74 『幼き』王さま
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ゲームのメインストーリーでは、章ごとに主役として描かれるキャラクターが違っている。
ゲームシナリオにおける『二章』のメインキャラクターは、この世界におけるフランチェスカの弟分グラツィアーノだった。
(この世界とゲーム世界は違う。第二章での違いのひとつ目は、ゲーム主人公にとってのグラツィアーノは、数ヶ月前に初めて会ったばかりの人物だっていうこと)
ゲームのフランチェスカは家から遠ざけられ、遠い街で暮らして、十七歳のときにこの王都へと戻ってくる。一方グラツィアーノが拾われるのは、幼いフランチェスカが追い出された後だ。
そのためゲームのグラツィアーノは、『生意気で無愛想。フランチェスカに冷たい態度を取る、接しにくいお世話係』なのだった。
(だけど……)
父について王城の廊下を進みながら、フランチェスカは振り返った。
フランチェスカの後ろを歩いていたグラツィアーノが、顔を上げて瞬きをする。
「?」
(んふふ。不思議なものを見てるときの猫も、あんな感じで首をかしげるよね)
その様子は一見すれば無愛想だが、実際はちゃんと気を許してくれている様子が窺えた。
「なーんすか。お嬢」
グラツィアーノはフランチェスカのすぐ後ろに並ぶと、小さな声で囁いてくる。
「人の顔見てにやにやと。ご機嫌ですね」
(いけないいけない。正直に言ったらグラツィアーノが拗ねちゃう)
可愛いものに例えることは厳禁なので、フランチェスカはふるふると首を横に振った。
「な、なんでもないよ。今日のグラツィアーノこそ、いつもよりご機嫌なんじゃないかなと思って!」
「俺が?」
「最近なんだか不機嫌というか、複雑そうな顔してること多かったでしょ? きっと、私がレオナルドと一緒にいるからだよね」
「…………」
レオナルドの名前を出した途端、すん……とグラツィアーノが目を細める。
「別にそんなことないっすけど? ちっとも。全然。まったくもって」
(どう見ても大正解だけど……!?)
「フランチェスカ。グラツィアーノ」
数歩先の父が歩きながら、フランチェスカたちを振り返った。その視線を受け、グラツィアーノとふたりで背筋を正す。
「間も無く謁見の間だ。陛下に拝謁する準備はいいな?」
「陛下にお会いするの、久し振りだから緊張するけど……大丈夫だよパパ! ね、グラツィアーノ」
「俺はまだ、自分がなんで呼ばれたか分かんない気持ちもありますね。当主、本当に俺が国王陛下のお目に掛かってもよろしいのですか?」
「構わない。今回の件はグラツィアーノ、当家ではお前が最も適任だ」
「……?」
怪訝そうなグラツィアーノとは対照的に、フランチェスカは知っている。グラツィアーノが『適任』である理由は、この後すぐに明らかになるのだ。
重厚な扉を前にして、父が静かに立ち止まる。
「――これより陛下に拝謁する」
父は正装の手袋をぐっと引き嵌め直すと、扉の横に立つ王城警備員に視線を送る。
彼らが両開きの扉を開け放せば、その向こうには大理石の空間が広がった。
金色に輝く玉座に向かって、赤い絨毯が伸びている。
階段の前に跪いている人物の背中は、フランチェスカたちもよく知る人物のものだ。
(レオナルドだ!)
どうやら彼の方が先に着いて、フランチェスカや国王を待っていたらしい。
父は意外そうな顔をし、グラツィアーノはあからさまに嫌そうだ。ふたりの様子に苦笑しつつも、フランチェスカは父のあとについて謁見の間を進んだ。
(こういう会合では、いつもわざと遅れてくるのがレオナルドだもんね。さすがに国王陛下にはそうしないのかな?)
レオナルドの隣に父が跪く。フランチェスカもそれに合わせ、父の後ろで両膝をついて頭を下げようとした。そのとき、レオナルドがさりげなくこちらを振り返る。
「!」
フランチェスカに送られたのは、ささやかなウィンクだ。
(目配せの合図! すごい、こういうのも友達っぽい……!!)
ぱあっと笑顔を作ったら、ウィンクの返事はそれで十分らしかった。
レオナルドが笑いを堪えるような表情のあと、再び前を向く。フランチェスカも目を瞑った後ろでは、グラツィアーノも跪く姿勢を取ったはずだ。
やがて奥の扉が開き、靴音が響いた。
小さくて軽い足音が、こちらに近付いて来る。やがて玉座に掛けたあとで、王の声がした。
「――よく来たな。お前たち」
そのくちびるから紡がれる声音は、高くて柔らかい音を持つ。
一国の王と聞いて想像するような、成人男性の声ではない。女性のものにも聞こえそうな、透き通った少年の声だ。
少年の声は、まずフランチェスカの父にこう問い掛けた。
「顔を上げろエヴァルト。ここしばらく臥せっていたお前が、どれほど元気になったか見せておくれ」
「は、陛下。……私めを気に掛けていただいたこと、痛み入ります」
「うん。顔色も以前より良くなった、もう心配はなさそうだな。可愛い娘のためとはいえ、あまり無理をするものではないぞ?」
幼い子供の声が述べるのは、フランチェスカの父を案じつつ、子供のように扱う言葉だ。
「それとアルディーニの若造。お前も随分無茶をしたと聞いている」
「滅相もございません陛下。陛下の忠実なる臣下として、当然の働きをしたまでですので」
「ははっ。この国の王である私の前で、こうも堂々と戯言を口にするのもお前くらいのものだぞ」
(うん。私も嘘だと思う……)
頭を下げつつ考えているフランチェスカに、少年の声音が告げた。
「フランチェスカよ。学校は楽しいか?」
「はい、陛下。お友達が出来て、毎日とても充実しています」
「ははは、何よりだ。幼子は日々健やかに、遊びながら学んでいってこそだからな」
(幼子……!)
「お前の世話係も、少し見ない間に背が伸びた。子供はやはり成長が早い」
「勿体無いお言葉です、陛下」
少年の声で『子供』と呼ばれても、グラツィアーノが機嫌を損ねる気配はない。
この国の王は膝下を見渡すと、高く澄んだ声で告げた。
「さあ、青二才に若造に幼子たち。畏まることはない、元気な顔を見せておくれ」
その言葉に、フランチェスカたちは顔を上げる。
目の前の玉座に腰掛けているのは、声から想像する通りの少年だ。
八歳くらいの見た目をした男の子が、小さな玉座に堂々と座っている。
さらさらした髪は桜色で、短く切り揃えられていた。その頬は柔らかな輪郭を描き、端的にいえはぷにぷにとしていて、その手足は華奢だ。
大きな瞳に長い睫毛と、ちいさなくちびる。絶世の美少年であるこの少年こそ、この国の国王ルカ・エミリオ・カルデローネ九世だった。
けれども彼は、見た目通りの八歳の男の子などではない。
「みな楽にしていいぞ。菓子でも食うか? こちらにおいで、子供たち」
「陛下。お言葉は有り難いのですが、直々に賜るのは娘たちにとって恐れ多く――……」
「遠慮するなエヴァルト。お前も昔はよく私が、たくさん菓子をやっただろう?」
国王ルカはそう言って、くすくす笑う。
「ここにいる子供たちは皆――百年生きるこのじじいからしてみれば、可愛い孫みたいなものだ」
信じられないことではあるが、ルカは八歳の見た目でありながら、中身は百十二歳なのだそうだ。