97 当主が継ぐもの
朝からひどい夢を見た上に、ひどい人物に出会ってしまった。相変わらず気に食わないその男は、グラツィアーノを眺めて面白そうに目を眇める。
「……なんすか」
「別に? ただ、最悪な夢を見たって顔してるなーと」
(なんで分かんだよ。くそ)
自分が分かりやすいのかと危ぶむが、そうではない。
アルディーニ家の当主であるこの男は、金色の目で何もかもを見透かしているのだ。
大袈裟かもしれないが、本当にそんな気にさせられるような洞察力で、人の触れられたくない部分に踏み込んでくる。
「おにーさんが相談に乗ってやろうか。逆に引っ掻き回してやるかもしれないが」
「はあ? 誰があんたに――……」
あからさまな揶揄いを拒もうとするが、グラツィアーノはふと思い直した。
「……じゃあ、ひとつだけ」
「ん?」
二階の客室前に伸びているこの廊下は、吹き抜けになっている一階のエントランスからよく見える。
すでに起きているであろうフランチェスカに見付からないよう、グラツィアーノは端的に切り出した。
「長く続いた家を継いで当主になるのって、一体どんな心境なんすか?」
「……あー……」
アルディーニは目を眇めて笑うと、廊下の手摺りとなっている柵に背を預けた。
「ふうん。なるほどなるほど」
「……今度はなんなんです」
「お前、カルヴィーノの養子にでもなる予定があるのか。ひとり娘であるフランチェスカが後継者にならない場合、お前がカルヴィーノの次期当主になる、と」
「…………」
本当に、忌々しいほどこちらの考えを見通してくる。グラツィアーノは静かに睨みつつ、心の中で後悔した。
(こんなやつに、聞くんじゃなかった)
アルディーニが返して来そうな答えを予想して、尋ねたことを後悔する。
(どうせ『精々頑張ってみれば?』とか、面白半分に囃し立ててくるんだろ)
この男と出会った数ヶ月のあいだに、散々そんな揶揄を受けてきているのだ。グラツィアーノが警戒していると、アルディーニは肩を竦めながらこう言った。
「……他人が築き上げた成果なんて、下手に請け負うものじゃない」
「!」
その言葉に、グラツィアーノは目を丸くする。
「裏社会を牛耳る家の中でも、カルヴィーノ家は特に厄介だ。この国では三百年前、カルヴィーノ初代当主が国王をクーデターから守ったことをきっかけに、裏稼業の人間が王室と結ばれた」
「……」
「三百年経っても不変の信念が、容易くて軽いはずもないだろう? 実子だろうが養子だろうが変わらないさ。ろくでもない、その感想に尽きる」
「……なら」
アルディーニの言葉に警戒しつつ、睨んだままで問い重ねた。
「あんたは何故、当主を務め続けている?」
「――俺の目的に、利用するため」
そう答えたあとに、その男は悠然とした笑みで言う。
「なんてのは嘘で、権力を持つのが気持ち良いから」
「…………」
わざとらしく小首を傾げても、別に可愛くもなんともない。クラスの女子たちが見れば騒ぐだろうが、グラツィアーノには腹立たしいだけだ。
「さすがに今のは、いくらなんでも分かりやす過ぎますけど」
「はははっ!」
心底おかしそうに笑うアルディーニを見て、グラツィアーノは溜め息をついた。
本音のようなものを垣間見せたのも、あからさまな嘘で覆い隠してみせたのも、恐らくは計算尽くなのだろう。
(振り回されるのが分かってんのに、どうしてもまともに話を聞きたくなる。こいつの一挙一動が、どうしようもなく目を引く……くそ、これが人心掌握術ってやつか)
自分の経験の浅さが嫌になる。カルヴィーノの構成員として、大人に負けない修羅場を踏んできた自信はあるのに、この男の前では羽根よりも軽く感じられた。
アルディーニは身を預けていた柵から離れると、階段の方に歩き始めた。
「でもまあ、お前には頑張って欲しいかな。俺とフランチェスカが結婚するにあたって、カルヴィーノの跡継ぎ問題は解消しておく必要がある」
「間違えないでもらえますか? 俺がカルヴィーノ家の養子になる計画は、あくまでお嬢の選択肢を広げる手段のひとつです」
グラツィアーノは立ち止まったまま、アルディーニの背中にこう告げる。
「お嬢が本気で家を継ぐのを拒んだり、あんたと本当に結婚してしまわない限り。カルヴィーノの次期当主はお嬢だけだ」
「……ごめんな」
「!」
その瞬間、グラツィアーノは思わず身構える。
アルディーニが謝罪を述べた瞬間に、辺りの空気が凍り付いたからだ。本能からの警告が、ただちに身を守れと告げている。
「俺はこの先何があっても、フランチェスカを手離すことはない」
「……っ、何を……」
「誰と抗争することになっても。国王の命令に背いても。彼女の大切な人間を、全員殺さなければ手に入らないとしても」
そう言って振り返ったアルディーニは、柔らかな微笑みを浮かべていた。
「お前がカルヴィーノの当主にならない未来は、お前が俺に殺されたときだけだよ」
「……あんた」
グラツィアーノは身構えたまま、先ほどよりも強くアルディーニを睨み付ける。
「やっぱりどう考えても、お嬢を幸せに出来そうもない人間だな」
「ははっ。奇遇だな、俺もそう思う」




