340 ひみつの恋人
【第6部2章】
カルヴィーノ家の庭に面した一室には、柔らかな春の陽射しが差し込んでいた。
『――俺の可愛いフランチェスカへ』
このファレンツィオーネを裏から守護する、五大ファミリーのひとつ。その中でも『忠誠』を重んじる一家のひとり娘は、ソファーですうすうと眠っている。
『本当に身体は辛くないか? 君の洗脳が解けてから、まだ二ヶ月しか経っていない。どうかくれぐれも、無茶はしないで』
フランチェスカ・アメリア・カルヴィーノの腕の中には、婚約者から届けられた手紙が、ぎゅうっと大切そうに抱き締められていた。
『会えない間、君のことばかり考えている。二週間前、ようやく一緒に過ごせた感謝祭のことを、何度でも思い出しているよ。早くすべてを片付けて、君のことをもっと大切にしてあげたい』
その部屋の扉が、ゆっくりと開かれる。
中に入ってきた青年は、フランチェスカの姿を見付けると、少し呆れた溜め息をついた。
「――お嬢」
『もうすぐ帰る。君の喜びそうなお土産を、たくさん見付けたんだ』
「んむむ……」
『どうか俺が傍に居ない間も、君はいつものように笑っていてくれ。――愛しているよ』
「お嬢ってば」
少し大きくなった従者の声が、フランチェスカを眠りから呼び覚ます。
「起きてください、お嬢!」
「ふあ…………っ」
ぱちっと目を開けたその瞬間、フランチェスカは一瞬だけ、ここが何処だか分からなかった。
「グラツィアーノ……」
「何やってんですか。こんな時間に昼寝なんて」
両腕を組んだグラツィアーノが、いつもの澄ました表情で見下ろしてくる。
「だって、春になってから眠いんだもん……」
「また夜に眠れなくなる癖に。先週も俺にホットミルク作らせたこと、忘れたとは言わせませんからね? お嬢ってそういうところ子供っぽいんだから、気を付けなきゃ駄目ですよ」
「むむ……」
年下の従者の大人びた意見に、フランチェスカはくちびるを尖らせる。
「グラツィアーノだって、毎日お昼寝してるでしょ。それも授業中に!」
「残念、俺は夜に仕事があるからなんで。昼に眠くなるのは不可抗力でーす」
「それを言われると弱いけど……!! だからパパにお願いして、学院に通っている間はお仕事を無しにしてもらおうって言ったのに!」
グラツィアーノはこの家の養子になり、フランチェスカの代わりに跡を継ぐ。その可能性が濃厚なため、父からの『教育』も本格化しているのだ。
「そんなことより。――その手紙、アルディーニからのですか?」
「!!」
グラツィアーノに指摘されて、フランチェスカは思わず慌てた。
「ど、どうして分かったの!?」
「お嬢に手紙出すなんて、あの男くらいでしょ。あんた友達居ないんだから」
「グラツィアーノ……!!」
紛れもない事実ではあるのだが、はっきり言われて胸を押さえる。けれども目の前に立つグラツィアーノの方が、よっぽど拗ねた顔をしていた。
「昨日届いた手紙なのに、なんでまた読み返してるんです?」
「それはもちろん、寂しいからだよ! レオナルドはもう二週間も『国外出張』に出掛けてて、感謝祭のあとは全然会えてないし……」
改めて思い出したその事実に、フランチェスカはしょんぼりする。
グラツィアーノはそんなフランチェスカを前に、ますます顔を顰めるのだった。
「だってあいつ、明日には帰ってくるんでしょ?」
「それでも!」
もらった手紙の最後の行、レオナルドの署名が施された部分を見下ろした。
『――君を愛おしく思う、恋人より』
(……レオナルド……)
フランチェスカが、誰にも覗き込まれない場所で手紙を読み返していた理由は、おおよそ二ヶ月前に交わした約束にある。
シルヴェリオに施された洗脳が解け、レオナルドへの想いを繋いだフランチェスカは、彼のことを守って幸せにすると誓った。
その一方でレオナルドは、カルロの診療所で洗脳の後遺症などを調べ終えたフランチェスカに、思わぬ提案をしてきたのだ。
『――君と俺が恋人同士になったことは、しばらく秘密にしておかないか』
『え!!』
目をまんまるくしたフランチェスカに、診療台の傍に立っていたレオナルドは苦笑する。カルロは席を外しており、診療所にふたりきりだった。
『ごめんな。これは決して、後ろめたいことがあるからじゃないんだ。……本来なら世界中に喧伝して、俺の恋人を見せびらかしたいんだが』
『だ……大丈夫だよ、心配しないで! レオナルドには考えがあるって、ちゃんと分かるから』
フランチェスカが声を上げたのは、それを邪魔してしまった懸念からだ。
『それなのに、私こそごめん。レオナルドと両想いになれたこと、パパに話しちゃった……』
『……ははっ』
『!』
レオナルドは何処か甘えるように、フランチェスカと額を重ねる。
『ああ。……嬉しかった』
『……レオナルド……』
心から呟かれた言葉だと分かって、フランチェスカも嬉しくなる。
レオナルドは少しだけ身を離したあと、フランチェスカを間近に覗き込んで言った。
『だからこの先は、お父君以外には内緒という形になる。構わないか?』
『……どんな理由があるのかは、聞かない方がいいんだよね』
『君を守るためには。とはいえ複合的な判断だから、そのひとつは君に伝えておくよ』
僅かに目を伏せたレオナルドが、こう言った。
『――クレスターニが俺の兄だということを、各ファミリーに通達する』
『…………!!』




