38 父の大切
「でも、本当に良いの? レオナルド」
「なにがだ?」
「今日はいつもの遊びじゃなくて、私の用事だから」
そう告げるとレオナルドは「もちろん」と笑い、花屋の奥に声を掛けた。
「美しいマダム。先ほどの花を」
「ふふ。坊や、本当に口が上手いのねえ」
店から出て来た老婦人は、手に花束を抱えている。
真っ赤な薔薇の花束だが、それを束ねるリボンにだけは、死者を弔う色でもある黒色が使われていた。
「レオナルド。これ」
「それじゃあ行こうか」
大きな赤薔薇の花束を、レオナルドは当然のように抱える。
「『友人』として、君の母上への挨拶だ。……この手土産が、お気に召すと良いんだが」
「……うん!」
そう言って、今日の目的地である墓地に向け、ふたりで歩き始めたのだった。
***
フランチェスカの母である女性は、フランチェスカが生まれたときに亡くなっている。前世の記憶を取り戻すよりも前で、フランチェスカは母親の顔を知らない。
隣国の貴族令嬢だった母は、なんとあの父と恋愛結婚だったそうだ。
ふたりは心から思い合っており、フランチェスカの生まれた日までは幸せだった。
けれどもそれは引き裂かれ、フランチェスカの産声を聞いたその直後に、母は意識を失ったのだという。
父から表情が消えたのも、生まれたばかりのフランチェスカを憎むように遠ざけたのも、すべては母の死がきっかけだったそうだ。
墓地の前で跪き、赤い薔薇の花束を捧げたフランチェスカは、傍らのレオナルドにそっと打ち明けた。
「パパはね、本当にママが大好きだったの」
「……」
そのことを、父から直接聞いた訳ではない。
ゲームの個別シナリオを解放しても、はっきりとした描写は無かった。それでも、父の声音や表情で、亡き妻への愛情は痛いほどに伝わってくる。
フランチェスカが記憶を取り戻したばかりのころは、実の娘を心底から憎み、忌々しそうに見据える目だけが向けられていた。
『子供が屋敷をうろつくと邪魔だ。さっさとフランチェスカをどこかに片付けろ』
『待って、おとうさま!』
それでも当時のフランチェスカは、必死に父との関係改善を試みた。
(父親の怖い顔なんて気にしない、前世ではいつも怖い顔の人たちに囲まれてたんだから! 睨まれたって怒鳴られたって、怯むもんか……!!)
そんな覚悟をもってして、父に対してこう叫んだ。
『わたし、おとうさまと一緒にいる! おしごと邪魔しないから、おねがい!』
『――目障りな存在を、のさばらせるな』
父の態度は頑なだった。フランチェスカがどれほどしがみついても、構成員たちによって引き剥がされ、遠ざけられる。
それでも決して諦めず、何度も父にしがみつくことを何か月も繰り返していた、ある日のことだ。
『お前は一体、何がしたいんだ?』
まったくこちらを顧みなかった父が、不意にこう声を掛けて来た。
最初のころのような憎しみは、水色の瞳から消えている。
しかし、今度は冷たくて空虚な瞳が、フランチェスカを見下ろしていたのだ。
『私の周りを付き纏って、引き剥がしても縋り付いて。……菓子などをやったことすら一度もないのに、私の何を目当てにしている?』
その言葉を聞いて、フランチェスカは泣きそうになってしまった。
『……っ、目当てなんて無いよ!』
あのときの感情を振り返れば、自分でも不思議なくらいなのだ。
父との関係性をゲームと変えることは、『平穏な生き方』を目指す上での必須条件だった。
そのために動くべきだった。それなのに、フランチェスカの心の中にあったものは、父に向けて口にしたこの感情だ。
『ただ、おとうさまの娘として、おとうさまと一緒にいたいだけなの……!』
『…………!』
夜中にひとり、書斎で母の写真を眺めている父の姿を、たった一度だけ見たことがある。
その表情は虚ろな無表情で、心の中など窺えないものだった。けれど、だからこそ、父の心情がはっきりと分かってしまったのだ。
『……おかあさまを死なせちゃって、ごめんなさい……』
『……フランチェスカ』
ぼろぼろと涙を零したフランチェスカを、父が初めて呼んでくれた。
『ごめんなさい、おとうさま。……ごめ……』
フランチェスカが口にしたのは、前世で同様に母を死なせてしまった罪悪感と、今世でも同じことを繰り返してしまったことへの懺悔だ。
『……っ』
次の瞬間、父が咄嗟に手を伸ばし、フランチェスカを強く抱き締めた。
『――お前の所為ではない』
『お父さま……?』
驚いたものの、父は刻み込むように繰り返す。
『あいつが命を落としたことで、お前が負う責があるはずもない』
『おとうさま……』
『……いままで、すまなかった……』
絞り出すようなその声音が、あまりにも辛そうだったことを思い出す。
そのまま父にしがみつき、フランチェスカは泣きじゃくってしまった。
そして恐らくはあのときが、母が死んでから一度も泣いたことのなかった父の、唯一涙を流したであろう時間だったのだ。
 




