39 友人の贈り物
あの日のことを思い出したフランチェスカは、母の墓前で目を細める。
膝の上に頬杖をついたレオナルドが、微笑みながらこんな風に尋ねてきた。
「君は、お父君のことが好きなんだな」
「うん。大好き」
「なら、カルヴィーノ当主は俺のライバルということだ」
レオナルドの言葉に、「なにそれ」と笑った。
「パパは私を、何処にでも連れて行ってくれるけど……ママのお墓参りだけは、パパと別々に来ることにしてるんだ」
「へえ。それは何故だ?」
「パパとママを、ふたりきりにしてあげたいから! 娘として、両親のデートを邪魔するわけにはいかないでしょ?」
フランチェスカはしゃがんだ膝の上に頬杖をついて、悪戯っぽく笑う。
すると隣にいるレオナルドは、眩しそうに目を細めるのだった。
「君は不思議なことを言うんだな。まるで、亡くなった母君が、今この場所にいるかのようだ」
(そうだった。前世の日本と違って、この世界では、『お墓には亡くなった人の魂が眠っている』とは考えないんだよね)
だから、墓前に手を合わせるという習慣もない。
この世界でのお墓参りは、自分の心の中にいる生前の故人を思い出し、振り返るための儀式なのだ。
「さっきまでの、墓前に祈りを捧げている君の姿も」
レオナルドは目を細め、柔らかな声音で言う。
「横顔が美しく、とても真摯で驚いた。……母君に、なにか相談でもしていたのか?」
「分かるの?」
「なにせ、『友達』だからな」
冗談めいた微笑みだ。
けれどもその軽やかな口ぶりが、フランチェスカへの気遣いであることはなんとなく分かった。
(……こんなこと、ママ以外の誰にもまだ言えない)
正確に言えば、誰に話しても大丈夫なのかが分からない。
(……『この世界で、これから起きる大きな事件の、黒幕が誰なのか悩んでる』なんて……)
先日の夜会で起きた騒ぎのあと、フランチェスカはなるべく不安を抱かないよう、冷静に思考を巡らせてきたつもりだ。
けれどもそれは、ちょうどテスト期間が重なっていたことも幸いしていたらしい。
無事にテストが終わり、脳の思考領域が空いてからは、抱かないようにしていた不安までが、滾々と湧き上がってきているのだ。
(前世の記憶を取り戻してから十二年間、ずっと『黒幕』はゲーム通りのレオナルドだって疑わなかった。だけど私が知らない先のシナリオで、それが覆される可能性もあったんだ)
しゃがみこんでいるフランチェスカは、膝の上へと口元を埋める。
(――本当の黒幕が、主人公の父親である可能性もある。主人公が、子供のころからずっと一緒にいたお世話係の可能性も。学院で初めて出会って、最初に手を組むことになる、別ファミリーの次期後継者である可能性もある)
そう思うと、頭の中でぐるぐると思考が空回りしてしまう。
(みんなのことを信じてる。……だけど、『敵』側の人たちには、人の考えや行動を支配するスキルがあるんだ。私の大切な人が、普段は正気のままで、なにかあったときだけ思考を乗っ取られていたりしたら……)
そうやって本人ですら気付かないうちに、大きな事件に巻き込まれている可能性もある。
(もしも薬物騒動に関わっている場合、それが他ファミリーに知られたら、待っているのは粛清)
誰ひとり、例外はない。そのことを思うと、ぞっと背筋が寒くなった。
(だけど何よりも、止めなくちゃ。黒幕はこれから、罪のないたくさんの一般人を巻き込むんだから……)
膝を抱えたその指に、ぎゅうっと力を込める。
(たとえ、どんなことをしてでも……)
「――フランチェスカ」
名前を呼ばれ、顔を上げる。
レオナルドの手が、フランチェスカの方に差し出されていた。
首を傾げると、レオナルドは自身の手を握り込んだあと、フランチェスカの前でもう一度開く。
「わ……っ」
その手のひらに、一輪だけの黒い薔薇が現れた。
「すごい、レオナルド! 黒薔薇なんて、一体どこに隠してたの?」
「秘密。……ほら」
「!」
その薔薇は、棘も丁寧に取り除かれているようだ。
レオナルドはその薔薇を、まるで髪飾りでも贈るかのように、フランチェスカの耳の横へと付けてくれた。
そしてフランチェスカの目を見据え、微笑みながら口を開く。
「君の髪色に、黒色の薔薇もよく映える」
「……」
黒い薔薇は、レオナルドの家の家紋だ。
それをこうして贈ってくれることには、どのような意味があるのだろうか。金色の瞳を見詰めてみると、彼はどこか苦笑に近いニュアンスで目を細めるのだ。
「俺は先日、『俺が寂しさなんて感じるのは、君にだけだ』と伝えただろう?」
「……うん、言ってた」
「だからこうして、君の気を引く作戦を考えたんだ。……ここ数日、なにか考え込んでいる友人を元気付けるために」
人間観察に優れたレオナルドが、フランチェスカの悩み事に気付かない訳もなかったのだ。
「……君の思考が、俺以外の誰かで占められているのかと想像すると、俺は寂しくて仕方がない」
「レオナルド……」
フランチェスカは瞬きをしたあと、おかしくなってくすっと笑った。
「ふふっ。それでお花?」
「君は可愛いから、花の類がよく似合うな」
「はいはい、ありがとう。……でも嬉しい」
そっと髪につけられた薔薇に触れると、ふわりと甘い香りがする。
(なんだか不思議。最近、パパやグラツィアーノの前でも、ちょっと変な態度を取っちゃってたんだけど)
グラツィアーノが先ほど、フランチェスカと一緒に帰りたがったのは、実の所その所為なのではないかと思っている。
(レオナルドのことは、十二年前からずっと疑って来たもんね。――だからこそ、レオナルドにだけは今まで通り、怯え過ぎずに接することができる)
レオナルドが先に立ったので、フランチェスカもそれに合わせて立ち上がる。
その上で、彼に向けて口を開いた。
「レオナルド。教えてほしいことがあるの」
「ああ。なんだ?」
フランチェスカは、静かに尋ねる。
「レオナルドは、このあいだの夜会で起きた事件に関わっている?」
「――……」
あまりにも捻りのない問いに、レオナルドは少々驚いたらしい。
けれどもレオナルドは、すぐにくちびるを笑みの形に変え、悪いひとのような表情で言った。
「――そんなことを、俺が正直に吐くと思うか?」
挑発が滲んだ、好戦的な声音と笑みだ。
だからこそフランチェスカは、はっきりとこう返す。
「少しずつ分かって来たの。レオナルドは策略家だけれど、人を騙したり誤魔化したり、そういうことはあんまりしないんじゃないかな。だって」
吹き抜けた風が、フランチェスカの髪とスカートの裾を、ふわりと翻す。
「……あなたなら、たとえどんな人間を敵に回しても、自分の目的を達成できる」
「……」
目的の遂行のために、誰かを騙す必要なんて無いはずだ。
そう告げると、レオナルドは小さく喉を鳴らして笑った。
「君は、俺のことを買い被り過ぎだ」
「……レオナルド?」




