6 引き金
「いいな、君! 度胸があって、凛としてて。美しいのは、その可愛い外見だけじゃあないらしい」
彼は言い、自らの懐に手を伸ばす。
レオナルドの纏う衣服は、一目で仕立ての良さが分かるものだ。上着の下は白いシャツに、ストライプのベスト姿だが、グレーのボタンに縫い付けられた糸だけが赤い。そういった細部のさり気ない意匠が、全身あちこちに散りばめられていた。
「君の心を傷付けるのは、一筋縄では難しそうだ」
上着の裏から出てきたのは、一丁の銃だ。
フランチェスカは当然、自分に銃口が向くのだろうと考えた。そのための対策を取ろうとしたものの、レオナルドはそれを嘲笑うかのように、思いも寄らない行動を取る。
彼は、フランチェスカの手を取ったのだ。
かと思えば、ゲームヒロインらしく華奢な手に拳銃を握らせる。
フランチェスカの手を上からやさしく包むと、銃口を、レオナルド自身の左胸に押し当てた。
そして、やさしく微笑んでみせる。
「引き金を、引いてもいいぞ」
「――……」
レオナルドの声は、ハスキーで気怠げなニュアンスを帯びており、どこか甘ったるい。
まるで恋人に愛を囁くかのような声音で、フランチェスカの指を引き金に掛けさせる。
「ここで俺を殺しておかないと、何度も君を害そうとするかもしれない。君の強い心を折って、俺の目的に利用するために」
「…………」
「さあどうする? カルヴィーノのひとり娘。いま俺を殺しておいた方が、君の人生は平穏だ」
その言葉には心底同意する。
ゲームヒロインの運命は、メインストーリー五章の時点で散々だ。事件を巻き起こす黒幕が、フランチェスカの隣に座り、無防備に「殺していい」と微笑んでいる。
けれど、フランチェスカは溜め息をついた。
「馬鹿言わないで」
「おやおや。悪党一家の愛娘といえど、さすがに人を殺すのは怖いか」
「……それ以前に」
フランチェスカは拳銃を持たされた手を引き、レオナルドのやさしい拘束から逃れる。
トリガーガードに指を残したまま、手にした銃を回転させた。手の中でひゅるひゅると回る銃を、ある一点でぴたりと止める。
それは、フランチェスカ自身のこめかみだ。
レオナルドの目から視線を逸らさず、フランチェスカは迷わず引き金を引いた。
次の瞬間に響いたのは、銃声ではない。
「――……」
かちん! という小さな音と共に、レオナルドは緩やかな瞬きをする。
フランチェスカは、くだらない度胸試しに目を細め、レオナルドに拳銃を返した。
「……すごいな。精巧に作られた偽物なんだが」
「いくら精巧でも、本物の銃がこんなに軽いはずない。持ち運び用の見せ銃だから、軽い金属を使ったんでしょ?」
この強度の金属を使っていては、どんな事故があるか分からないというのが感想だ。
(こっちはこの世界に生まれる前、前世から嫌と言うほど銃を見てきたんだもの。この世界の銃と前世の銃は、いくつかの構造が違ってるけど……)
思い出すのは、前世での日々だ。中学校から帰宅したとき、広間にいた組員たちが、大騒ぎで何かを隠し始めた。
『……みんな。いま背中に隠したの、まさかそれ……』
『お……っ、お嬢! 違うんですこれは、今度やる祭りの露店で使う射的! 射的の銃で、モデルガンなんです!!』
『絶対嘘だもん!! ほら、貸してみて!!』
『ご、ご無体な……! ああーっ!! お嬢ーー!!』
大慌ての組員たちをよそに、通学鞄からあるものを取り出す。続いてそこにあった拳銃を掴むと、手にしていた磁石をくっつけた。
『ほら、銃は黒いのに磁石が反応する! 本当にモデルガンで金属製なら、銃の色は黒にしちゃいけない法律でしょ!? 黒いモデルガンを認められるのは樹脂製だけ、磁石は付かない。これのどこがモデルガンなの!』
『ああ、お嬢……。いつのまにか、立派に銃の見分けがつけられるようになって……』
『こんなところで私の成長を実感しないでよ! 言ったでしょ、うちに堂々と銃を持ち込むのは禁止って!! 持ち込むならせめてコソコソする、見せびらかさない! ただでさえご近所さんに怖い思いをさせてるのに、これ以上ご迷惑をお掛けしてどうするのーーーーっ!?』
いまは懐かしい思い出だ。そんなことをおくびにも出さず、フランチェスカはまっすぐにレオナルドを見据える。
「次に他人を脅すときは、銃に触らせない方がいいよ。……偽物でも、本物でもね」
「――……っ、は!」
レオナルドの口元が、笑みの形に歪んだ。
「ははは、は……! なんだ君、本当に面白いな!」
(なんでご満悦なの。こわ……)
ゲームの通りの底知れない言動だが、目の当たりにするとやはり不気味さがある。
フランチェスカが引いていると、レオナルドは不意に目を細め、フランチェスカの持っていた銃を奪い取った。
「!」
その銃を、部屋の窓へと叩き付ける。
窓硝子がこなごなに砕け散り、がしゃん!! と大きな音を立てた。
レオナルドはフランチェスカを見つめたままで、一向に逸らす気配もない。つまり、窓の方は一切見なかったのだ。
それなのに、窓の外で短い悲鳴と共に、誰かが倒れるような音がした。
外にいた人物が、拳銃を頭にぶつけられ、気絶したらしい。
「まったく。覗き見なんて、品がないと思わないか?」
「……外に居たの、あなたの配下じゃなかったんだ」
何者かが気配を殺し、この部屋の様子を窺っていたことには気付いていた。
状況が状況のため、アルディーニ家の構成員だと思っていたのだが、そうではないようだ。レオナルドはわざとらしく肩を竦めた。
「婚約者と初めての逢瀬だっていうのに、それを見せつける趣味はないさ」
「息をするように嘘ついてる……」
実際は、フランチェスカが彼の配下に捕まらなかったからレオナルドが出てきただけで、顔を見せるつもりもなかったはずだ。
(だけど、災い転じて福となす、かな? これくらい可愛げのない態度を取れば、レオナルドも婚約破棄してくれるかも)
そんな期待に胸が膨らむ。レオナルドは、フランチェスカと密着していたソファから立ち上がると、投げた拳銃で叩き割った窓辺に歩き始めた。
その途中でこちらを振り返り、その美しい顔で笑う。
「――気に入った。俺の可愛い婚約者」
「え……」
窓からの逆光になっているお陰で、レオナルドの笑顔が一層暗く見える。
「君を使い捨てるのは惜しくなった。だから、婚約破棄はしてやらない」
「――――……」
その発言に、フランチェスカは目を丸くする。
「……ぜ、絶対にろくでもないことに私を使う気だ……!!」
「はははっ!! 俺に向かって怯まずにそんな発言を出来るところも、最高に可愛いな」