73 どきどきの夏休み
【1章】
七月も終わりに近付いた、とある水曜日の午後のこと。
「終わっ、たあ…………!!」
中庭の木陰に座ったフランチェスカは、握り締めた両手の拳を青空に突き上げて、心から喜びの声を上げた。
隣に座ったレオナルドは、そんなフランチェスカを楽しそうに眺めている。
夏服のシャツのボタンを外し、相変わらずネクタイを緩めた彼は、フランチェスカの前に右手を翳した。
「期末テスト無事終了、まずはお互いの労をねぎらおう。ほらハイタッチ」
「わあい、お疲れさま!」
ぱあんと小気味良い音を立てて、レオナルドと開放感を分かち合う。
この学院は先ほど、三日間続いていたテスト期間が終了したのだ。
「その様子なら、結果は上々だったみたいだな」
「うん! 今回はかなり手応えがあったの。レオナルドのお陰だね」
「ははっ! それは何より」
レオナルドはそう言って目を細め、心の底から満足そうに笑ってくれる。
あまりにもやさしい微笑みだったので、フランチェスカはどきりとした。
(本来なら私の成績なんて、レオナルドには無関係のはずなのに。……私のテストに、こんなに親身になってくれるなんて……)
どきどきと高鳴る胸を押さえ、深い幸せを噛み締める。
(………………やっぱり、『友達』ってすっごく良い………………!!)
「うーん。いま何を喜んでくれているのか、大体分かる表情だなあ」
じいんと胸を震わせる中、レオナルドが何事か呟いた。よく聞こえずに彼を見上げると、「なんでもないよ」と告げられる。
「勉強を教えてくれたんだから、レオナルドにお礼をしなくっちゃ。何がいい?」
「夏休み、俺に構って遊んでほしい」
「夏休み!」
心が沸き立つその言葉に、フランチェスカは胸の前で手を組んだ。
「夏休みに私と遊んでくれるの!?」
「それはもちろん。なにせ、俺は君の『友達』なんだからな」
「トモダチ……!!」
ふるふると震えたフランチェスカは、自分の両手で頬を押さえる。
「ともだち。うれしい。うれしい……」
「ははは! フランチェスカは本当に可愛いな。こんなことで喜んでくれるなんて」
レオナルドの大きな手が、ぽすんとフランチェスカの頭に乗せられた。月の色をした金色の瞳は、見守るような色を帯びている。
「このままずっと、君を喜ばせ続けてやりたい」
「?」
フランチェスカは首をかしげるものの、『夏休み』の計画を考えなくてはと気を取り直した。
(学院で迎える夏休み。友達と初めての夏休み! 行きたいところもたくさん、やりたいこともたくさん、レオナルドのやりたいことも全部叶えてあげたいけど……)
ここがゲーム世界である以上、もちろん懸念事項はある。
(ゲームシナリオの第二章。夏休み期間を中心にしたこのシナリオは、一章よりもずっと重苦しい)
それを思うと、どうしても憂鬱になってしまった。
(――だって、ゲームではこの章で人が死ぬんだ)
考えるだけで悲しくなり、フランチェスカはそっと俯く。
この王都を裏で取り仕切るのは、五つからなる裏社会の巨大ファミリーだ。
つい一ヶ月前、五大ファミリーのひとつであるセラノーヴァ家の当主が身柄を拘束された。
現在は、まだ十七歳の嫡男リカルドが当主となるべく進められている。その理由は、彼の父ジェラルドが『血の署名』に背き、王都に薬物を撒く事業を行ったからだ。
(私が知っているゲームシナリオでは、レオナルドが黒幕だとされていた。だけど、現実はそうじゃない)
その事実は恐らく、前世ではまだ配信されていなかったシナリオで明かされる。
ゲームの途中までしか遊べていないフランチェスカは、本当の黒幕を知り得ない。
(真の黒幕には他人を洗脳するスキルがある。私が普段信頼している身近な人が、黒幕側の人だって分かることも有り得るけれど……)
この一ヶ月、フランチェスカは度々悩んでいた。
レオナルドにすべてを明かし、協力しあうべきではないかと考えたからだ。
前世の記憶があることや、この世界が前世で遊んだゲームシナリオに沿っていることも含めて、レオナルドに共有した方がいいように思えた。
けれどもその際のレオナルドは、フランチェスカが重大な何かを打ち明けようとしたことを察知したのか、フランチェスカのくちびるに人差し指を当てて言ったのだ。
『フランチェスカ。俺に君の「切り札」について話そうとしているのなら、今はやめておいた方がいい』
『レオナルド? どうして……』
『敵は相手を洗脳するんだ。俺にもしものことがあった場合、君の秘密を守れなくなる恐れがある』
『……私の持っている残りのスキルについて聞いてこないのも、それが理由?』
『ははっ、君だってそうだろう。俺が他にどんなスキルを持っているか、把握しようとはしなかった』
レオナルドの見抜いた通りなので、フランチェスカはぐぬぬと押し黙った。
『お互いの秘密は、お互いのためにも守っておこう。不可抗力で知ってしまうのは仕方ないにせよ、弱みは潰しておいた方がいい』
『レオナルドは、これからも黒幕を探し続けるんだよね?』
『……』
その瞬間、レオナルドはふっと笑みを消して、何処か遠くを見るように目を眇めた。
『……そうだな』
レオナルドの父と兄が亡くなった日のことを、フランチェスカは彼の口から聞いている。
(そのときには、話してはくれなかったけれど)
レオナルドは、その一件について手を引いた人物が、王都で暗躍している黒幕と同じではないかと考えているのだ。
『何よりも、そいつは君を……』
『私?』
『いや。こちらの話だ』
そのときは話が終わったのだが、結局のところフランチェスカは、レオナルドにこの先起こる出来事を伝えられていない。
(二章で起こる出来事で、殺されてしまう人がいる。黒幕の存在に近付きたいのは勿論だけれど、その人を絶対に死なせたくない。だって、殺されてしまうのは……)
フランチェスカは、とある人物の姿を思い浮かべる。
そのときちょうど、裏庭を囲う校舎の影から、ひとりの人物が姿を見せた。
「お嬢」
「グラツィアーノ!」
フランチェスカの弟分は、隣にいるレオナルドを丁寧に一度睨み付ける。一方のレオナルドは楽しそうに笑い、グラツィアーノを相手にしていない。
「一年生もテスト終わった? お疲れさま!」
「いえ、寝てたんでまったく疲れてないです。そんなことよりもお嬢、当主からの伝言が」
その言葉に内心ぎくりとした。グラツィアーノが口にしたのは、フランチェスカが想像した通りの言葉だ。
「今日これから、王城へ登城するようにとの命令が下ったそうです。当主と、俺と……お嬢もだって」
「命令、って」
「呼び出し先が王城ですから、それはもちろん」
グラツィアーノは溜め息をついて、ゲームシナリオ第二章で登場する存在を口にした。
「この国の、『国王陛下』がお呼びです」
(……やっぱり、シナリオが始まっちゃうんだ……)
確実に迫り来る運命に、フランチェスカはくちびるを結ぶ。
「…………」
そんなフランチェスカの様子を、レオナルドは静かに見据えていた。
***