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過去 ウィードとベル

 現状から逃げるように部屋に飛び込んだベルは、ベッドに備えてあった毛布を手に取ると頭から被って包まった。


 母がいないことに気付いたのだろう、子どもの咽ぶような泣き声がベルの耳の中を通り、脳裏にまで響く。目を覆うことはできても、救いを求めてくる声は避けようがなかった。


 (同じ、だ。)


 ベルは思い出していた。手を振ってくれた、あの子の小さな手を。


(あの子は、私。泣くことしかできない、無力な、私。……何もできない、私。)


 ベルは涙を手で拭った。


 何の力もない、「まだ人と成していない者」同士、違うのは社会的な立場。


(立場が違うからこそ、私は生きている。)


 あれほどウィードに人はみな同じだと説いていた自分は、いかに無知で愚かだったのであろうか。そして。


(そんな愚かな私を、彼はどんな気持ちで見ていたのだろうか。)


 こんな状況においても、ウィードの気持ちを考えてしまう自分に堪らなく嫌気が差す。


(悲しい。悔しい。辛い。恥ずかしい。吐き出したい。)


 どす黒い、様々な負の感情がベルの心を蝕んでいく。


 世間は残酷だ。強者と弱者を容赦なく隔てるから。

 時間は残酷だ。人の成長に配慮することなく、勝手に進んでいくから。

 人間は残酷だ。自分の為なら、こうやって見捨てることができるのだから。


(私は、切り取られた世界しか見えてなかった。)


 そして、その残酷な世界から切り取られているからこそ、生きていける、無力な私。


(もうやめて!)


 ベルは、声が届かぬように毛布を強く押さえたが、それでも聞こえてくる声と湧き上がってくる感情に、何とか答えを出そうと自問自答を繰り返す。





 どれくらい時がたったのだろうか。

 

 泣き声が聞こえなくなったことに気が付いたベルは、恐る恐る窓の外を覗き込む。あの子の姿はどこにも見当たらなかった。


(どこへ行ったの?)


 窓から見える範囲で探してみたが、見つからない。泣き声の呪縛から解き放たれたベルは、少し落ち着きを取り戻すと、ふぅ、と安堵の息をつく。


(私、今、ほっとした?)


 ベルは胸に手を当ててみる。そして、視界からいなくなっただけで、ちょっとでも冷静になれる自分に嫌悪した。


 見えなくなった事は、問題が解決したことではない。安心したのは、助けなければいけなかった、そんな正義感や責任から解放された、身勝手な気持ち。それは、責任を放棄した、あの子の母親と同じ。ありえない願望を抱いて、あの子を絶望に追いやっているにすぎないのだから。


 あの子供は、森の中で彷徨うことになるのだろう。そして、力無き者が、この先どうなるかは、想像しがたくはない。


 (このままでいいの?)


 ウィードの言う通り、あれは責任の押し付け。何事もなかったように見過ごすこともできるのだろう。しかし、それでは何も変わらない。


 あの子は、絶望の中で歩き出した。例えそれが最悪の選択だったとしても、自分ができる最大限の答えを出した。理由はどうであれ『生きるために』踏み出したのだ。

 

(私は?私は、踏み出せるの?)


 ベルは自らの状況を確認してみる。そして決意した。


(あの子も、あの子の母親も、私も、同じ、人間。無力な人間。違うのは立場だけ。でも。立場が違うからこそ、できることがあるかもしれない。)


 もはや無意味となった毛布を投げ捨てると、身近にある書を手に取った。

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