93 どうか見せ付けて
「だったら気合い入れて守ってやりな。うちの幹部の連中には、若者同士の青春を見守るように伝えておくから。サヴィーニ侯爵閣下にもね」
「ありがとうございます、是非とも。出来れば皆さんには俺の方を応援してもらえると、非常に心強いのですが」
「そんな野暮なことはするもんか。恋仇とは正々堂々とやりあうもんだろう?」
(そうだよね。ソフィアさんも、レオナルドの言葉を本当に信じた訳じゃない)
けれど、社交上は重要なやりとりなのだ。
(必要なのは、『他の人たちを納得させるための言い訳』だ。ソフィアさんはレオナルドを知っているから、嫉妬心のためなんて言葉は信じない。……だけどサヴィーニ侯爵やラニエーリ家の人たちは、所詮子供のすることだって笑ってくれる)
もちろん、ソフィアだってレオナルドやフランチェスカを警戒していない訳ではないだろう。
だからこそ、疑っていることを率直に口に出し、『ラニエーリ家はそちらを監視している』という警告を残したのだ。
「頑張りなね、お嬢さん。男連中に囲まれてうんざりしたら、いつでもここに遊びに来な」
ソフィアは立ち上がると、フランチェスカに向けてにこりと笑う。
「それからおめかししたい時もね。可愛くしてあげる」
「……はい!」
ソフィアはやっぱり格好良い。フランチェスカは引き続き、ソフィアに憧憬のまなざしを注ぐのだった。
***
ソフィアの別荘を後にしてから、一時間ほどが経ってからのこと。
湖に浮かんだ木舟の上で、周囲の景色に目を奪われながら、フランチェスカは声を弾ませていた。
「すごいすごい、さすがはグラツィアーノ! スキルを使ってる訳でもないのに、ぐんぐん舟が進んでいくね!」
「別に。舟にお嬢ひとりを乗せて漕ぐ程度、ちょっと鍛えればどうってことないです」
向かいに座ったグラツィアーノは、先ほどから淡々とオールを漕いでくれている。シャツの袖口を捲っているから、その腕に形のいい血管の筋が浮かび上がっているのがよく分かった。
「ソフィアさんにお礼を言わなきゃ。こんなに素敵な舟を貸してくれるなんて」
ラニエーリ家が所有しているこの舟は、全長四メートルほどの手漕ぎ舟である。
鮮やかなターコイズブルーに塗られた船体は、座席にふわふわのカーペットが敷かれていた。シルクのカバーに包まれたクッションが置かれ、舟の中にあっても快適に過ごせる造りだ。
あちこちに花が飾られており、テーブルにはフルーツも載っている。日傘を差して座るフランチェスカは、きらきらと輝く湖面に目を向けた。
「森から鳥の声がする。水がエメラルド色に透き通って、すごく綺麗だね!」
「お嬢、はしゃいで湖に落ちるとか勘弁してくださいよ。そんなに身を乗り出したら危ないです」
「大丈夫。護身術の一環として、着衣水泳の方法も完璧に身に付けてるから!」
「そういう問題じゃないでしょ、俺が当主に殺されます。はーまったく、何が何でも守んねーと……」
少々生意気な口ぶりは、いつも通りのグラツィアーノだ。そんな様子を確認できてほっとするも、グラツィアーノが口を開く。
「俺とふたりだけで良かったんですか? ……アルディーニとセラノーヴァも、本当は誘いたかったくせに」
「……」
この湖にやってきたのは、フランチェスカとグラツィアーノのふたりだけだ。弟分の問い掛けに、フランチェスカは首を横に振った。
「……ううん。私、グラツィアーノとふたりだけで話したかったの」
こうして湖に出て来たのは、内緒話にうってつけだからだ。周囲に人がいないことを、これほど明確に確認できる環境も無い。
広い湖の水面にいるのは、フランチェスカたちだけだった。
「平気じゃなかったでしょ。グラツィアーノ」
「……」
何を指しての問い掛けなのか、グラツィアーノは察したはずだ。
(ルカさまからの命令を受けたあとは、お父さんのことなんて気にしてないって言ってたけど)
けれどもやはり、簡単に切り捨てられるはずもない。
(侯爵と話したときのグラツィアーノは。……小さい頃に初めて出会ったあのときと、おんなじ目をしてた)
「……お嬢」
グラツィアーノは櫂を漕ぐ手を止め、フランチェスカを正面から見据える。
「俺に、引き下がれと命じるつもりですか?」
そう問い掛けたグラツィアーノは、ぐっと苦しそうに眉根を寄せた。
あまり表情を変えないように振る舞う彼が、露骨に感情を表すことは珍しい。
特に、フランチェスカの前では尚更だ。
「そうだとしても。俺は……」
「違うよ。グラツィアーノ」
そう言い切ったフランチェスカに、グラツィアーノが目を見開く。
「私はちゃんと知ってるもの。グラツィアーノは強くて勇気があって、怖いものにだって立ち向かえる子だって」
「……!」
小さかったグラツィアーノは、心も体もたくさん傷付いた。
それでも大人たちに抵抗し、諦めなかったからこそ、生きてここに居てくれている。
「グラツィアーノが十歳のとき、私が誘拐されそうになったのを見て、覚醒したスキルで助けてくれたよね」
「……」
「グラツィアーノはどんな状況でも、逃げたりしないって分かってる。だったら」
フランチェスカが告げられるのは、国王と当主からの調査命令に背き、父親から逃げろという命令ではない。
「私に出来るのは、グラツィアーノの背中を押すことだよ。グラツィアーノが挑むための理由になって、怖さを誤魔化すためのお守りにもなる」
「……お嬢」
「グラツィアーノが一番強いのは、私のために頑張ってくれるときだもん。だから、グラツィアーノ」
日傘を畳む。
「お父さんになんか負けないで」
遮る影のない視界の中で、フランチェスカはグラツィアーノを見据えた。
「――守り抜いて死なせないことで、グラツィアーノが私の最高の従者だって、あなたを捨てた人に見せ付けて」
「――――!」