88 恋人の作戦
フランチェスカがぱちぱち瞬きを重ねれば、女性たちは肩を竦める。
「あらら。バレちゃったわあ」
(嘘だった……!!)
があんと衝撃を受けたフランチェスカに、女性たちは「ごめんねえ」と微笑み掛ける。
「だってあなたのお父さまったら、私たちを近付けてすら下さらないんだもの。娘さんとお友達になれれば、ご贔屓にしてもらえるんじゃないかしらって」
「でもでも、フランチェスカちゃんが可愛いのは本当よう? こんな妹が居たらなって、そう思うものお」
やっぱりそう上手くはいかないらしい。しゅんと項垂れたフランチェスカを守るように、レオナルドがそっと頭を撫でてくれる。
「まったく、俺の婚約者は純粋だな。裏社会の駆け引きから隔離されて育っているものだから、何も知らない」
(レオナルドからはつい数ヶ月前、『骨の髄まで裏社会の人間』って言われたばかりだけどね!)
けれどもこれは作戦だ。フランチェスカはあくまでこの森において、『我が儘を言って遊びに来ただけの令嬢』として振る舞わねばならない。
誰が殺し屋なのか分からない以上、味方以外は全員欺く覚悟が必要なのだ。
「そんな訳でレディたち。俺の婚約者を離してやってくれないか」
「ええー。でもお」
女性のひとりは悲しむふりをして、わざとフランチェスカをぎゅっと抱き締める。するとレオナルドは目を細め、少しだけ低い声音で言った。
「たとえ麗しい美女相手でも、俺以外の人間に触れさせたくない」
「……まあ、怖ーい……」
女性たちはそそくさとフランチェスカから離れたが、部屋を出る際にひらひらと手を振ってくれた。
「またねえ、フランチェスカちゃん」
「お父さまによろしくね?」
「は、はい! また!」
友達にはなってもらえなかったものの、フランチェスカはどきどきしながら返事をした。前世も含め、男性ばかりに囲まれて生きてきたため、同性にやさしく接して貰った経験が乏しいのだ。
向かいに座ったソフィアは、くすくすと肩を揺らしながら口を開く。
「うちの自慢の妹たちが、失礼なことをしてすまなかったね。アルディーニもそろそろ座ったらどうだい?」
「ええ、お言葉に甘えます。それでは」
レオナルドはソファーの左側、フランチェスカの横に腰を下ろした。そしてフランチェスカを見遣ると、愛おしそうに目を細める。
「……これでようやく、君の隣にいられる」
(あ! そうだった!)
口説き文句のような言葉を聞き、フランチェスカは思い出す。
『ラニエーリの前では、俺は君にベタ惚れの婚約者として振る舞おうと思う』
『へ?』
この屋敷までの道すがら、蝉の声が響く森を歩きながら、レオナルドはそっと耳打ちをしてきたのだ。
『何しろ俺の設定は、「アルディーニ当主としてではなく、あくまで友人に連れてこられた学生としてここに来た」というものだろう?』
レオナルドの言う通りだ。なにしろグラツィアーノの父を殺す殺し屋は、この森に招かれる賓客に紛れている。
殺し屋を油断させて見付け出すためには、レオナルドたちは五大ファミリーの当主や次期当主としてではなく、『我が儘なご令嬢に付き合わされた同行者』でいてもらわなければならないのだ。
『友達ではなく恋人とした方が、俺が家の事情を抜きにして動くだけの説得力になる』
『「友達と遊ぶために」なんて動機、何よりも説得力のある理由付けじゃないの?』
『ははは、それは人の価値観によるか。だけど世間一般では、恋人の方が納得されやすい』
そんな風に説明されたものだから、ついつい頷いてしまった。
世間的な『友達』はもちろん、『恋人』についてもよく分からないフランチェスカは、レオナルドの説明を鵜呑みにするしかないのだ。
「レオナルド」
「川原で遊んでいるときも、君を独り占めする訳にはいかなかったからな。大勢と遊んで楽しそうな笑顔はもちろん愛らしいんだが、無理矢理にでも手に入れたくなってしまって困る」
レオナルドの指はフランチェスカの髪を撫で、指で掬って口付ける。
上目遣いにこちらを見て、それから表情を綻ばせるのだ。
「……離れて見ていても可愛いのに、近くで見詰めるともっと可愛い」
「!」
レオナルドが普段見せるような、すべてを計算した笑みではない。
レオナルドは混じり気のない微笑みを浮かべていた。いまだって作戦中のはずなのに、声音もまなざしもやさしいものだ。
「あっはっは! 見せ付けてくれるじゃないか」
楽しそうに笑ったソフィアが、手にしていた煙草の灰を灰皿に落とした。
「あのアルディーニの若当主が、ついに本気のお相手を見付けたとは。随分と過保護について回るものだと思ったけれど、ベタ惚れの噂は事実のようだね」
「それはもちろん。フランチェスカに頼まれるまでもなく、彼女の傍にいられるなら何処にでも行きますよ」
(よかった。計画通り、レオナルドはあくまで私の同行者だって映ったみたい)
その体裁が浸透してくれれば、誰もフランチェスカたちが『暗殺事件の調査と妨害』のためにやってきたなどと疑わないだろう。
「なあ? フランチェスカ」
「え!? あ、うん。えーっと……」
レオナルドのまなざしが、言外に『ちゃんと合わせて』と言っている。どこか揶揄うようでもあるが、フランチェスカは覚悟を決めた。