53 調査とお手伝い
この世界での六月も、雨季として雨がたくさん降る。けれども会合から一週間後の土曜日は、ちょうど晴れ間が広がっていた。
白いドレスを纏い、陽を透かした麦わら帽子を被ったフランチェスカは、朝からせっせと『畑』を歩き回っている。
みぞおちくらいの高さまで育った植物は、フランチェスカの顔よりも大きな葉を茂らせていた。
地面に置かれた籠の中に、その葉が積み上げられている。フランチェスカはそれを見付けると、側にいた男性に声を掛けた。
「おじさーん! この籠もそろそろいっぱいなので、あっちに運んでおきますね!」
「ああ、ありがとうございますお嬢さん!」
「新しい籠も置いておきます。それと、喉が渇いたら教えてくださいね!」
そう言って、収穫物のたくさん入った籠を持ち上げる。
木陰まで運んで行き、ふうっと額の汗を拭うと、今度は畑にいる同級生の方に駆け寄った。
「リカルド、そっちも手伝うよ! この葉っぱも収穫できる?」
「……ああ。頃合いだが……」
「よし、じゃあ張り切ってやっちゃおう! 黄色くなって枯れてるように見えるけど、これが熟した合図なんだよね? うちのパパが吸ってる煙草の葉っぱもこれなのかなあ」
「……以前の会合で吸っていらした煙草は、隣国で作られている銘柄だ。その銘柄の葉は、ここで育てている我が国伝統のタバコとは異なるが」
「へえー隣国! じゃあもしかしたら、あれはママとの思い出の銘柄なのかも! それにしても、この葉っぱが煙草になるなんて。煙草の材料が植物なのは分かってたけど、この青々とした畑がタバコ畑なんだって思うと不思議な気持ちが……」
「――待て、カルヴィーノ」
「ん?」
「ん? じゃない」
広大なタバコ農園で、行き交う農業者たちがちらちらとこちらを見ていた。軍手を嵌めたリカルドは、胡乱げに顔を顰めつつ、フランチェスカを見て言い放つ。
「お前はどうして当然のような顔で、我が家のタバコ農園の収穫を手伝っているんだ?」
「えーっと、それは――……」
リカルドのそんな問い掛けに、フランチェスカは瞬きをした。
(パパたちがレオナルドに『交渉』のお返事をするまで、あと一週間)
タバコの葉を手でやさしく収穫しながら、会合があった日の出来事を思い出す。
レオナルドと別れたあとのフランチェスカは、父たちと食事をした店に戻ったあと、こんな風に宣言をしたのだ。
『ごめんねパパ。私はこんなやり方で、レオナルドとの婚約を解消したくない』
『――……』
父は一度目をみはったあとに、ゆっくりと息をついた。
『……アルディーニとの結婚を、望んでいるということか?』
『そ、そういうことじゃなくて!! 今のままだと、レオナルドが何を考えているかが分からないもの。表に見せている以外にも、なにか目論みがあるのかもしれないから!』
『……』
慌てて説明すると、父は向こうにいるセラノーヴァ家を一瞥した。
少し離れた場所にいる父子の会話は、こちらにまでは聞こえてこない。しかし、父親と話すリカルドの表情は深刻に見えた。
『パパ。これはセラノーヴァ家にとっても一大事なんだよね?』
『国王陛下はセラノーヴァに対し、薬物を許してこなかった『伝統』を守るようお命じになった。セラノーヴァはあの青二才が犯人だと目星をつけているのだろうが、セラノーヴァ家だけではそれを追い詰めるための力がない』
(つまりリカルドのお父さんは、王さまの命令を守るために、他家との同盟を組む必要がある――……)
だからこそ、レオナルドと娘の婚姻を望んでいないはずの父に、今回のような申し出をしたのだ。
(それだけじゃない。リカルドが、『セラノーヴァ家は財政難だ』って言ってたもの。私とリカルドが婚約すれば、それがたとえ一時的な婚約でも、今後うちとの連携が取りやすくなる)
父だって、もちろんフランチェスカと同じことを考えているだろう。
『とはいえあの青二才の出してきた条件は、セラノーヴァにとって重いものだ。あの家の事業で大きな黒字になっているのは、煙草農園だけだからな。たとえ当家が今後手を貸そうとも、持ち直す前に家が潰れる可能性もある』
『……うちにだって、すごく重たい条件でしょ? 隣国とのお仕事は、我が家の一番の収入源だもの。それに、パパとママがふたりで築いた思い出の……』
『――そんなものは』
フランチェスカを遮るように、父ははっきりと言い切った。
『お前の幸せのためならば、手放して当然だ』
『パパ……』
その言葉をぐっと噛み締めながらも、フランチェスカは懇願した。
『お願いパパ。私との婚約解消は呑まなくていいけれど、レオナルドに返事をするのは期日まで待ってほしいの! レオナルドの本当の目的がなんなのか、頑張って調べる……薬物事件の犯人が誰か分かって、その証拠もはっきりしていれば、セラノーヴァ家だってレオナルドを追い詰めるために悩まなくていいんだよね?』
『……フランチェスカ』
『見付けて見せるから! ……私を待っていて、お願い……!!」
そう約束できるだけの保証なんて、本当は何処にも無い。
フランチェスカに出来ることは、父に『信じてほしい』と告げるだけだ。
『何を言っている』
そして父は、いつも無表情なそのかんばせを、柔らかな微笑みに変えた。
『お前を信じない理由など、私に存在するものか』
『……っ!!』
そしてその日からフランチェスカは、調査を開始したのである。
「この一週間、私なりに色々調べてきた。だけどリカルドは、私より先に薬物事件について調べてたでしょ?」
「……」
リカルドから受け取ったタバコの葉を、やさしく籠に入れてゆく。この葉が熟しているのかどうか、フランチェスカには見極めが難しいのだが、リカルドの作業に迷いはない。
「学院で話すのも危なそうだから、お休みの日にお話が聞けたらなって。そうしたらリカルドが、『土曜日は収穫があるから忙しい』って言うから……」
「だからといって仮にも貴族家の令嬢が、当たり前のような顔で収穫手伝いに来るか……?」
この世界の令嬢なら、普通はそんな感覚なのだろう。けれどもフランチェスカには、前世の小学校で芋掘りをした記憶がしっかり残っている。
(それに前世では、組員のみんなとお庭でミニトマトを育てたもんね。――収穫間際でいきなり枯れちゃったと思ったら、誰かがすぐ傍の土を掘って、警察に見付かるとまずい血判状を隠した所為だったことが発覚したけど……)
枯れてしまったミニトマト、掘り返された地面にビニールに包まれた血判書、その横で泣いている前世の自分と顔面蒼白な組員。
そんな光景を思い出し、遠い目をしてしまった。