335 月の瞳(第5部・完)
フランチェスカは、いつでもレオナルドを守れるように身構える。レオナルドの施してくれている結界が、彼を守る盾にもなるように。
けれどその一方で、気が付くのだ。
(……あれ……)
クレスターニは、どうして『こんなこと』を口にしたのだろうか。
(考えてみれば)
心臓の鼓動が、ますます早鐘を刻んでゆく。
(……クレスターニは、ずっと『そう』言っていた)
あの温室で、フランチェスカにたくさんのケーキを見せたときも。
フランチェスカの脳裏に過ぎるのは、ゲームで読んだあのテキストだった。
『あの拉致事件は、すべてレオナルドが仕組んだことだ。当主になるため、敵対ファミリーと手を組んで、邪魔だった父と兄を排除した』
ゲームの画面に描かれていたのは、シルエットだけのモブキャラクターだ。
『敵が父と兄を殺したあと、レオナルドは本性を現した。そのまま「敵のファミリー」も皆殺しにしたのは、口封じをしたかったんだろう』
(……ゲームのあのキャラクター。あれは本当に、情報を提供してくれるだけの脇役だった?)
上着のポケットに手を入れたレオナルドが、クレスターニの執務室を見渡した。
「懐かしいな」
家族の仇を前にして、レオナルドの感情は伺えない。
淡々とした声音と、静かな表情だ。
「子供の頃、初めてここに来たとき以来の部屋だ」
(レオナルドは、この屋敷に昔、来たことがある……)
それは一体、どういう理由でなのだろう。
掻き立てられる不安の中、フランチェスカはくちびるを結んだ。
『――君自身の想いで、ちゃんと俺の名前を呼んで』
洗脳中、遠くに聞こえたレオナルドの声を思い出す。
『俺が名前を呼んで欲しいのは、世界でただひとり「君」だけだ』
(会ったばかりの頃も、言っていた。……レオナルドを)
たったの十歳で当主となり、『アルディーニ』の姓を背負った彼のことを。
(……レオナルドの名前を呼ぶのは、私だけ……)
いま目の前にいる『黒幕』は、レオナルドをなんと呼んでいただろうか。
フランチェスカの不安を見透かすように、クレスターニがこう笑う。
「落ち着いているな。『レオナルド』」
(…………っ)
出会った当初の春の日も、フランチェスカは気が付かなかった。
十七歳とはいえ、五大ファミリーの当主であり公爵位を持つレオナルドのことを、爵位や敬称も無しに呼び捨てる者はいない。国王であるルカだって、ほとんどはアルディーニと家名で呼ぶ。
けれども前世では、多くのプレイヤーが『キャラクター』を呼び捨てていたことから、彼を『レオナルド』と呼ぶ人物に違和感を持てなかった。
(やっぱり、セレーナの一族の人なんかじゃない)
クレスターニが指摘した通り、レオナルドは随分と落ち着いていた。
それでも凪いでいる訳ではない。双眸に暗い光を宿したまま、いつもの微笑みを浮かべることもせず、クレスターニに向かって告げる。
「――裏切り者は、粛清するのが俺たちの掟だ」
見上げた横顔は、美しく冷たい人形のようだ。
フランチェスカには向けることのないまなざしと、同じく冷え切ったその声音で、レオナルドはクレスターニをこう呼んだ。
「そうだろう? ――シルヴェリオ」
(あ…………)
その名前がどんなものであったかも、今のフランチェスカなら思い出せる。
(私たちが、忘れてしまった名前)
レオナルドは、その名を敢えて偽名に使っていた。
(魔灯夜祭の頃、小さな子供になったレオナルドが、クレスターニを挑発するために名乗っていた……)
それこそが、『クレスターニ』の名前なのだろうか。
「っ、は」
クレスターニが、おかしそうに身を震わせる。
「ははは。はははははっ、はは……!!」
ひとしきり声を上げて笑ったあとに、クレスターニは言った。
「――お前にそんな風に呼ばれるのは、随分と不思議な気持ちだな」
片側が前髪に隠された瞳を見て、フランチェスカは息を呑む。
初めてクレスターニにまみえた時、その瞳は空のような水色だった。フランチェスカの父と同じ色に、混乱して途方に暮れたのだ。
それを嘲笑うかのような光景が、フランチェスカの視界に映っている。
(クレスターニの瞳の色が、水色じゃなくなってる……)
「……ああ」
フランチェスカの動揺に気が付いたのか、クレスターニがにこりと笑った。その上で、とんっと自身の指で瞳を示す。
「この瞳か? ……洗脳スキルの対象のうち、もっとも強力に支配している人間が近くに居ると、そいつと同じ色になるんだ」
「……あの水色は、パパの瞳じゃなくて……」
レオナルドとよく似た笑い方で、クレスターニがくすっと息を漏らす。
「君の色だよ。――俺たちの可愛い、フランチェスカ」
「…………っ!!」
目の前にいるクレスターニの瞳は、月のような美しい金色だった。
(今度は、レオナルドと同じ色……)
けれどもフランチェスカは察してしまう。
これは決して、レオナルドがクレスターニに支配されたことの示唆ではない。その証拠に、レオナルドははっきりと口にする。
「やめろ。シルヴェリオ」
不機嫌であることを隠さない、張り詰めた声音だ。
「お前がフランチェスカをそう呼ぶことは、許さない」
「はは。……さびしいな」
そう言って微笑みを浮かべる様子は、やはりレオナルドにそっくりだ。
「もう、昔のように呼んではくれないのか」
「――裏切り者を?」
「…………」
ふたりの表情を目にした今、フランチェスカはすべてを理解してしまった。
(セレーナに深く関わりがあって、それでいてセレーナの一族じゃない。……ゲームの第一章から存在がちゃんと語られている、本当の黒幕……)
クレスターニは、やはりゲームにも登場していた。
この世界においても、都合よくレオナルドの代わりに生まれ出た存在ではない。それどころか、レオナルドの運命に大きく影響を及ぼした人物で、それこそがクレスターニの正体なのだ。
「……まあいいか」
レオナルドはふっと息を吐き、静かな微笑みを作ってみせる。
「望むなら、久し振りに直接こう呼ぼう。何しろ感動の再会で、喜ばしい瞬間のはずだから」
(……クレスターニは、セレーナの策略で死んだはずの)
レオナルドと同じ色の瞳を持つのは、スキルの作用によるものではない。
「なあ。――兄貴」
「――――……」
満月の瞳を持つクレスターニが、心から楽しそうに目を眇める。
(……レオナルドの、お兄さん……)
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第5部・完
→『悪党一家の愛娘』第6部へ続く




