのだから」


「嫌だよ、お前、どうせ風呂入ってないじゃん」


 ふっ、とユーマは無駄に鼻で笑った。

「甘いわね、兄さん。一ヵ月前にちゃんと入ったわよ、お風呂。髪の毛だって洗ったんだから。下着も変えたわ」


 うん。一ヵ月風呂に入らず下着も変えてないんだな。よく分かりました。


「早く手を貸してよ。勢いあまって兄さんに抱き着く算段なんだから」


「えっ、なんで抱き着こうとしてるの。怖いんだけど」


「それを私に言わせるなんて。兄さんたら、いけずね」


「抱き着かれたら、クサっ、て、うっちゃるイメージしかわかないんだが」

 なんか牛舎みたいなニオイするんだよなあ。


「あら、照れてるのね。兄さんのそういうところ可愛いわ」

 うふふふっ、て笑う。

 無駄に上品な感じをかもしだしやがって。


「とにかく立てよ。なんか行き倒れた人みたいな感じになってるぞ」


 ユーマがのっそり、のっそり立ち上がる。

「兄さんが、ずいぶん待たせるものだから、お腹が冷えてしまったじゃない」


「いつから待ってたんだ」

 俺はドアの鍵を開けながら言った。


「たぶん二時くらいだと思うわ。ああ、オシッコしたい」

 ドアを開けたとたんに勝手に部屋の中に飛び込んでいった。


 えっ、じゃあ、四時間も待ってたの?

 ここで、ああして……マジかよ。

 大変だったな、というより、アイツなにしてくれてんだ、という思いが強い。

 だって、女子高生もどきが部屋の前で、ぐでー、と座ってたらイロイロ問題あるだろ。大丈夫? 俺、通報とかされてない?


 部屋の照明をつける。

 まあ、ありふれた8畳のリビングダイニングキッチン。ジャケットをハンガーにかけて、ネクタイをほどいて。

 このLDKともうひと部屋は六畳の寝室。そっちはベッドがあるだけ。


 小鍋に水を入れて火にかけたところで、トイレからユーマが出てきた。


「スッキリしたわ」

 相変わらず表情の少ない眠そうな顔で言った。


「そうか。良かったな」


「お腹が空いたわ。なにか食べ物を頂戴。お寿司がいいわ。まあ、ステーキでも構わないけどね」


「あるわけないだろ。なんか作るから待ってろ」


「分かったわ。そうね。久しぶりにテレビでも観てみようかしら」

 部屋の真ん中にあるガラスのローテーブルの前に陣取ると、その上のリモコンを取ってテレビをつける。


「ていうか、お前、いつも部屋でなにしてるの? パソコンもスマホも持ってないだろ? テレビもないし」


「ふふっ、私にはコレがあるもの」

 言ってブレザーのポケットから取り出したのは、家庭用ゲーム機の老舗ネンテンドーの携帯用ゲーム機、3GS。

「兄さん譲りのコレがね」


 ああー、そういえばユーマが妹になったばかりの頃にあげたなあ。

 えっ、じゃあ、コイツ部屋でずっと3GSしてるの? なんだろ、すごい悲しい気持ちになった。


「もちろん、ずっとゲームをしているわけじゃないわ。時にはベッドから抜け出して、辞書を逆さ読みしてみたり。エアーギターをしてみたり。以外にもアクティブに過ごしていたわ」


「ああー、うん、スゴイネ」


 冷凍したご飯を解凍したり、小鍋で沸いたお湯で紅茶を入れたり、野菜の下ごしらえをしたりしながら、ユーマの日々を頭の思い浮かべる。

 あまりの生産性のなさに、せめてパソコンくらい持たせてやるべきだったのでは、と思ってしまった。


 ちょうど夕方の報道番組がやっており、ユーマはなんだか訳知り顔でそれを見ている。雅さん譲りの美貌のせいで様にはなってるんだよ。一見すると美少女女子高生が、荒んだ世の中を憂いているようにも見える。見た目だけな。


 ときどき、ふふっ、とか、なにも分かっていないのね、とか、馬鹿だわ、とか、なんか訳知り顔につぶやいてるのが痛々しいな。


「それにしても、よくここまで来れたな」


「苦労したわ。タクシーの運転手さんがやたら話しかけてきて、どうしようかと思ったわ」


 あっ、タクシーで来たのか。感心して損した。


「あの人、しきりにクンクンと匂いをかいでいたわね。ちょっと危ない人だったんじゃないかしら。ひょっとしたら、私、際どいところだったのかもしれないわね。拉致監禁とかされる可能性があったんじゃないかしら」


「いや、それ、お前の発する異臭のせいだぞ」


「そう、やはり薫っているのね。女子高生のニオイが」


「そもそも、なんでそんなかっこうしてるの? なに? コスプレのつもり?」


 ふふっ、とユーマが笑う。

「馬鹿ね、兄さん。そんなことも分からないの?」


「まあ、二十二歳の女が普通に高校の制服着てる理由は分からんけど」

 なに? 実は今度こそ高校生をちゃんとやりたいとか、そういう理由?


「兄さん。私がヒキコモリ始めたのは十五歳の頃よ」


「ああ、そうらしいな」


「そして、私はあの頃、まだ体が成長しきってはいなかった。そうよね?」


「まあ、確かに発育は悪かったな」

 入学式の日にお祝いに行ったんだが、そんときのユーマは制服がブカブカだった。それなのに今はややきつめに見える。ヒキコモリ生活中に成長したらしい。


「まさに寝る子は育つというやつよ」

 言って、ユーマは自分の胸をこれ見よがしに持ち上げる。確かにソコも育っているようだが。無駄に。


「それで?」


「まだわからないのかしら。兄さんは本当に鈍いわね」

 小馬鹿にしたように言うと、少し間をあけ、気を持たせ、ユーマは理由を明かした。

「着れる服がないのよ。母さんの服は小さすぎるし。さすがに兄さんの服というわけにはいかないでしょう?」


「あ、ああ、そういうこと」

 納得の理由。なおかつ、ものすごくしょうもない理由だった。

 確かに見たところ、今のユーマは雅さんより十センチくらい背が高い。ブカブカのパジャマとブカブカの制服しか着るものがなかったわけだ。


「さすがの私もパジャマで外出する勇気はなかったわ」


 俺はチャーハンと味噌汁を同時に作りながらも、まずは服を買いに行かせた方がよさそうだ、と思った。それくらいは付き合ってもいいか。


 出来上がった料理をガラステーブルに並べる。ユーマが涎を垂らさんばかりの顔でそれを見る。いや、よく見ると、本当に涎が出てた。無言でティッシュを差し出す。

 ユーマはそのティッシュで鼻をかんだ。


「やっぱり兄さんの料理は美味しいわね」

 バクバクとチャーハンをがっつき、ひと息ついたあとにユーマが言った。相変わらず食い方汚いなあ、コイツ。


 まだ一緒に住んでる頃、雅さんが遅くなる時は俺が料理を作っていた。ユーマにとっては懐かしい味かもしれない。


「兄さんはいいお婿さんになるわね」


「そりゃあ、どうも。それで、一応、聞くけど、なんで俺のとこに来たの?」


 ユーマは実に憂いを帯びた表情で(悔しいが様になってんだよなあ)、ため息をついた。

「とても悲劇的なことがあったのよ」

 言って、ダイニングキッチンのテーブルに置かれていた母からの書置きの内容を話す。

 うん、まあ、知ってたけどね。


「母さんは私に死ねというの?」


「雅さんなりの荒療治だろう。いい加減に自分で生きなさいって、さ。言っとくけど、雅さんに恋人ができたのはマジだし。もう同棲してるぞ。ゆくゆくはあの部屋も引き払うから、早いとこ住むとこ決めろよ」

 アパートの契約とか、もろもろは俺が手伝ってもいい。というか、絶対、こいつ一人じゃムリだろうし。


「本気なのね。なんていう、ヒドイ人なのかしら」


「おい、その言い方はないだろ。今まで、養ってくれて、十分な貯金をしてもらってあるんだろ。通帳に幾らあった?」


「二千万円よ」


 わっ。思ったより多いな。

 雅さん、甘やかしすぎじゃないですかね?

 俺はジャッカン、その金額にひるみながらも、ユーマに切々と説いた。


 雅さんだって、まだ若い。自分の人生を生きるべきだ。いつまでも、足を引っ張ってるんじゃない。あと、お前もいい加減、ちゃんと人生に向き合いなさい。若い今のうちに立ち直っておいた方が楽だぞ。金はあるんだから、とりあえず、ゆっくりと社会復帰していけ。そのための力は貸すから。


 で、ユーマがどんな反応をしたかというと、大きなアクビをしやがった。

 こいつっ。


「兄さん、いい加減にして」

 しかも逆切れしやがった。

「そんな常識論を訳知り顔で説いて、恥ずかしくないの? 私が聞きたいのはそんなつまらない言葉じゃないわ。どうしてひと言、俺が養ってやるって言えないの? この甲斐性なし」


 コイツ、俺に寄生する気かよ。相変わらず、ハート強すぎだろうが。


「おい、ちょっと待て。お前、そんなことを狙って、ここに来たのかよ」


「ほかに何があるというの? 私は一人では生きていけないの。だって、ここに来るまで、ものすごく大変だったのよ。本当に、冗談じゃなく、死ぬかと思ったのよ。外に出るのは面倒くさいし、コンビニで買い物だって嫌なのよ。部屋の中で、毎日ゴロゴロしていたいのよ。それが分からないの?」


 えっ、なんで、こいつ堂々とそんなダメな主張ができるの? 自分に恥じ入るところないの? どういう神経してるの?

 荒療治に出た雅さんの気持ちがよくわかった。コイツ、ダメだ。


「だから、ちょっとずつ、慣れてけばいいんだよ。なにもいきなり働けとは言わねえよ。まずは、買い物とかしてさ。ちょっとずつ慣れてけばいいじゃん」


「嫌よ。面倒くさい」

 髪の毛を無駄にサラっと後ろに流して言った。風呂に入ってない割にはベタベタしてないのはスゴイな。雅さんの遺伝子が。


 それにしてもコイツと話してると殺意がわいてくるな。


「とにかく、今日は帰れ。俺は明日も仕事だ。お前の相手をしてるほど暇じゃない」

 甘やかすとどこまでも堕落するからなユーマは。

「タクシー呼んでやるから」


 スマホを手にした俺をユーマが鋭い声で制止する。

「待ちなさい」

 

「あっ? なんだよ」


「せっかく勇気を振り絞ってここまで来たというのに、追い返すなんてヒドイじゃない。それでも血のつながらない兄なの?」


「ついでに言うと、もう戸籍上の妹でもないからな。完全に他人だ」


「でも、私たちの間には思い出という絆があるわ。そうじゃない?」

 それから、ユーマは俺との思い出話を語りだした。あの時は楽しかったわ、とか、ねえ、アレを覚えてる? とか。

 コイツ、情に訴えかけてきたな。


「ストップ。ストップ。その手には乗らない」

 実はちょっとほだされかけてしまった。やべっ、情で訴えかけられるの超苦手なんだよ。意図が分かってても許したくなる。

「とにかく、今日はここまでにして、帰れ」


「ダメよ。タクシーの運転手さんに、また、クンクンとニオイを嗅がれるかと思うと、怖くてたまらないわ。兄さんは私が拉致監禁されても良いというの?」


「いや、だから、それ、お前が異臭を放ってるからだって。そんなにクンクンされるのが嫌なら、シャワー浴びてけよ。臭いんだから」

 言っても無駄だろうな、と思いながらも一応、言ってみる。あんまり臭いと運転手さんに悪いもんな。


 ところがユーマはすくっと立ち上がった。

「仕方がない。兄さんがそこまでいうのならば、シャワーを借りることにするわ」


「念入りに洗うんだぞ。あと、浴び終わったら、ちゃんと浴槽流しといてよ。汚いから」


 まあ、シャワーを浴びるのも社会復帰の一環だろう。うん。


 バスルーム(トイレとは別)に入っていったユーマ。ドアがちょろっと開いて、ポイッポイッと無造作に脱ぎたての制服が床に投げ出される。

 俺はその上にバスタオルを置いてやった。

 下着も洗った方がいいんだろうけど、さすがに替えの下着もないしなあ。

@@

 ユーマがシャワーを浴びている間に洗い物をさっさと済ませる。明日、炊くお米をジャーにセットしたところで、バスルームのドアがチョロっと開いた。そっから湯気とともにユーマが濡れた顔を出す。


「兄さん、バスタオルを頂戴」


「お前が脱ぎ散らかした服の上に置いといたよ」


「あら、さすが兄さんね」

 ユーマは言ってヒョイっと手を伸ばし、バスタオルをつかんでドアを閉める。


 すぐにまたドアが開き、今度は脱いだ服を一式持っていく。

 さて出てきたらさっさと追い払おう。下手な情けはユーマのためにならないからな。


 ユーマが出てきた。濡れた髪からビタビタと雫を垂らしながら。

 なんだろう、やたら怨霊感が強いな。ていうか、髪拭けよ。


「どう、兄さん」

 前髪を顔にはりつけて、なんかドヤってる。


 えっ、なに、どうって? この人意味わかんない。


「とりあえず、髪の毛拭けよ」

 濡れたままだからブレザーが超湿ってんじゃん。


「シャワーを浴びた私になにか思うところはないかしら」


「早く髪の毛拭けよ」


 ふふふっ、と無駄にいわくありげに笑ってから、ユーマは洗面台の鏡に向かった。ドライヤーで髪の毛を乾かす。

 異臭の代わりにシャンプーの匂いが漂ってくる。当たり前だが俺の使ってるシャンプーだけどな。


 ドライヤーが止まった。ずいぶん早いな、と思っていたら、ユーマが物欲しそうに俺を見る。


「兄さん。疲れたわ」


「知るか。早く乾かせよ」


「冷たいわ、兄さん。昔は乾かしてくれたじゃない」


「一体、いつの話しだよ」


「兄さんも久しぶりに妹の髪の毛を乾かしたいでしょう?」


「いや、ぜんぜん」


「まったく。素直じゃないんだから」

 クスっと笑う。


 コイツ、ホント、面倒くさいなあ。


 しばらく待ってもユーマはドライヤーを再稼働させない。こうしていある間にも時間はどんどん過ぎていき。

 結果、俺の睡眠時間が短くなっていくんだよなあ。

 俺は、タメ息をつくと、パソコンデスクから椅子を持ってきて、そこにユーマを座らせた。


 似非女子高生の元妹のクソ長い髪にドライヤーをかける。なにこれ、なんで俺、こんなことしないといけないの?

 仕事で疲れてんだけど。


「やっぱり、兄さんはチョ……優しいわ」


 おい、今、チョロイって言いかけただろ。

 クソっ、早いとこ乾かして、タクシー呼んで、追い返そう。


「兄さんと一緒なら私は幸せだと思うのよ」


「いや、俺に面倒ごと押し付ける気まんまんじゃん」


「いいじゃない。こんな可愛い妹の面倒ごとなら、喜んで引き受けなさいよ」


「好き放題、妹ムーブするな。お前とはもはや妹でもない。他人だ、他人」


 するとユーマが黙った。かろうじて鏡に映っている目元。目は閉じている。

 言い過ぎたかな。

 いや、コイツはしっかり突き放さないと、どんどん甘えてくるからな。


 それからユーマは髪の毛を乾かし終わるまで黙っていた。俺も話しかけなかったから、ドライヤーの音だけが鳴り続けた。


「さて、すっかり髪も乾いたことだし。タクシー呼んでやるから帰りなさい。今後の身の振り方については、また、相談に乗ってやるから」

 ドライヤーを片付けながら言う。


 ユーマは俺の背後に立ったままだ。

 邪魔だなあ。


「兄さん。真剣に本当のことを話すわ」


「あっ? なに? また今度にしてくんない。俺は明日も仕事なんだよ」


 次の瞬間、背中に温かいものがくっついてきた。ユーマは俺の前に手を回すと、ギュっと体を押し付けてくる。


「なにやってんだ、離れろよ」

 引きはがそうとする俺。ユーマはスゴイ力でしがみついてきており、中々、振りほどけない。まるで、そう、溺れる者がワラをつかんでいるみたいに。


 腕力にまかせて振りほどくと、今度は真正面から抱き着いてきた。いや、抱き着くというか、タックルというか。俺の腹にギュっとしがみついている。


「なにがしたいんだ、お前は」

 また全力で振りほどく。


 さすがに力を使い果たしたのだろう(もともと体力少ないしな)、ユーマはくたり、と床に崩れた。足がすごい開いてスカートから下着が丸見えだ。

 ていうか、パンツ、汚ねえな。黄ばみを通り越して黒ずんでるぞ。


 すると、ズズズッと鼻をすする音。

 うん? と髪をべったり張り付けたユーマの顔を見ると泣いていた。

 ヤベっ、さすがにやり過ぎたか?

 こいつからしたら、突然、母親に捨てられ、頼ってきた兄にもすげなくされたわけだし。

 もうちょっと優しくしてやった方が良かったか?

 でもなあ。コイツ、超図々しいんだよなあ。


「まあ、俺もちょっとやりすぎた。コーラ、あるぞ。飲むか?」


 コクリとユーマがうなずく。

 冷蔵庫からコーラのペットボトルと、ついでに缶ビールを出す。ホントは帰宅と同時に飲むつもりだったんだよなあ。

 マグカップにコーラをそそいで、それをユーマの前に差し出す。ユーマがおずおずと手を伸ばし、カップを受け取った。


 俺は俺で缶ビールをあおる。なんか、どっと疲れたなあ。もう、今日はシャワー浴びないで寝ちゃおうかな。


「まあー、アレだ。俺や雅さんの気持ちも分かってくれよ。このままじゃあ、ダメだってことくらい、ユーマだって分かるだろ? ゆっくりでいいから社会復帰していかないとさ」


 そして俺は優しく優しくユーマを諭した。

 どうやって社会復帰すればいいのか、提案し、緩やかな道筋を示してやる。いつの間にかビールは空になり、二本目に突入。

 社会復帰の方法を具体的に提示した後は、ユーマに自信をつけさせる。いかにユーマがしっかり者か(根拠はない)。いかにユーマが魅力的か(見た目だけだが)。いかにユーマが頭が良いか(中学の成績は良かったはずだ)。


「だから、大丈夫だ。お前ならちゃんとできるよ。なっ」


 ユーマは泣き止んでおり、二杯目のコーラを飲んでいる。人形のような無表情。聞いてんのか、コイツ?


「無理よ」

 ぼそり、とつぶやいた。


「そんなことねえよ」


「無責任なこと言わないで」

 ユーマがキッと俺を睨む。思わずドキッとするほど凛々しかった。顔は雅さんソックリだからなあ。


「毎日毎日、布団に包まって3GSばっかりやってた私になにができるっていうのよ。こんな世知辛い世の中で生きていけるわけじゃない。あっという間に骨までむしゃぶりつくされるに決まっているわ」


「いや、だから、ゆっくりと慣らしていってだな」


「私にそんな器用なことができるわけないでしょう。この七年間、話したのは母さんと兄さんと、あと、さっきのタクシーの運転手さんだけなんだから」


「お、おう」

 タクシーの運転手さんカウントするなよ。


「いくら私の顔と体と性格と頭が良くても。とても一人では生きていけないわよ」


 なんで、こいつ、自分の性格と頭がいいと思ってんだろ。すごい不思議。


「兄さんは無責任よ。いくら、血がつながっていなくて、戸籍上もつながっていなくても。私たちは家族じゃないの? 私は兄さんの妹じゃないの?」


「そうだな。確かに、ユーマは俺の妹だ」

 こっちは最初からそのつもりだよ。お前は俺の妹だ。例え、血がつながらなくとも。戸籍が別になっても。


「だったら老後まで面倒見てよ」


「それは嫌だ」

 一瞬でも、ほだされかけた俺が馬鹿だった。ダメだ、コイツに隙を見せると絶対、寄生される。気を付けないとな。


「じゃあ、どうすればいいのよ。兄さんが言ってたことなんて、全部、机上の空論よ。七年間もゴロゴロしてたのに、今さら、規則正しい生活とか無理よ。コンビニに行くのだって面倒くさいのに」


 俺はタメ息をついた。もう、早く帰ってくれないかな。


「もう、結婚したらいいんじゃないの? ほら、ユーマ、一応、若くて美人だしさ。婚活アプリとかあるじゃん。それで、いい人探してさ。養ってもらいなよ」

 投げやりになって言う。


 中にはユーマを養ってもいいなんて奇特人もいるさ。相手の年齢とか容姿とか問わなければ、大丈夫だろう。


「結婚?」


「そう。持参金もあるしな」

 いや、貯金のことは隠しておいた方がいいかもしれんが。コイツのことだ。すぐに貯金を取り上げられてしまいそうだし。


 すると、ユーマがジーと俺を見る。スゴイ凝視だ。視線が痛い。

 

「なんだよ。そんな目で見ても事実は変わらないぞ。一人で生きていく自信がないなら、誰かと一緒になれってことだ」

 人身御供にするみたいで、その誰かには非常に申しわけないのだが。


 ユーマがすくっと立ち上がり、ずいっと俺の側に寄ってきた。そして、言った。冒頭の言葉だ。


「兄さん。好きです。ずっとずっと好きでした。大好きでした」


 さあ、どうだい?

 俺がチョップした気持ち、分かるよね。

 俺、変じゃないよね?


 俺はビシッとチョップをユーマの頭に叩き込んだ。


 前頭部を押さえ、せっかく引っ込んだ涙を、またもやじんわり浮かべ、ユーマが俺をののしる。


「ひ、ひどいわ、兄さん。勇気を振り絞って告白したというのに。こともあろうにチョップで迎え撃つだなんて。鬼畜、外道の所業よ」


 ワアワアと罵り続けるユーマ。

 俺はスマホを手にするとタクシー会社を検索。普段、タクシーとか使わないからなあ。


 そこに背中に衝撃。

 意表をつかれて俺は転がった。

 起き上がろうとすると、ユーマがのしかかってきた。


「本当よ、本当に兄さんが好きなの。これは確かな事実よ。今まで、兄さんの負担になると思って隠していたのよ」

 髪を振り乱して、俺に馬乗りになりながら、ユーマ。

「今のは確かにちょっとアレなタイミングだったけど。兄さんのことが好きなのは本当よ。異性としてね」


「いや、説得力ねえから。とりあえず、降りろ。こっちは疲れてんだよ」

 どこをどうなってそうなったのか、マウントポジションをとられてしまった。全力を出せばひっくり返せそうだが、疲れそうだしなあ。


「だいたい、兄さん、私のことをずっと養ってくれるって言ったじゃない。私はそれを信じて。ぬくぬくとやってきたのよ。今さら、無理とかヒドイじゃない」


「言ってねえよ、そんなこと。絶対、言ってねえから」


「言ったわ。小学校の頃、確かに言ったわよ」


「言ってねえよ」


 言った言わないの攻防がしばらく続いた。

 それから話しは俺の元カノの話しに切り替わり。


「だいたい、兄さんが彼女なんて作ったからいけないのよ。私がヒキコモったのはそのせいなんだから。兄さんを取られるって思って怖くてヒキコモってしまったんだから」


「えっ、マジで?」


「兄さんが高校に上がったばかりの頃だったわね。ギャルっぽい、いけ好かない女だったわ」

 ふん、と俺にまたがった状態で、見下ろして言った。


 そうなのか?

 俺が糖谷美樹とうやみきと付き合ったから……。

 いや、タイミグぜんぜん違うじゃん。俺が高一の時、コイツ、まだ小学生じゃん。


「この野郎。見え透いた嘘つきやがって。お前がヒキコモったのは高校入学してすぐだろうが」


「心の傷を負ったのよ。それがジクジクと傷み続けて、私の心をさいなんでいったんだわ」


「それらしいこと言いやがって」


 こうなったらしょうがない。疲れるけど、力づくづくだ。俺は上体をぐいっと起こすと、ユーマの腰をつかみ、押しのけようと力を入れる。


「どこを触っているのよ。年頃の妹の体をむやみに触るなんて、兄さんは変態なの?」


「うるせえ。どけ、どけ」


「じゃあ、私を養うって誓いなさいよ。一生、老後まで、面倒見るって誓え」


「ざけんな。一人で生きろ。それか他、探せ」


「兄さんがいいの。カッコいいし、優しいし、人が良くて、チョロイ兄さんがいいの」


「この野郎。寄生する気まんまんじゃねえか」


「妹が兄を頼って何が悪いのよ」


 そのまま、どったんばったんと暴れていたら、インターホンが鳴った。お隣さんが抗議に来たのだ。

 スイマセンね、うるさくしちゃって。


 お隣さんに謝り、はあっ、と息を吐く。

 俺、明日、仕事なんだから。マジでやめて。


 髪がほつれまくっているユーマを振り返る。目がらんらんと輝いている。コイツ、まだまだ戦える雰囲気をかもしだしてやがる。


「もう、とにかく、今日は帰ってくれない。俺、寝たいんだけど」


「嫌よ。兄さんのことだから、そのままこの部屋に戻ってこないに違いないわ。電話も着信拒否にするつもりでしょう」


 あっ、バレたか。

 しばらく友人の部屋にでも転がり込もうと思ったのに。


「そうは言ってもなあ。うちは客用布団とかねえんだよ。泊めてやれないぞ」

 まあ、実はあるんだけどな。こう言わないと帰んないから、コイツ。


 ふふっ、とユーマが不敵に笑う。ホント、無駄にみばえがいいからカッコウはつくんだよなあ。


「兄さん、私が何年ヒキコモリをやっていたと思っているの? 昼夜なんてとっくに逆転しているわ。兄さんが起きて、私が寝る。それで問題ないわね。あっ、ちゃんと夜食の準備はしておいてね。お腹空くから」

 図々しくドヤりやがる。


「いや、俺、人いると寝れないし」


「それは兄さんの問題であって、私の問題ではないわ」


 うわ、コイツ、ホント、なんなの?

 ビール、二缶飲んだ後に暴れたせいか、なんか急に眠くなってきた。

 もう、いいや。明日、追い返そう。


 俺は面倒臭くなってパジャマ代わりのジャージを手に取る。ズボンを下ろすと、キャッとユーマが悲鳴をあげた。


「に、兄さん。言っていることとやっていることが、ち、違うじゃない。私、まだ、そこまで覚悟できてないわ」


 なんか言ってるけど、ほっとこう。絡むと長くなるし。

 ジャージを履いて、Yシャツを脱いで、スウェットを着る。


「じゃあ、俺、寝るからな。チャーハンと味噌汁、まだ残ってるから、腹減ったら食え。なんなら、そこのスエッチやってていいけど、ヘッドフォンするようにな」

 テレビ横に置いてあるネンテンドー、スエッチを指さし言った。


 ユーマはまだ顔に両手を当てて、なにやらつぶやいてる。まあいいや。


「おやすみ。うるさくするなよ」

 俺はユーマを放置して、寝室へと入った。

 そのままベッドにもぐりこむ。


 はあ、ホント、疲れた。


 ベッドに入ると、すぐに眠気がやってきて。俺は眠りの国へと誘われていった。



 よく見慣れたマンションのドアを開ける。

 アレ、俺、こんな小さかったっけ?

 不思議に思いながらも自宅の中に入った。

 リビングの方から泣き声がする。


 また泣いてるのか。

 ホント、良く泣くやつだなあ。

 そんなことを思いながら、リビングのドアを開ける。

 小さな女の子がソファで丸くなって泣いている。


「どうしたの? なんかあったの?」

 俺は女の子、ユーマに声をかけた。


 ユーマが顔をあげる。泣きすぎて腫れぼったくなった目。グシャグシャの顔。垂れた鼻水。


「ほら、一人で泣いても疲れるだけだぞ」

 言ってティッシュを多めにとって、小さなユーマの顔に当てる。

 ブーとユーマが鼻をかんだ。


「ぜんぜん、友達ができない。もう学校行きたくない」


「大丈夫、友達なんて、そのうちできるよ」

 ニカっと笑って言った。


「できないわよ。本当に学校行きたくない。もうヤダ」


 俺はその時、昔、父さんに言われたことを思い出した。ちょうど目の前のユーマと同じくらいの時に、学校に行きたくなくて、グズる俺に父さんはこう言ったんだ。


「本当に、どうしても嫌なら学校なんて行かなくていい。俺が一生、ユーマの面倒見てやるよ」


 あっ、俺、ホントに言ってるじゃん。

 ヤバい、これ、あとで問題になる発言だぞ。


 そんな焦りのせいで俺は目が覚めた。


 ああー、マジだ。

 俺、マジで言ってた。ていうか、ユーマが高校行かなくなったの、マジで俺のせいかも。

 はあ、とタメ息を吐く。

 闇の中、光がチラチラとしていることに気が付いた。あと、薄っすら音楽が聞こえる。


 頭をかきかき、上体を起こすと、ユーマがベッドに背中を預けて足を伸ばして、俺のスエッチをやっていた。


 夢見が悪かったのはコイツが変な念でも飛ばしてたせいかもな。

 夢中になっているようでユーマは俺が起きたことに気づかない。

 ボーとしたそのままにユーマを眺め続ける。ずいぶん、育ったよなあ。俺も人のこと言えんけど。


 ユーマが舌打ちした。 

 なんか、ミスっただか、負けただかしたらしい。どうも俺からじゃあ、角度もあいまって何のゲームをやってるのか分からん。

 わざわざ暗いところでやらんでもいいだろうに。コイツはコイツで心細いのかもしれないな。


 枕もとの目覚ましを振り返る。まだ夜中の三時だ。あと二時間は寝れる。

 再びベッドに横たわり、目を閉じる。

 薄っすらと聞こえるゲーム音。それに混じってときどき聞こえるユーマの舌打ち。

 ホント、どうしようかなあ。

 確かに、いきなり一人で生きろったって、キツイよなあ。いくら金あってもさあ。


 あの夢のせいで自分でもちょっと弱腰になっていることが分かる。ガキの頃とはいえ、余計なこと言っちゃったしなあ。


「あっ、もうっ。なによ」

 ちょっと大きな声がした。

 ユーマの独り言。


 俺はビックリして身じろぎした。

 ユーマがゴソゴソ動く音。たぶん、やべっ、兄さん起こしちゃった? とか思ってるのかも。


「兄さん? 起きた」

 すぐ頭の上でそんな声がした。


 面倒くさいから寝たフリをしておこう。


「兄さん?」

 そっと頭に指が触れる。

 無視無視。


 気配が近付いた。なんか、鼻息が顔にかかる。おい、近いぞ。怖いよ。


 ふっ、と唇に柔らかいものが触れて。

 すぐにそれは離れた。

 

 んんんっ? アレ、今の……。


 ユーマの気配は遠ざかり、ガラっとリビングへ続く引き戸が開くような音がした。


 えっ、なに今の? はっ? はっ?


 そしてリビングの方から、なにやらバタバタ音がする。

 おいっ、なにやってんだ。なにを夜中に暴れてるんだ。また隣から苦情がくるだろうが。お前にとっては活動時間かもしれないけど、大抵の人間は寝てる時間なんだよ。

 さすがに放ってもおけず、ベッドから抜け出す。引き戸は少しだけ開いており、そこからチラッとリビングを覗いた。


 ユーマがなんか踊ってる。すっごい珍妙な踊りを。なんかMPが吸い取られそうだ。


「おいっ、夜中に何やってんだ。静かにしろって言っただろう」

 声をかける。


 ユーマの動きがピタッと止まった。

 螳螂拳とうろうけんの構えみたいな状態で。ホント、何の踊りなの? それ。創作ダンス?


 首だけが、ゆっくりと回って、こちらを向く。すぐに目をそらした。


「あら、兄さん。ずいぶん早いわね」


「お前がうるさくするから起きたんだよ。なにしてんの? なんなのその踊り?」


「もちろんヒップホップよ。頭に染み込んだゲームの音楽にノッていたの。ずっと座ってゲームをしていたら体に悪いもの」


 いや、絶対、ヒップホップじゃねえよ。

 そうツッコミたいところだが、これ以上、夜中に騒ぐわけにはいかない。


「とにかく、うるさい。またお隣さんから文句言われるだろうが。夜中なんだから静かにしてなさい」


「はい」

 ユーマはやけに素直だった。

「ごめんなさい、兄さん。以後、気を付けるわ」

 チラッと上目づかいに俺を見る。そして目をそらす。


「頼むぞ。ホント、困るからな。ゲームに飽きたんなら、これでも読んでろ」と寝室からお勧めの漫画(全三十巻)を持ってきて床に置く。


 ついでにトイレに行って。

「じゃあ、俺は寝るからな」


 寝室に戻ろうと引き戸を開きかける。そこに声がかかった。


「あっ、兄さん……」


 振り返るとユーマが俺をジッと見ていた。

 俺もその黒い瞳を見つめ返す。やたらとその時間が長く感じた。


「なに?」


「なんでもない。おやすみなさい」


 ベッドに戻ってから、ユーマがしたことについて考えた。

 アレは、まあ、アレだよなあー。


 そういえば告白してきたよな。マジなのかな? まあ、ユーマのことだからただ単に血迷ってる可能性も高いわけだが。


 そんなことをグルグル考えてたら、また眠くなってきて。

 気が付いたら目覚ましが鳴っていた。


 寝たんだか寝てないんだか、よくわからない。むしろ、真夜中のアレは、夢だったんじゃないか、とすら思えた。


 頭をかきながらベッドから出る。

 リビングの方はいやに静かだけどユーマは寝落ちしたのか?

 毛布でも用意してやればよかったな。


 引き戸を開ける。

 ユーマは漫画を読んでいた。クッションに、それはもうだらしなく、ぐでっと座って。

 昔から集中していると周りが見えなくなるタイプで、俺が起きたことにも気づかない。


「おはよう」


「おはよう」

 ユーマが漫画から目を離さずに返す。

「今、いいところだから、ちょっと話しかけないでくれないかしら」


 コイツ、ホント、図々しいな。

 なんなのこの無駄に強いメンタル。

 むしろ感心しながら洗面所で服を脱いでそのままシャワーを浴びる。あっ、そういやあ、着替え、持ってきてないや。

 いつも一人だから全裸でリビングまで行っちゃうんだよな。


 まあ、いいか。ユーマだし。


 シャワーを浴び、さっぱり。タオルで頭を拭きながらバスタオルを体に巻いた状態でリビングへ。幸い、ユーマは漫画に夢中だ。

 よし、大丈夫そうだな。

 クローゼットは寝室にある。そろりそろりと気配を消して寝室の引き戸を開ける。

 今まさに、寝室へ入ろうというその時。


「ああ、面白かった。兄さん、私、とても感動したわ」

 ユーマが言った。


 振り返った俺とユーマの目が合う。

 ユーマが悲鳴をあげた。甲高い悲鳴を。

 俺は逃げるように寝室へと飛び込み、急いで着替える。

 そこでピンポーンとインターホンが鳴った。

 ヤベっ、お隣さんかも。


 俺は急いでインターホンに出ようとするも、なぜかユーマが出やがった。


「はい。あ、すみません。ちょっとゴキブリが出たもので。はい、大丈夫ですよ」

 メチャクチャ普通に対応してた。ちょっと談笑までしちゃって。


 えっ? コイツ、割とコミュ力高くね?

 ていうか、考えてみたらタクシーに乗ってここまで来たしな。


 ユーマがインターホンを切って、ハア、と大きく息を吐いた。

「やっぱり、人と話すのは緊張するわね」


「お前、普通に一人で生きてけるだろ」


「そんなことはないわ。私には兄さんが必要なのよ。私の代わりにご飯を用意してくれたり、私の代わりにお洗濯をしてくれたり。私の代わりに入浴してくれたりする人がね」


 いや、入浴は代わりにならんだろ。


「だから、兄さん。私と結婚して。私を養って。私の老後に備えて」


 コイツ、ついにプロポーズまでしてきやがった。名作漫画と眠気のせいでテンションがおかしくなってやがる。


「とにかく、とりあえず、帰れ。送ってやるから」


「ちょっと待ってよ、兄さん。私はお腹が空いてるのよ。すごくひもじいのよ。兄さんがグースカ寝ている間にも、私は起きていたのよ。ひと晩じゅうね」


 知らんがな。お前が昼夜逆転してるだけだろ。なに頑張った風に言ってんだ。むしろ、自堕落を極めてんだろうが。


「兄さんが早く起きて朝食を作ってくれないかと、今か今かと待っていたというのに。そんな健気な妹を追い払うというの? この人でなし」


「チャーハンと味噌汁あっただろ。食わなかったのか?」


 キッチンを覗くとチャーハンが残っていたフライパンも、味噌汁が残っていた鍋も、どっちも空っぽになってシンクに入っていた。

 なんだよ、ちゃんと食ってんじゃん。

 なに空腹で死にそうみたない雰囲気だしてんだよ。


 とりあえず、朝食をさっさと作る。ベーコンエッグと簡単な味噌汁。あとはサラダでも作るか。テキパキと朝食の準備を進める。

 ふと、気づくと、ユーマが寝ていた。

 クッションを枕に、フローリングに大の字になって。それはもう気持ちよさそうに。


 叩き起こした方がいいかな?

 ガラステーブルで朝食を食べながら、グゴー、グゴー、といびきをかくユーマを眺める。

 ホント、気持ちよさそうに寝てるなあ。

 とりあえず、寝かせといて、帰ってきてから追い返せば……。

 いや、ダメだ、ダメだ。ここは心を鬼にして叩き起こそう。そして追い返そう。ここで甘やかしたら、結局、ユーマのためにならない。


 しばらくの葛藤の後、俺はユーマを起こすことにした。

「おい、ユーマ、起きろ。送ってやるから」

 声をかけながら体を揺する。

「おい……」


 いびきがやんで静かになる。さらに揺らす。目が開いた。


「朝飯できたぞ。それ食って……」


 ふにゃっとユーマが笑った。それはもう嬉しそうに。安心しきったような顔でさ。

「兄さん……」

 ひと言それだけ言って目が閉じる。スヤスヤと寝息をたて始めた。


 クソっ、ズルいやつだな。

 一気に追い返す意欲が失せたじゃないか。

 まあ、眠い中、無理やり起こして家に送るのも、なんか心配だしなあ。

 今日一日だけ置いてやるか。

 今日一日だけな。


 朝食を食べながらユーマのことを考える。

 雅さんから聞いた話だけど、ユーマの実の父親はかなりのロクデナシで。ユーマが生まれてからも不倫を繰り返し、ほとんど育児に参加しなかったらしい。たまに家にいるときも、ユーマには冷たい態度をとったり、うるさいと怒鳴ったりしていて、そのことで雅さんはよく元旦那とやりあったそうな。


「そのせいかどうかわからないけど。ユーマは男が苦手なのよね。ほら、高校生にもなると男子も、男って感じでしょ」

 ユーマが高校入学後、すぐに不登校になったことを受け、雅さんが言った。

 確か、ゴールデンウィークに帰宅した時のことだ。

「恐怖症ってほどじゃないんだけど。緊張するみたいなの。特に声の大きい男は。ほら、一也さんもカズ君も優しい声じゃない。小学校の担任も中学の担任も苦手なタイプはいなかったらしくて。それが、今回の担任がもう、ホント、男臭いタイプでねえ。男子たちもなんか、ちょっと不良っぽいのが多くて。あの子、美人だから声をかけられるのよ、やたらと」


 朝食を食べ終わり、スーツに着替える。

 ユーマはまったく起きる気配がない。超熟睡してる。毛布を持ってきてかけてやった。ユーマの分のベーコンエッグにラップをかけて、冷蔵庫へ。


 腹が減ったら冷蔵庫のベーコンエッグを温めて食べろ、家に帰るなら鍵をかけて、そのまま持って帰ってよし(俺は合鍵を持ってくから)。

 などと大雑把な書置きをしてガラステーブルに置いた。


 家を出る前にもう一度、ユーマを見て、帰ったらちゃんと追い返すことを決意した。

 うん。ほだされないぞ、俺は。



 仕事中、ユーマのことが何度となく頭をよぎった。まだ小さかった頃のユーマやら、昨夜のユーマやら、ごちゃまぜに。

 ちゃんと突き放さないといけないよな。

 もう大人なんだから自立して生きていかないとさ。


 昼休み、雅さんにラインを入れた。ユーマが部屋に来たこと。今夜、タクシーで送って行こうと思っていること。

 雅さんからすぐに電話がきた。


「やっぱりカズ君のとこへ行ったかあ。絶対、そうすると思ったのよね。あの子、カズ君のこと大好きだから」


 服のサイズがないから制服で来たことを話すと、雅さんは大爆笑した。

「そんなはずないじゃない。ちゃんと服買ってあげてたわよ。一度もそで通さなかったけどね」


「じゃあ、なんで?」


「ほら、高校入学前の春休みに、カズ君が帰ってきたとき、制服着てみせたじゃない。それでカズ君に褒められたもんだから。それでよ」


 言葉につまり黙る俺に雅さんが言う。

「しっかり突き放してね。ほだされちゃ、ダメよ。カズ君優しいから」


「そのつもりだよ。俺が甘やかしたら意味ないからね」

 雅さんだって覚悟を決めて、突き放したのだ。俺もそうしないといけない。ほかならぬユーマのために。


 仕事が終わり、さっさと帰宅する。

 ユーマを追い返すなら早い時間の方がいいもんな。また疲れて、面倒くさくなったらマズイ。

 満員電車に揺られて(こんな生活に果たしてユーマは耐えられるのか、なんて思った)、自宅最寄り駅に到着。スーパーで弁当を二つ買った。

 どうせ、腹が減っただのなんだのゴネるだろうしな。


 部屋に戻る。

 ユーマの靴はあった。高校入学時に買った茶色いローファー。雅さんの言っていたことを思い、なんともこそばゆい気持ちになる。

 いかん、いかん。心に隙を作るな、俺。


 リビングにユーマはいなかった。

 寝室からゲーム音が漏れてくる。

 引き戸を開けると、ベッドで布団にくるまり、スエッチをやるユーマ。


 声をかけるとユーマはようやく俺が帰ったことに気づいた。ちょっと慌てた様子である。


「弁当買ってきたから、食うぞ。それ食って、家に帰れ。送ってやるからさ」


 だが、ユーマはなにやらモジモジとしてベッドから出てこようとしない。


「なんだよ。腹減ってないのか?」


「お腹は空いているわ。だから、兄さんが食べさせてよ。私は今、ベッドから出られないのよ」


「なんで?」


「兄さんがあんまり言うから下着を洗ったの。だから、下着つけてないのよ。もうっ。それくらい察してよ。鈍いのよ、兄さんは」


「いや、察せられねえよ、そんな事情。なに? いつ干したの? まだ乾きそうにないの? なんならドライヤーで乾かしてやるけど」

 うちの洗濯機は乾燥機がついていないからなあ。


「どうやって干したらいいかわからないから、そのまま洗濯機に入れてあるわ」


「干せよ、適当に」


 しょうがない、面倒だが乾かすか、と思いリビングにとって返そうとすると、ユーマがベッドから言った。

「待って兄さん。私はお腹が空いて死にそうなの。お願い、食べさせて」


「服は着てるんだろ? じゃあ、別にいいだろ。俺は洗面所にいるから、勝手に食えよ」


「嫌よ。食べさせてよ」


 それからしばらく言い合った。食べさせて、勝手に食べろ、の、すごくどうでもいい言い合いな。

 結局、俺は面倒くさくなって、布団にくるまり顔だけ出しているユーマの口に、夕食を放り込むことになった。

 ひな鳥のように口を開くユーマ。そこにスプーンでご飯を入れる俺。

 なんだ、コレ?


 その後、俺は洗濯機から出したユーマのパンツとブラジャーをドライヤーで乾かす。

 ていうか、これ乾かすより廃棄した方が良くない? すごい、汚れてるし、くたびれてるんだけど。大丈夫なのか?


 それらをしっかり乾かし、依然、ベッドで丸くなっているユーマの元へと持っていく。

「ほれ、乾かしたぞ。それ着たら帰るぞ」


「兄さんは、なにかっていうと私を追い払おうとするわね。なんなの? ツンデレ?」


「ちげえよ。純粋に邪魔なんだよ。一人でくつろぎたいんだよ」


「ひどい言い方。私は傷ついたわ、兄さん」


「俺は飯食ってるから、お前はちゃんと下着つけとけよ」

 言って俺はリビングに戻った。


 邪魔は言い過ぎたかなあ。

 でも、それくらい言わないと帰らないだろうしなあ。

 ジャッカン、後悔しつつも、夕食のコンビニ弁当をパクついた。


 さて、その後だが。

 この夜も昨日同様、長い長い攻防が続き、結局、俺はユーマを追い返すことができなかった。


 明日だ、明日こそ、俺はちゃんとユーマを追い払うぞ。だって、ユーマのためにはそれが一番なんだからな。

 絶対、ユーマを家に帰すんだ。

 そう自分に言い聞かせて、寝た。



「行ってらっしゃい。兄さん」

 私は愛してやまない兄さんを玄関に立って送り出す。


 紺色のスーツ姿の兄さん(超カッコイイ)が、難しい顔で私を見る。

「今夜は絶対に家に帰ってもらうからな」


「嫌よ。絶対に帰りません」


 せっかく兄さんとの同棲生活が始まったというのに、どうして帰らないといけないの? 誰が帰るものですか。


「お前も、このままじゃいけないって分かってるだろ?」


「えっ、ぜんぜん。これっぽっちも思っていないわ」

 むしろ一生このままでいいって思ってますけど、なにか?


 兄さんがタメ息をついた。

 憂鬱そうな兄さんもステキだわ。


「とにかく、今夜こそ家に返すからな。俺の人生に乗っかれると思うなよ」

 捨て台詞を吐いて兄さんが出ていった。


 さて、兄さんも仕事に行ったし、寝よう。 

 ヒキコモリのさがか、完全に昼夜が逆転している。

 兄さんはキッチリお皿も洗って洗濯物までベランダに干している。ちょっとくらいなにか手伝おうかしらあ~、とも思ったけれど、やることがない。やっぱり寝よう。

 

 あくびをしながらベッドに入る。

 ああ、兄さんの匂いがする。なに、この兄さんに包まれてる感? なんか、ムラムラしてきた。

 沸き起こってきた情動に任せて、アレやコレやイロイロした。


「兄さん、ああ、もうっ、そんなこと、ああっ」


 妄想の中で制服を脱がされ、ものすごく淫らなことをされてしまう。それに合わせて、着ている服を脱いでいく。一人二役。

 全裸になったあと、掛け布団を兄さんに見立てて、それはもう、くんずほぐれつ激しいことをしていたら。

 引き戸の隙間からリアルの兄さんが見ていた。

 

 目が合う。

 とても気まずい沈黙。


「会社に行ったんじゃなかったの?」

 かすれた声で言った。


「いや、スマホ忘れたから、取りに戻ったんだけど……」

 言って目をそらす兄さん。

「……その、なにしてんの?」


「寝る前の体操、みたいな感じかしら」


「……へえー」


 地獄のような沈黙。


「ていうかっ、兄さん。酷いじゃない。なんで気配を消して入ってきたのよ」


「いや、普通に入ってきたからな。なんか、そっちでバタンバタン音がするから、なにかと思って、見てみたら。お前は、全裸でなにしてんだっ」


「だから、体操よ。ストレッチよ。決して、いやらしい感じのことではないわ。そこ、誤解しないで欲しいわ」


「もう、いいから帰れよ、家に。なんか俺の部屋が汚されてる気がするから」


「ヒドイわ、兄さん。今は関係ないじゃない。ぜんぜん、関係ないじゃない。スマホを持って、さっさと会社に行きなさいよ。遅刻するわよ」


「しねえよ。俺、超早めに出社してるからな。まだ余裕だから。お前を家に送ってく時間くらいあるから。いいから、ベッドから出ろ」


「ちょっと、私は裸なのよ。全裸なのよ。裸の妹をどうするつもりよ、この変態」


「人のベッドで全裸になって奇行に走ってるやつに言われたくねえよ」


「体操だって言ってるじゃない。しつこいわ」


「あんな体操あるかよ」


 ピンポーンとインターホンが鳴った。


「ほら、お隣さんがまた怒ってるだろうが。お前が出ろ。裸で出ろ」


「はあ? 出れるわけないでしょ。馬鹿なの?」


「馬鹿はお前だ」


「いたっ。チョップした。兄さんが私にチョップしたー」



FIN

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


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