15・泥棒猫のロレッタ
「ロレッタさん……ね?」
「わあ! わたしの名前、知ってくれてるんですね! 光栄ですー」
パッと表情を明るくして、手を叩くロレッタ。
うざい……。
あなたのことは忘れるわけないでしょ。それに知らないふりをしても、そうしたらあなた、不機嫌になるじゃない。あなたの性格はお見通しなんだからっ。
落ち着いて、ロレッタの姿を眺める。
綿飴みたいにふわふわした桃色の髪。クリクリした瞳は小動物を思わせた。
内股をもじもじさせている姿はやけに扇情的だ。それを裏付けるかのように、周囲の男性がチラチラと彼女の方を見ていた。
「ロレッタ……というと、光魔法が使える子だったね」
フェリクスもロレッタの正体に気付く。
すると彼女は目を輝かせて。
「フェリクスさんもわたしのこと、知っててくれたみたいで嬉しいです! わー、本当の黄金の貴公子様だー! 握手してくれますか?」
「握手……? まあそれくらいならいいけど……」
ちょっと不審がっている様子のフェリクスではあったが、ロレッタに右手を差し出した。
ロレッタは差し出された手をぎゅっと握って、自分の胸元に寄せる。少し動くだけで、彼女の豊満な胸が揺れた。
こいつ……っ! 性懲りもなく!
前世で幾たびも見てきた光景。
しかしここで怒ってしまったら、前世の二の舞だ。今は耐えるのだ。
「はじめまして。わたくしはオレリアですわ。光魔法が使え、聖女とも称されるロレッタ様に出会えて光栄です。わたくしも、お近づきの印に握手をしてくださいますか?」
「もちろんですよー、どうぞー」
ロレッタが名残惜しそうにフェリクスから手を離し、今度はオレリアと握手をする。
だけどフェリクスにした時みたいにぶりっ子ぶらないし、握手はあっさりしたものだ。
ロレッタは手を離して、今度は私に視線を向けた。
「クラリス様もよろしいですか?」
「はあ、別にいいけど」
本当はこいつと握手なんかしたくないけど……断りきれず、他の二人と同じように手を握った。
「……っ!」
痛……っ!
こいつ、握る力が強すぎだ。
私がキッと鋭い視線をロレッタに向けると、彼女は子リスのように首を傾げた。
この子の性格からして、絶対にわざとだ。
彼女なりの宣戦布告ってわけ?
「ありがとうございますー」
そう言って、ロレッタは私から離れる。
ジンジンと痛む手を全く気にしていない素振りをしながら、彼女に冷たい声で問いかける。
「それで……ロレッタさんがなんの用でしょうか?」
「うわー、クラリスさん。怖い顔してますよー。ダメですよ! 女の子がそんな顔しちゃ!」
まるで子どもに教えるかのような仕草で、ロレッタは人差し指を立てた。
殴りた……ってダメダメ。感情を隠し切れなくなっている。
私は感情を押し込めて、笑顔を浮かべた。
「ふふふ、クラリスさんは笑っている顔の方が可愛いですよー」
間伸びした声で、ロレッタは続ける。
「わたし……クラリスさんのファンなんです!」
「……は?」
「だって、壇上であんなに堂々とスピーチしてたじゃないですか! カッコいいなーって思って。よかったら、わたしと友達になってくれませんか?」
こいつ、なに言ってんだ……と思わないでもないが、ここで断るのは得策ではない。
「ええ、もちろんよ。これから仲良くしましょう」
誰があんたと仲良くなるか。
喉元までそんな言葉が込み上げてくるが、すんでのところで呑み込んだ。
「わー、ありがとうございます!」
その場でぴょんぴょんと飛び跳ねるロレッタ。
ロレッタのことをなにも知らなければ、それはただの可愛い動作に見えていただろう。
それくらい、洗練されたあざとい動きだった。
「じゃあ……わたしはそろそろ教室に行きますー。また後でねっ」
ロレッタがそう踵を返そうとした時、
「ちょっと待ってくれるかな」
とフェリクスが彼女を呼び止めた。
すると彼女は「はい!」と目を輝かせて振り向き、フェリクスの言葉を待つ。
しかしフェリクスが放った言葉は、彼女が予想していないものだっただろう。
「さっきからクラリス『さん』って言ってるけど……一応、そういうのはやめておいた方がいい。いくら王家からの恩寵を受けているとはいえ、君が平民であることには変わりないからね」
「フェリクス、私はなんとも思ってないから……」
「クラリス、君がいいと言っても、これは早いところ正してあげなくちゃいけないんだ。それが彼女のためにもなる」
毅然とした態度を見せるフェリクス。
ロレッタは一瞬、顔に戸惑いの色を浮かべるが、すぐに取り繕って。
「はーい、すみませんでした! わたし、クラリス様と仲良くなりたくって……ちょっと馴れ馴れしくしちゃいました。ごめんなさーい、クラリス様」
「いえいえ、私は気にしていませんから」
本当は腑が煮えくり返っ……省略。
「フェリクスさ……じゃなかった。フェリクス様も仲良くなりましょうねー。クラリスさんもバイバーイ!」
最後に、ロレッタはフェリクスにウィンクをしてから、入学式の会場から去っていた。
全く……嵐のような女である。
「ふう」
フェリクスも疲れたように息を吐く。
「明るい方でしたわね」
オレリアもそう感想を告げる。
私は彼女の本性を知っているから、別なんだけど……他の人は違うだろう。
天真爛漫で明るい女の子として、ロレッタは映っているはずだ。
貴族の常識をちょっと知らないところもあるが、それは元々は平民なのだから仕方がない。
逆にそういった抜けているところも、貴族からしたら新鮮で可愛らしく見えるんだろうなあと思った。
「…………」
「どうしたんだい? クラリス、さっきからロレッタが歩いていった方をずっと見てるけど……」
「フェリクスはロレッタさんのことを、どう思った?」
急な私の質問に、フェリクスは目を丸くする。
「どうしてそんなことを?」
「な、なんとなく気になって」
「そうだね……まあ呼び方については注意させてもらったけど、あれは追々直っていくと思う。可愛い女の子だとは思う。しかし……」
フェリクスは私の瞳を真っ直ぐ見て、こう口にする。
「クラリスには負けるけどね。やっぱり君が一番だ」
「──っ!」
不意打ちで褒められて、私は即座に返事をすることが出来なかった。
でも安心してはいけない。
前世ではフェリクスは私を裏切って、ロレッタに付いたのは事実だ。
前の彼はロレッタとの間に、真実の愛を見出したのだ。
今回も『物語の強制力』というものが働いて、ロレッタと一緒になるかも……。
そうなったら私……。
『裏切るわけがない。僕は君のことを一生愛し続ける』
そこでふと、あの中庭でずぶ濡れになりながらそう約束してくれたフェリクスの言葉を思い出す。
……そうだ。
今回は前回とは違う。
だから。
「弱気になっちゃダメ!」
私は両頬を自分で叩いて、気合いを入れ直す。
結構な音が立ってしまったので、周囲の人が驚いてこちらを見た。
「ク、クラリス。急にどうしたのかな?」
「なんでもないわ。気にしないで」
弱気になっても仕方がない。
だってそんなことをしていたら、いつの間にか前と同じ道を歩むことになってしまう気がしたからだ。
自分をそう奮い立たせて、私たちも教室に向かった。