65 奪う側の人間
ジェラルドが、こちらを睨み付けながら立ち上がる。
「若造が……!!」
(……気取られるな)
呼吸の乱れひとつ取っても、ジェラルドに勘付かせる気はない。レオナルドは余裕の表情を取り繕って、窓の外を一瞥する。
ここからでは死角になっていて、屋敷の入り口は窺えない。それでも、周辺に待機させていた部下たちが、慌てて門へと駆け寄って行くのが見えた。
(フランチェスカは、父親を連れて外に出たな)
それを確かめ、心の底から安堵した。
「……さて。『黒幕』殿の情報を探れるかと期待したが、あんたじゃ役に立たなさそうだ」
「黙れ……殺す、お前を殺す。カルヴィーノと、あの娘も……!!」
「――させないと、そう言っているだろう?」
冷え切った声に、ジェラルドがぐっと眉根を寄せる。
「こうなれば、こっちの目的は残りひとつだ」
呼吸をすると肺が膨らみ、その所為で腹部の傷が圧迫される。意識しないと呼吸が浅くなり、酸素が足りなくて脳の奥が眩んだ。
だが、それすらもおくびには出さない。
「黒幕の命令を最優先にするあんたが、秘密を知ってしまったフランチェスカを傷付けないように。彼女の父や一般人、フランチェスカの守りたがっているものを害さないように……」
短く息を吐いたあと、レオナルドは首をかしげるようにして笑う。
「ここで、あんたを殺さないといけない」
「ふん……!!」
ジェラルドが、洗脳下にある割にはまだまともな目付きでこちらを睨み付けた。
「先ほど何度も試しただろう! 最上級の防御スキルを発動させている私に、物理攻撃は一切通用しない。続いてお前の持つスキルのうち、ひとつは精神支配だ。これも同様に無駄だった!!」
「……」
「残りのふたつは秘匿していたな? だが、それらがどれほど優秀なスキルであったとしても、攻撃スキルはこの屋敷で発動出来ない」
引き攣った笑みを浮かべ、ジェラルドはレオナルドを指差した。
「そうだ、残りふたつのうちひとつを当ててやろう!! お前の父親は、自分の傷と他人の傷を入れ替えるスキルを持っていた。息子であるお前も同様で、カルヴィーノを治療したのではないか?」
「…………」
誤魔化しきれない痛みが迫り上がってくるが、レオナルドは一切を表情に出さないままだ。
夥しい量の出血が止まらない。あと少しで、この体はまともに使えなくなるだろう。
とはいえ、少しでも使えれば十分だ。
「はははっ、図星だったか!! アルディーニ家の当主が、他家の当主を守って死ぬことを選ぶとはな。父親とは全く似ていないように見えて、本質とスキルは同じものを継いだらしい」
「……セラノーヴァ」
「!」
口元に笑みを宿したまま、レオナルドは尋ねる。
「防御のスキルとは、あくまで物理的な攻撃を弾くだけのものだよな」
それはジェラルドのスキルに限らず、防御スキルの全般に言えることだ。
「たとえ銃弾すら弾けても、無敵の壁で覆われている訳じゃない。空気が通過するから息が出来ているし、暑さも寒さも感じている」
「……いきなり何を」
「別に? ただ、防御スキルの強力さに慢心して、日頃から攻撃スキルや銃しか警戒せず生きてきたんだろうなって」
訝るようなジェラルドの視線に構わず、そのまま自由に言葉を続けた。
「――予期してない精神支配系のスキルにあっさりやられて、血の署名にまで背く羽目になった原因が、よく分かる」
「貴様……!!」
ジェラルドが銃を構えた、その瞬間だ。
「な……っ」
レオナルドは、ひとつのスキルを発動させる。
「物理攻撃、スキル、銃。……人間を殺すための手段は、たったのこれだけか?」
「これは……」
一瞬にして辺りに広がったのは、燃え盛る炎だ。
想定していた通りである。ただ火を起こすだけの、『攻撃』とは呼べないスキルは、この屋敷の中でも発動させることが出来た。
スキルによる炎は絨毯を燃やし、床から火の粉を散らして、すぐさま熱風を作り出す。
まるで、七年前のあの日のように。
「お前の持つ第三のスキルは、炎を自在に操る能力か……!!」
「――……」
煙を吸わないよう、ジェラルドが咄嗟に口元を押さえる。
洗脳状態で時折錯乱した様子を見せていても、時にはこうして冷静な行動を取るのだ。ジェラルドを支配している人間は、よほど洗脳スキルを使いこなしているらしい。
「確かに、炎も煙も防御スキルで防げるものでは無い。だが……ふふっ、ははは!」
ジェラルドは拳を握りしめると、その一撃を窓へと叩き付けた。
防御スキルで強化されたその腕は、簡単に窓ガラスを砕き割る。室内に吹き込んだ突風によって、炎がますます勢いを増した。
「お前が一息に俺を燃やさないのは、そうすることで屋敷の結界に『攻撃スキル』の判定を下されて、防がれるからだ。つまりは炎が自然に燃え広がり、それによって『偶然』俺が死ぬのを待つしかない。そうだな?」
「……」
「お前は俺を拘束できない。殺すことも出来ない! 挙句、私はここから飛び降りようとも無傷でいられる……だが、お前はどうかな?」
「…………」
「お前の持つ三つのスキルはどれも、私を止めるに足りないのだ!! 残念だったな!!」
ジェラルドが、窓枠に手を掛けようとした。
「待っていろ。すぐに、カルヴィーノとその娘を殺して――……」
「止まれ。セラノーヴァ」
「!!」
ジェラルドの体が、ぎしりと停止した。
そのことが受け入れられないのか、彼は大きく目を見開く。だが、いくらもがこうとも、ジェラルドは逃げるための窓へと辿り着けない。
「馬鹿な。一体何が……」
そしてジェラルドは、自らの足元に視線をやった。
「――氷?」
彼の両足を、分厚い氷が覆っている。
氷で造られた輪のような枷は、床と一緒に凍りついて、ジェラルドを文字通り足止めしているのだった。
「なんだ、これは……!!」
ジェラルドが混乱して暴れるも、枷はびくともしなかった。ただし炎に炙られて、氷がすぐさま溶けてゆく。
「強い力で圧迫されなければ、枷での拘束は防御スキルに妨害されないらしいことは読めていた。触れるものをなんでも弾くなら、あんたは椅子に座ることも、地面に足をつけて立っていることも出来ないもんな」
「そんなことを聞いているのではない!! 一体こんな氷をどうやって……」
「溶けてきた。さあ、追加だ」
レオナルドが指先を動かすと、ぱきぱきと音を立てて氷の範囲が広がる。ジェラルドの両手を凍らせながら、彼の方に一歩ずつ歩いて行った。
「本当はあんたの言うように、一思いに焼き殺してしまいたいんだ。あるいはこの氷で、凍死なり窒息死なりをさせればいい。だが、屋敷の結界に攻撃スキルとみなされて封じられると、しばらくこのスキルが使えなくなるのが痛手だからな」
リスクのある賭けは嫌いではないが、今はそうやって遊ぶ余裕がない。確実な手段を重ねなければ、せっかくの策が無駄になる恐れもある。
「攻撃だと判定されないよう、少しずつ燃やして少しずつ凍らせてやるよ」
「く……来るな」
「確かに時間は掛かるかもしれない。だが、最期まで俺が一緒にいてやるから安心してくれ」
「来るな!! くそ、どうして四つめのスキルが使えている!? 三つめのスキルは、炎と氷の両方を操るものだったのか!?」
ジェラルドの動揺に、レオナルドは目を細める。
(そもそもが、根本的に間違っている)
先ほどのジェラルドの言葉を思い出し、自嘲気味にこんなことを考えた。
恐らくジェラルドは、自分と息子の持つスキルが同じ防御スキルだからこそ、レオナルドも父と同じスキルを受け継いだと考えたのだろう。
だが、それこそが誤りだ。
(俺のような人間が、人を守る類のスキルを継いでいるはずがないのにな)
「ぐあ……っ!!」
氷の範囲をもう一段広げながら、ジェラルドの頭を下げさせる。
(この氷の力を持っていたのは、三年前に死んだイヴァーノ。炎の方は、四年前に殺したラザロ)
血を流しすぎ、思考の隅が朦朧とし始めている所為か、いつかの兄の言葉を思い出す。
『レオナルド。お前のスキルは――……』
崩落直前の部屋の中で、レオナルドを窓から逃した兄はこう言った。
『「親しかった人間の死体から、ひとつだけスキルを奪う」能力だ』