4 ここで会うとは思わない!
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レオナルド・ヴァレンティーノ・アルディーニは、ゲームにおける最大の悪役だ。
漆黒の髪に、月のような金色の瞳。男性キャラながら睫毛は長く描かれ、目をみはるほど整った顔立ちに、やや細身だが高身長という体格をしている。
立ち絵では不敵な笑みを浮かべ、強者でありながら底が知れないその振る舞いは、入手不可能な敵キャラでありながらも圧倒的な人気を誇った。
『ほらどうした? このままだと大切なものが壊れるぞ、フランチェスカ。……はははっ、そうそう、そういう表情が見たかったんだ!』
『俺が憎いか? 安心しろよ、その憎悪もいつか終わる。――俺がそのうち、ちゃんとお前を殺してやるから』
強いカリスマ性を持ち、人の懐にすぐに入るのに、それはすべて目的のためだというキャラクターだ。
(前世では、本当にすごい人気だったんだよね……)
ひとりで街を歩くフランチェスカは、過去の記憶を辿って考えた。
この日はお忍び用のドレスを纏い、つばの広い帽子をかぶった格好で、王都一番の大通りを歩いている。こっそり屋敷を抜け出してきたから、お付きの護衛はついていない。
(都内の駅に大きなゲーム広告が出るときも、レオナルドひとりだけのバージョンがあったくらい。ゲームを始める前の私ですら、レオナルドの立ち絵イラストだけは見覚えがあったもんなあ。入手可能キャラじゃ無いのに)
レオナルドは、この国で王家の次に権力を持つ五大ファミリーのうち、『強さ』を重んじるアルディーニ一家の若き当主だった。
年齢は、フランチェスカと同じ十七歳だ。レオナルドが当主になったのは、彼の父と兄が死んだときで、ほんの十歳の頃だったらしい。
そんな幼さで当主を継承する場合、通常ならば後見人がつき、お飾りの当主となる。
けれどレオナルドは、裏社会を生きるために必要な才能を、すべて持ち合わせていた。
明晰な頭脳、何者をも恐れない度胸、冷静に見極める慎重さ。人を惹きつける振る舞いをしながらも、彼自身は誰にも頼らないという冷徹な心。
レオナルドは、幼い頃からそんな性質を発揮していた。
そして当主として、一家に所属する大の大人たちを、たったひとりで率いてきたのだ。
(そして、そんなレオナルドの婚約者が『私』……)
ふっ、と遠い目をしてしまう。
(それもこれも、私のおじいさまとレオナルドのおじいさまが、『両家の間に性別の違う子供が生まれたら、ふたりを婚約させる』って約束をしていた所為なんだけど……)
そんなわけでフランチェスカは、物心つく前から将来の夫が決まっていたのだ。
(変な感じ。ゲームでは五歳から遠くの街に住み始めるし、いまの私は徹底的にレオナルドから逃げているから、この年齢になるまで一度も会ったことが無いのにね)
帽子が風に飛ばされないよう、片手で押さえながら人混みを歩いた。
四月の風は暖かく、人々もどこか浮き立っていて、街はとても賑やかだ。歩道の横の馬車道では、大きな馬車が何台も行き交っている。
(――大きな街)
石畳の大通りを見渡して、フランチェスカは思わず足を止めた。
(この国が大陸で栄華を誇って、すごく豊かなのも、王家とそれを支える五つの家門があるお陰……)
そしてフランチェスカは、そのうちのひとつであるカルヴィーノ家のひとり娘だ。
家は権力を持っている一方で、たくさんの恨みも買っている。本来なら、その当主に溺愛されているいまのフランチェスカが、ひとりで出歩くことを許されるはずもない。
そんな中、こうしてお忍びで屋敷を抜け出したのは、とある目的があるからだった。
フランチェスカは目を瞑り、そっと集中力を研ぎ澄ます。
(……見てる。遠くもなく、近くもない場所から、ずっと私のことを)
屋敷を出た直後から、その気配はしっかりと感じていた。
どんな目的を持った何者なのかは、考えるまでもなく分かっている。
だって明日は、フランチェスカの学院転入日であり、今日がメインストーリーの開始日だ。
(……来る……!)
ぱちりと目を開いた瞬間に、隣を通りすがった馬車から、いきなり大男の手が飛び出してきた。
「――っ」
馬車から出て来たその腕が、フランチェスカの腰のリボンを引っ掴む。
体の重心を捉えられて、フランチェスカの体が呆気なく浮いた。馬車内にはカーテンが引かれており、その中へ強引に引きずり込まれかける。
「わああっ、なんだ!?」
「おい、女の子が攫われそうだぞ!!」
往来の人々が声を上げ、慌てて駆け寄ろうとしてくれた。けれども馬車は猛スピードで、決して追い付けそうもない。
(――シナリオの通り!)
ただひとり、攫われそうなフランチェスカ本人だけが、頭の中まで冷静だった。
(ゲームでも、私はモブに攫われる。レオナルドの指示によって)
馬車へ容易に引きずり込まれないよう、足を馬車の扉に押し付ける。そして、自分を引っ張ろうと四苦八苦している手を見遣った。
(これ! これが確かめたかったの! 十二年前に思い出したゲームの記憶が、本当にすべて正しかったのか……これでようやく確信が持てた、シナリオの出来事は実際に起こるんだって!)
メインストーリーの冒頭は、フランチェスカの誘拐事件から始まる。
レオナルドが仕組んだその策略により、ここから事件が幕を開けるのだ。
(目標は達成! このエピソードはプロローグで、『敵』がレオナルドだと分かるのは一章の終わりだ)
「くそ、この餓鬼……! 抵抗するな、痛い目を見るぞ!」
(私はこのプロローグで、怪我もせず無傷で帰れる代わりに、五大ファミリー同士が争う事件の幕開けに利用されるわけだけど……)
「抵抗するなって言ってるのが、聞こえないのか……!」
馬車の中から、男の焦るような声が聞こえる。だが、知ったことではない。
(馬車の中には構成員だけ。ここにレオナルドは居ない。……このエピソードにはもう、用はないよね)
馬車の速度が速いせいで、被っていた帽子が飛んでいった。そのことはひとまず無視しておいて、フランチェスカは作戦をする。
「……えいっ」
「あ!?」
手を伸ばしたのは、自身の腰のリボンだった。
それはつまり、男に掴まれている部分だ。男が掴んでいるのは後ろ側で、結び目は前である。
それをしゅるりと解いた瞬間、フランチェスカは男の手から解放された。
「ば、馬鹿な!!」
「よいしょ」
当然ながら、凄まじい速度の中でのことだ。普通ならこうして飛び降りても、着地の時に大怪我をする。
けれど、この日のために幼い頃から対策を練ってきたフランチェスカは、受け身を完璧に取ることが出来た。
「……っとと」
ヒールのない靴を履いてきているから、そのまま軽やかに着地する。ドレスの裾が翻り、はしたなくないように手で押さえた。
見ていた人たちが戸惑いつつも、思わずといった雰囲気で拍手をし始める。
(よし、帰ろう! シナリオの内容が現実に起きるんだって分かったから、やりたいことはいっぱいある。普通の人生を送るために、この調子でレオナルドを回避して、学院でたくさん友達を作ろう!)
そんな決意を新たにし、辺りをきょろきょろと見回す。唖然とする人々の中に、飛んで行った帽子がないかを確かめた。
(風の向きは南南西。馬車の速度を考えると、帽子、あっちの方に飛んで行っちゃったかなあ……?)
そう思って振り返った、そのときだった。
「探しているのはこれか?」
「……!!」
フランチェスカが息を呑んだ瞬間に、再び体が浮き上がる。
(っ、一体なに……!?)
先ほどの馬車のように、近付く気配すら感じなかった。
首根っこが呆気なく捕らわれ、引っ張り上げられた。そうかと思えば、高い場所にすとんと横向きに座らされて、手綱を握った人物と向い合わせになる。
「あ…………」
引っ張り上げられたのは、石畳を走る馬の上だ。ぐっと腰に回された腕によって固定され、思わずその人物にしがみつく。
そのあとで、思わず息を呑んでしまった。
だって、フランチェスカを捕らえたその男が、記憶に描いていたよりも圧倒的な容姿を持っていたからだ。
吸い込まれそうな漆黒の髪に、陶器のような白い肌。
長くくっきりした睫毛に、通った鼻筋、酷薄そうなくちびる。
たとえこんな状況であろうとも、彼の姿は呆然とするほどに美しい。
「――つかまえた。俺のフランチェスカ」
男が笑い、フランチェスカの頭に帽子を被せてくれる。
そこだけ見れば、紳士的な仕草だ。けれども冷たいその瞳には、窺い知れない思惑が秘められていた。
(……私の敵、『レオナルド』……!!)
フランチェスカを真っ向から見据えるのは、満月をそのまま象ったような、金色の瞳なのである。




