56 目的
レオナルドに結論を告げなくてはならないその日も、この街には雨が降っていた。
父に同行するフランチェスカは、前回とは違う赤色のドレスを身に纏っている。
先に馬車を降りた父は、屋敷の『管理人』にすべての銃を預けたあと、フランチェスカに傘を差し向けてくれた。
「フランチェスカ。ゆっくりでいいから、濡れないように降りなさい」
「ありがとう、パパ」
ドレスの裾をたくしあげつつ父の傘に入り、管理人の立つ軒下まで一緒に歩く。この管理人は、どのファミリーにも属していない、王家に仕える人物だった。
「これはこれは。カルヴィーノ家の美しいご息女にお目に掛かることができ、光栄です」
「勿体無いお言葉をありがとうございます。本日はよろしくお願いいたします」
ドレスの裾が地面につかないようにしたまま、フランチェスカは一礼した。そこに、父がすかさず口を開く。
「参加者は全員揃っているか?」
「生憎と、アルディーニさまがまだお越しになっておらず……」
その言葉に、心臓の辺りがずきりと痛む。
「ふん。……分かった」
傘を畳んだ父がこちらを見たので、フランチェスカは頷いた。管理人に傘を預けたあと、屋敷の中に入ってゆく。
(『屋敷』に連れて来てもらうのは、今回が初めてだな……)
王都にいくつかある屋敷は、五大ファミリーそれぞれの共同所有だ。
ここは当主同士の話し合いにおいて、公平な協議を行うために使用されている。
話し合いの場所がどちらかのテリトリー内にあった場合、心理的な対等性がなくなってしまうため、どのファミリーの所有物でもある場所を複数用意してあるのだ。
(この屋敷の中では、攻撃系のスキルが発動できないよう結界が貼ってある。その結界や管理人さんの存在も含めて、結構な維持費が掛かってるんだよね)
五大ファミリーのうち三家が集まっての交渉は、他の二家にも密かに注目されているに違いない。廊下を歩きながら、ほんの少しだけ緊張が勝った。
「パパ……」
「心配するな。私は何よりも、お前を尊重する」
「……うん」
心強い言葉に頷いてから、意識して胸を張る。
大きな扉の前に着くと、父が両開きの扉を開け放した。据えらえた円卓の一席には、リカルドの父ジェラルドが着席している。
「早かったな、カルヴィーノ。……本当にフランチェスカ嬢も連れて来たのか」
「こんにちは、おじさま」
一礼したフランチェスカは、不躾にならないように室内を確かめた。
(このお屋敷で起こるゲームイベントには、リカルドも同席しているはず。だけど……)
リカルドの姿はここに無い。フランチェスカは、緊張が表に出ないように深呼吸をした。
その隣では、着席した父がつまらなさそうに言い放つ。
「あの青二才の指定は、我々と我が娘、それにお前の息子の同席だっただろう」
「それに従う必要があるか? 俺たちの結論は出ている。先日話し合った通りじゃないか」
ジェラルドはテーブルに両肘を置くと、父の方を見据えて口を開いた。
「アルディーニの若造との交渉は、決裂させる」
「……」
父の表情は、ほんの少しも変わらない。
「あの若造の口車に乗り、我々から何かを差し出す必要は無い。元々の計画通りに、リカルドとあの若造とを戦わせ、フランチェスカ嬢を解放してやればいい」
「……」
「カルヴィーノはひとり娘の望まない婚約を解消できる。その代わりに当家はそちらの力を借り、あの若造を追い込んで罪を暴く。……そうすれば、陛下から賜った使命を果たすことが出来る……」
ジェラルドは大きく溜め息をつき、疲れ果てたかのように額を押さえた。
「たったこれだけの話を進めるために、二週間もの時間を失った。この場が終われば、早速リカルドに決闘を申し込ませて――」
「おじさま」
口を開いたのがフランチェスカだったことに、ジェラルドは少なからず驚いたようだ。
「なにかな? お嬢さん」
「リカルドはどうして今日、ここに居ないのですか?」
尋ねると、ジェラルドは訝しそうにしながらも頷いた。
「己の未熟を恥じ入ってか、薬物事件の方を躍起になって調べているようでね。アルディーニの若造が犯人だと分かり切っているのに、どうにも融通が利かないようだ」
「……そうですか」
フランチェスカは俯いて目を瞑り、大きく静かに呼吸をすると、意を決してから顔を上げた。
「ごめんね、パパ。お願いしていた通り、ちょっとだけ私にお話をさせて」
「もちろんだ。まずはお前の思うようにやってみなさい」
「うん。――ありがとう」
「……?」
こちらのやりとりを、ジェラルドが怪訝そうに眺めている。
フランチェスカはジェラルドに向き直ると、真っ直ぐに告げた。
「私はリカルドと婚約しません。おじさま」
「……」
ジェラルドはその眉根を僅かに寄せる。
そしてフランチェスカではなく、隣の父に向って尋ねた。
「カルヴィーノ。それはファミリーの総意なのか」
「当然だろう。娘が決めたことだ」
「……すべて思い通りにさせてやることが、子供を真の幸せに導ける選択だとは限らないぞ」
「そうだとしても」
懐から煙草の箱を取り出した父が、それを円卓の上に置いてから言う。
「――お前の息子に嫁がせる気は、毛頭ない」
「なに……?」
緊張感の増した場の空気に臆さず、フランチェスカは告げた。
「私、おじさまの仰る通りだと思っていたんです。あの夜会の事件で、招待客を混乱状態に陥らせた犯人は、きっと会場にいたはずだって」
「……そうだ。アルディーニの若造があそこに居たことは、君こそがよく知っているだろう」
「あそこにいたのは、レオナルドだけではありません。私を心配して来てくれていたうちの父や、世話係のグラツィアーノ……それに」
フランチェスカが濁した言葉を掬い、ジェラルドは顔をしかめる。
「リカルドもそこに居た、と言いたいのか?」
「……あの会合から二週間、私はずっと調べていました。レオナルドがどうしてあんな振る舞いをしたのか、その理由があるはずだって信じてたから」
実のところ、あのときレオナルドから聞かされた内容を、父には告げてあったのだ。
「レオナルドは、私との婚約を解消するために動いたと言ってくれました。レオナルドと結婚すれば、私が不幸になるからって。……友達として、私を自由にするために、悪役めいた芝居を打ったんだって」
すると、ジェラルドは肩を竦める。
「お前の娘は純粋だな、カルヴィーノ。実に眩しくて、光のようだ」
「……娘のことを、貴様に言われるまでもない」
父は不快そうに目を眇めた。ジェラルドはそれに構わず、フランチェスカを諭すように語り掛ける。
「いいかいフランチェスカ嬢、悪党のしおらしい言葉を信じてはいけない。君を自由にするためなどと宣っても、本性は違うはずだ。本当の目的は、間違いなく別にあって――……」
「私もそう思います」
言い切ると、ジェラルドの指先がぴくりと動いた。
「レオナルドが本当にやりたいことは、私との婚約解消なんかじゃない。それよりも、気まぐれみたいに口にした要求こそが本題です」
「――まさか」
リカルドと同じ色の目が、はっとしたように見開かれる。
「アルディーニの真の目的は、カルヴィーノが持つ隣国との商流か!?」
「……」
フランチェスカの父は、箱から煙草を出して口に咥えた。けれどもいまだ火は着けず、指に預けて頬杖をつく。
「アルディーニがあれを手に入れれば、膨大な金が流れ込む。その資金力があれば、五大ファミリーのトップに立つことはおろか、王家に対しても強大な発言力を得てしまう」
「……そうだろうな」
「くそ……!! そうなれば、この国はアルディーニが裏で牛耳る形に……」
「おじさま」
フランチェスカの声に、ジェラルドがぴたりと言葉を止めた。
「リカルドは、この席に居ませんね」
「……さっきも話しただろう。倅はここに来ていない、往生際が悪くも薬物事件の調査を……」
「レオナルドが本当に欲しいものが何かを、おじさまは察しているのではありませんか?」
ことさら意識してゆっくりと、静かに言葉を紡いだ。
「――この王都に薬物を流しているのは、おじさまだから」
「――……」




