69 友達との約束
ジェラルドは腹部を手で抑え、苦悶の表情で床をのたうち回った。
「くそっ、なんだ、この痛みは……!! 貴様は、これほどまでの傷で、平然と振る舞っていたというのか……!?」
「……フランチェスカ」
どこか朦朧とした空気を纏い、レオナルドがこちらを振り返る。
「行こう、フランチェスカ。こいつはもう放っておいても出血で死ぬ、それよりも早く君を……」
「レオナルド、これ持って!!」
「!!」
フランチェスカは、氷を溶かしたバケツからハンカチを取り出すと、それをレオナルドに押し付けた。
「口元に当てて!! 煙を吸わないよう、ごほっ、身を低くして……」
「待て、フランチェスカ。君は一体何を……」
「おじさまの応急処置に決まってるでしょ!!」
同じくバケツから取り出したのは、アルディーニ家の構成員に用意してもらった包帯だ。
ジェラルドのシャツを大雑把に開き、真っ赤に染まった傷口に顔を顰める。水に濡らした包帯で、すぐさまジェラルドの腹部を巻いた。
「まさか、そいつを生かすつもりか?」
「そう! 水に濡らしたサラシは、ぎゅっと巻くとコルセットみたいに頑丈になるの!! 防刃にも使えるくらい硬くなるし、少しは止血に役立つはず……げほっ、こほ……!!」
「そんなことをしても意味がない。セラノーヴァはここを出たあとに、掟に背いた責任を取る」
「たとえおじさまが、血の署名に背いた粛清で死ななきゃいけないとしても……!!」
ジェラルドはよほど傷が痛むのか、すぐにぐったりして動かなくなった。ぎゅっと包帯の端を結び、煙が染みてきた目を擦る。
「ここでは死なせない。おじさまが生きてないと、レオナルドが黒幕じゃないって証言をしてもらえない……!!」
「……フランチェスカ……」
「この銃創で動きを封じられた、いまはそれで十分なはずでしょ!? レオナルドは先に行って! 私はおじさまを避難させて……」
「……っ」
レオナルドは顔を顰めたあと、ジェラルドの首根っこを掴んだ。
「こいつをこのまま窓から捨てるぞ」
「!!」
「大丈夫だ、落下の衝撃じゃ死なない。……防御スキルが効いている、セラノーヴァは助かる……」
レオナルドはそう言って、一気にジェラルドを引き上げる。そして、窓の外にジェラルドを投げ落とした。
そしてレオナルドは、どさりと床に座り込む。
「……っ、は……」
「レオナルド!!」
顔色が悪い。平気そうに振る舞ってはいたが、限界が来たのだろう。
それは当然で、たとえ銃創をジェラルドに移したとしても、失われた血は戻っていないのだ。急いで駆け寄ったフランチェスカは、レオナルドの体に腕を回した。
「ごめんね、レオナルド。痛くて、苦しかったよね……!?」
炎が間近に迫ってきて、肌の表面が焼けるように熱い。煙を吸わないように身を低くしたまま、レオナルドの腕を自分の肩に乗せる。
「あとは絶対に、私がレオナルドを守るから。何があっても、助けてみせる……!」
「……君の、その表情」
レオナルドがゆっくりと目を開いて、ふっと柔らかく微笑んだ。
「かわいいな。フランチェスカ」
「え……」
場違いなほどに穏やかで、余裕のあるまなざしだ。それどころではないはずなのに、フランチェスカは思わず息を呑む。
「俺のために泣きそうになっているその顔が、どうしようもなく愛おしい」
「な……」
「絶対に守ると誓うのは、君ではなくて俺の方だ」
目を丸くしたその瞬間、ふわりとフランチェスカの体が浮いた。
「う、わああああっ!?」
そしてレオナルドは、先ほどジェラルドを落としたのとは別の場所にある窓へ、フランチェスカを横抱きにして歩いてゆく。
「俺にしっかり掴まってろ。絶対に離すなよ、フランチェスカ」
「駄目!!」
レオナルドは、フランチェスカを抱いたまま飛び降りるつもりなのだ。
恐らくは、自分が盾になる気でいる。それが分かって青褪めた。
「降ろしてレオナルド!! いくら炎が迫っていても……っ」
ここは建物の三階だ。こんな体勢で飛び降りたら、受け身も取れずに死んでしまう。
けれどもレオナルドは、どうしてかフランチェスカの額にキスをしたあと、囁くような言葉を口にするのだ。
「大丈夫だ。……君は、君自身の持つ強い力のことを、もっと信じた方がいい」
「ひゃ……」
直後、落下の感覚が身を襲った。
落ちている。咄嗟に瞑った目が開けないまま、フランチェスカはレオナルドの頭に手を伸ばした。
(せめて、私がレオナルドのための受け身を取らなきゃ……!!)
そう覚悟して、ぎゅうっと彼を抱き締める。耳の傍でくすっと笑う声がした、そのあとのことだ。
「――っ!!」
どすん、という衝撃に息を詰める。
恐ろしさに身が竦んだのは、落下の恐怖によるものではない。レオナルドが怪我をしてしまったかもしれない、そのことが恐ろしかったからだ。
「レオナルド……!!」
急いで目を開けたフランチェスカは、目の前の光景に驚いた。
「え……?」
フランチェスカたちが落下したのは、屋敷の庭である芝生だと思っていた。
けれども実際は、そうではなかったのだ。そのことを理解して瞬きをしたフランチェスカは、その人物の名前を呼ぶ。
「……リカルド……?」
「っ、間に合ったな……!!」
防御スキルを発動させたリカルドが、レオナルドとフランチェスカを受け止めてくれている。
雨の降りしきる中、ふたり分を受け止めたリカルドは、数秒置いたあとでどしゃりと芝生に崩れ込んだ。
レオナルドはそんな瞬間さえも、フランチェスカを大事に守るよう抱き込んでいて、フランチェスカはどこもぶつけることはない。
「どうしてリカルドがここに!? それにレオナルド、これが分かってて……」
「こいつの親父を投げ落としたとき、窓の下に姿が見えたんだ。……セラノーヴァの次期当主どのが、この状況でやるべきことが分からないほど馬鹿じゃないことくらいは知っていた」
降ろしてもらったフランチェスカは、まずはレオナルドを助け起こす。続いて泥だらけになったリカルドを起こそうとすると、リカルドは右手でそれを制した。
「大丈夫だ。……俺の防御スキルで、なんとか衝撃を殺すことが出来てよかった」
「セラノーヴァはどうなった?」
「お前が屋敷の右手に落としたのを見て、アルディーニの構成員が急行した。優秀だな」
「はは。当然」
自力で身を起こしたリカルドは、神妙な面持ちでフランチェスカたちのことを見遣る。
「父が本当にすまなかった。君に示してもらった各種の証拠品は、信頼出来る人間によって国王陛下の元に提出してもらっている」
「リカルド……」
彼の心境を想像して、フランチェスカは胸が締め付けられた。
「リカルド、ごめんなさい。お父さんを……」
「構わない。寧ろ、感謝している。……だからこそ、この屋敷に戻ってきたんだ」
「言っただろ、フランチェスカ」
浅い呼吸を繰り返しながら、レオナルドは笑う。
「これこそが、君自身の持つ強い力だ。――俺たち裏社会の悪党は、君の持つ圧倒的な眩しさに惹き付けられて、君のために動きたくなってしまう」
そんな大袈裟な言いように、フランチェスカは困ってしまった。
「私にそんな力は無いよ。レオナルドもリカルドも、みんながそれぞれ自分の信念とやさしさに基づいて行動してくれたんだってそう思ってる。……それに」
思わず涙が滲んだのを、ぎゅうっとレオナルドに縋り付いて隠した。
「レオナルドが、死なないでくれてよかった……」
「……フランチェスカ」
心臓の音が響いていて、彼が確かに生きている。
そのことを確かめて、泣きたいほどに安堵する。
「あんな無茶なこと、もうしないで。……レオナルドが友達でいてくれるなら、私の願いなんて叶えてくれなくていいから……」
「……」
彼の黒いシャツに触れたフランチェスカのドレスが、赤黒い汚れにすぐさま染まった。これほどまでの血を流しながら、レオナルドは戦ってくれたのだ。
「約束して。……おねがい、レオナルド」
どうにか抑えたいと思ったのに、どうしても泣き声が滲んでしまう。
「……レオナルドが居なくなると思っただけで、すっごく、すごく怖かった……」
「――――……」
そう告げると、大きな手に頭を撫でられた。
「約束する。フランチェスカ」
そして、柔らかく背中を抱き返される。
「俺は、俺自身がこうあるべきだと思う生き方を選ぼう。――君を泣かせる者は、俺自身を含めて誰も許さない」
これまでで一番真摯であり、恭しいものに捧げるかのような声音が、フランチェスカの耳元で紡がれる。
「君に誓う」
「……う……」
その約束に安心して、振り続ける雨の中、フランチェスカはいよいよ泣きじゃくった。
「っ、うわああん……!!」
隣で聞いていたリカルドは、きっと呆れたに違いない。申し訳ないとも思うけれど、どうにも溢れて止まらなかったのだ。
大切な友達を、失わずに済んだ。
こうして泣いてしまうことで、その友達を非常に困らせている自覚はあるのだが、結局のところしばらくは止められなかったのだった。
***
「――病院に行って当主に報告をしましょう、シモーネさん」
カルヴィーノ家の最年少構成員であり、愛娘フランチェスカの世話係であるグラツィアーノは、屋敷の外から共に監視していた構成員にそう告げた。
「お嬢は無事。セラノーヴァ当主は、アルディーニの構成員のスキルによって拘束。アルディーニも、出血多量で衰弱しているように見えるものの、表向きはなんでもなさそうに振る舞ってるって内容で」
「はいよ。やれやれ、お嬢も無茶をする。なんとかなって良かったぜ」
何が良いものかと、グラツィアーノは顔を顰めた。
「うちの当主が撃たれたんですよ? そんな中アルディーニなんかを助けるために、お嬢が屋敷に戻るなんて。中で何があったか知りませんけど、『未申請の人間が屋敷に立ち入った場合はそのファミリー全員を粛清』なんて掟が無ければ、問答無用で引き摺り戻してました」
「そう言うな。耐えるしかないだろう? なんせあれもお嬢の信念だ。お嬢は、ご自分の婚約者を守ろうとなさったんだろう」
構成員は、レオナルドに抱き付いてわんわん泣いているフランチェスカを微笑ましそうに見遣る。
「――まったく。強いお人だよ」
「……」
言葉に出して同意するのがあまりにも癪で、グラツィアーノは代わりの悪態をついた。
「……俺は、あんなやつがお嬢の婚約者だなんて、認める気は無いですけどね」
「お。なんだなんだ? まさかお前が決闘でもして、アルディーニからお嬢を奪うか? そうなりゃお嬢がお前のお嫁さんだなあ」
「…………」
先輩構成員は冗談めかして笑ったあとに、再びフランチェスカを見遣った。
「危ないことをしたのは褒められねえが、それでも胸を張って誇ろうぜ。……さすがはうちの当主の愛娘であり、俺たちの自慢のお嬢じゃねえか」
「――――……」
グラツィアーノは溜め息をつき、当主の運び込まれた病院の方向へ歩き始める。
「ま。そうですね」
「おーい。お嬢も連れて行ってやらなくていいのか?」
「やめときましょ。お嬢のことですから、アルディーニも当主と同じ病院に入れるって言い始めて、ここからの見舞い期間が最悪なことになりそうなんで」
「ははっ。違いない」
そうしてしばらく進んだあと、もう一度だけフランチェスカたちの方を振り返る。
フランチェスカを抱き寄せ、あやすように触れている男をじっと見据えたあと、小さな声で呟いた。
「……婚約者を奪うための決闘、ね」
そしてグラツィアーノは、再び歩き始めるのである。




