64 悪党の願いごと
それと同時に身を屈め、一気に踏み込む。頭の上を掠めた銃弾が、後ろの扉にあたって弾かれる音がした。
傷の痛みを捻じ伏せて、ジェラルドの懐に飛び込む。銃を取り落とさせるべく、その手首を下から蹴り上げた。
「……へえ」
確かな手応えがあったにもかかわらず、今度のジェラルドは怯みもしない。彼の持つ強力な防御のスキルは、レオナルドの蹴りの威力を完全に殺していた。
「一刻も早く、ここで死ね……!!」
じゃきっと突き付けられた銃の先を、手早く手で弾いて逸らす。天井を向いた銃口が火を吹き、シャンデリアの割れる音がした。
三度の銃声が鳴り響き、レオナルドはそれを数える。先ほどから密かに数えていたのは、ジェラルドが撃った回数だ。だが、これほど惜しみなく撃つ様子から、弾の残数を気にする必要はないらしい。
(屋敷内で攻撃スキルは使えない。物理はセラノーヴァのスキルで弾かれる。精神操作スキルも効かない上に、再使用可能な時間はまだ先だ)
レオナルドが支配できなかったのは、『黒幕』によって先に掛けられているスキルが強力だからだ。
(拘束は……)
ジェラルドの手首を掴み、捻るようにして床に倒す。だが、その手首に体重を掛けて押さえ込もうとした瞬間、蹴り同様に強い力によって弾かれた。
「ははっ、圧迫も弾くのか。時間切れもまだ先っぽいし、面倒だな」
「殺す。お前を殺す……!!」
「冗談」
レオナルドは浅く息をつき、それでも笑った。
「ここで俺が無様に殺されたら、次はフランチェスカに危害が及ぶ」
それだけは、何があっても阻止しなくてはならないのだ。
たとえ、どれほどの激痛の中であろうとも。
『当主』
あれは、レオナルドが家督を継いでから三年ほどが経ったころだろうか。
『今年も婚約者さまのお誕生日には、ありとあらゆる贈り物をご用意なさるので?』
『……ああ。もうそんな時期か』
部下のひとりに尋ねられて、心底どうでもよかったその日取りを思い出した。
生まれたときからの婚約者に出会ったことは、ただの一度も無い。それでもレオナルドは、その少女への贈り物を毎年届けさせていた。
『そうだな。適当に用意しておいてくれ』
『承知いたしました。……しかし毎年のことではありますが、儀礼的なやりとりが続きますね。お会いしたこともない婚約者さまに、これほどの配慮が必要なのでしょうか』
『当面会う気が無いからこそ、儀礼的なやりとりを確実にこなしておくべきだろ? だってこれは、両家にとって利点しかない婚約なんだからな』
まだ外見に幼さが残る年齢のレオナルドは、心の中の本心を表には出さずに続ける。
『カルヴィーノとの同盟は、うちのファミリーにとって重要項目じゃない。だけど、婚約の方は別だ。あの家のひとり娘が花嫁として手に入れば、やり方によっては同盟どころか、もっとアルディーニ家に有利な関係性を築けるだろ』
『当主……』
『他家に媚びへつらうな。――俺たちはいずれ、圧倒的な強さで他家を凌駕する』
『……!』
部下は大きく目をみはったあとに、まるで神さまにでも仕えるかのような恭しさで頭を下げた。
『……当主のご意向のままに。我々は、どこまでもお供いたします』
自分の倍以上も生きている部下を見下ろして、レオナルドは目を細める。
父と兄を亡くしたあと、レオナルドが当主として真っ当に振る舞ったのは、彼らの願いを継ぐためなどではない。
すべては自分の目的のためだ。
(裏切り者のセレーナ家は全員死んだが、確実に『黒幕』が存在する。ファミリー同士で争わせ、両家とも潰すことを目論んだ存在。……炙り出すために、なんでもしてやる)
力を得て、情報を掻き集める。
他家を従わせる手段として、自身の婚姻や結婚相手ですら使うことも惜しくない。
(……父さんも、兄貴も)
彼らの顔を思い出し、レオナルドは自嘲した。
(生きていたらきっと、俺を叱った)
けれども彼らが死んで以来、レオナルドのことを叱る人間なんて、この世界にひとりも居なくなってしまったのだった。
レオナルドは上手に本心を隠し、周りを信用させながら生きてきて、十七歳になった。
生きる目的はいくつかあって、達成するには偽ることも重要だ。誰にも叱られず、上手く取り入って、野心のために要領良く渡り歩いたのである。
けれど、とある理由のために接触したひとりの女の子だけは、それが通用しなかった。
『私と婚約破棄してほしい』
その彼女は、赤い薔薇のような美しい色の髪と、明るい空を溶かした水色の瞳を持っていた。
彼女の提案を興味深く思いつつ、それでいてそのときは面倒にも感じたのである。
けれどもレオナルドは本心を隠し、あくまで楽しそうにこう尋ねた。
『面白いことを言う。じいさん同士の勝手な約束とはいえ、利点しかない結婚なのに?』
すると、初めて会った婚約者フランチェスカは、透き通った瞳で言い切った。
『あなたはそんなこと、思ってないでしょ?』
『――……』
まるで、レオナルドのことを叱るかのように。
七年間、ずっと誰にも見せないようにしていた本心を指摘されたような気がして、一瞬だけ何も取り繕えなくなった。
フランチェスカにとっては、何気ないやりとりだったのかもしれない。
だが、レオナルドにとってその瞬間は、紛れもなく得難いものだったのだ。
フランチェスカはそれからも、驚くほどにあっさりとレオナルドの懐に入ってきて、思いも寄らないまなざしを向け続けた。
『生まれた家が理由で、負わなきゃいけないものが、きっとたくさんあったよね』
そんなものは、殺されてしまった父や兄に比べたらなんでもない。
そう思うのに、すぐにフランチェスカを否定することが出来なかったのは、どうしてだったのだろう。
『あなたがアルディーニの当主だって隠してないのは、みんなを巻き込まないためでもあるのかな』
『――そういう風に振る舞えるのは、すごくやさしいね』
そんなはずはない。
やさしい人間というのは、父や兄のような人物であり、レオナルドからはほど遠い言葉だ。
(俺は親父や兄貴のようなものにはなれない。ふたりは俺が殺したようなものだ。あのふたりを懐かしむ資格も無い、それなのに)
そんな嘘すらも全部見抜いて、フランチェスカは言った。
『……レオナルドは、お父さんやお兄さんのことだって好きでしょう?』
フランチェスカのあのまなざしは、父と兄を殺したのはレオナルドだという噂を知っていたものに違いない。
それなのに、レオナルドの目を真っ直ぐに見て言い切った。
『レオナルド』
いつしか、彼女に名前を呼ばれる度に、胸の奥が締め付けられるような心地がするようになったのは何故だろうか。
いまとなっては、彼女のほかに誰も呼ばなくなったレオナルドの名前を呼んで、フランチェスカはやさしく言う。
『レオナルドは、こう見えて結構さびしがり屋だよね』
「は……っ」
腹に開いた傷口を手で押さえながら、レオナルドは笑みを溢す。
「……俺がさびしさなんて感じるのは、君にだけだ」
あのとき彼女に告げた言葉を、もう一度独白で呟いた。
(君の願いを叶えてやりたい。フランチェスカ)
不快なほどに冷たい汗が、肌の上を滑ってゆくのが分かる。
(君の父親が傷付いたことで泣くのなら、その銃創を俺の身に引き受けることなど厭わない)
銃を握り締めたジェラルドを見下ろして、浅くなりそうな呼吸をなんとか留めた。
(薬物事件を止めたいのであれば、俺が止めてやる。王都で暮らす一般人を、この男に傷付けさせたくないという願いも叶える。……俺や裏社会の人間の誰とも結婚せずに、表の世界で生きたいという望みも、実現させてみせるから……)
顎を伝う汗を、荒々しく手の甲でぐっと拭う。
それからレオナルドは、すべての痛みを無視して悠然と笑った。
「さあ。命を懸けてでも、ここで終わらせようか」