『覚行、速記親王の初めのこと』
白河院の御代、中御室覚行が速記のお勤めをなさることになり、夕暮れの後に昇殿なさったとき、この省略は何か、と仰せになって、一座の者が誰も知らない速記文字を、院が覚行にお示しになった。院が内々に御下問なさり、覚行がお答えになったという。この速記文字を院の前に掲げて、本来行うべきであった速記のお勤めをなさり、改めて、院がお示しになった省略のお勤めをなさった。文字の読み方、どのようなときに用いるのか、気をつけなければならない点など、見事に御指摘になったという。院が、覚行の実力をお試しになるため、このようになさったのだという。院は感嘆なさり、翌朝、速記親王の宣旨を下された。速記親王の初めという。
教訓:出家した太上天皇が法王、出家した親王が法親王と呼ばれるように、速記の道を究めた親王は速記親王と呼ばれるということだが、正史には、速記の道を究めた親王の記録はない。