332 大好き
「私がどうしてこの世界に転生したのか、それはまだ分からない」
「……君は」
「だけど。パパとママの娘として、こうしてここに生まれてきたから」
レオナルドにぎゅうっと身を寄せて、心臓の音を確かめる。
「だから私は、レオナルドのことを抱き締めて、泣かないでって伝えてあげられる」
「…………!」
そのことが心から幸福だと、そう思った。
「私が、私である限り」
頭の奥に埋められた痛みに抗って、瞑目する。
たとえどれほど苦しくとも、痛みを負っても構わないと、言葉を紡いだ。
「……『レオナルドのフランチェスカ』で、ある限り……」
父と母が注いでくれた願いが何か、本当はずっと知っていた。
(ごめんねって、謝るんじゃなくて)
そうして怯え、立ち止まってしまうのではなくて。
(ありがとうって。……幸せだよって、伝え続けるよ)
父が聞かせてくれる母の話は、いつも温かさに満ちている。
会いたかった想いは叶わなくとも、その愛情を疑ったことはない。フランチェスカが幸福を伝えれば、母はきっと笑って喜んでくれる。
(前世のふたりも、今世のふたりも――パパとママは私を愛して、幸せにって願っていた。そうやって贈ってくれた私の運命を、もう二度と手放したりしない)
記憶の中に、いくつもの光景が流れてゆく。
(洗脳になんか、もう負けない。私は……)
前世の父と母の写真。それを眺める祖父の背中。
母の死に傷付いたままの今世の父の顔と、墓碑に刻まれた母の名前。それらのすべてを前にして、改めて言い切る。
(――運命を憎んだことなんてないって、言い切れる!)
鎖が砕けるような音が、鼓膜の奥に響いた気がした。
「…………っ」
「フランチェスカ!」
薔薇の花びらが散る幻が、視界を覆ってくらくらする。泣きそうな気持ちでも嬉しかったのは、美しい満月がそこにあるからだ。
「……ありがとう。レオナルド」
「!」
間近に見上げたレオナルドが、かすかに息を呑んだ気配がした。
「ずっと待たせて、困らせた。……レオナルドをたくさん傷付けて、心配させたけれど」
彼に回していた腕を解き、代わりにその頬へそうっと触れる。
フランチェスカの洗脳が解けたのだと、レオナルドは悟っていただろう。それでも言葉で説明するべきだと、本当は分かっていたつもりだ。
それでも最初にどうしても、見付けた想いを伝えたかった。
(泣かないで。可愛いレオナルド)
フランチェスカを見詰める彼は、決して泣いてはいなかったのに。
それでも願いを込めながら、フランチェスカはそのくちびるにキスをする。
そうしてすぐに離した後、何処か無垢なまなざしのレオナルドを見据えた。滲む視界の中で、フランチェスカは彼に微笑む。
「――私は、レオナルドが好きだよ」
「…………!」
ようやく、伝えてあげることが出来た。
その幸福にほっとして、もう一度彼にキスをする。柔らかな口付けを交わしながら、嬉しくてもっと繰り言を重ねた。
「好き。……あなたが大好き」
レオナルドの頭を一度撫でて、少しだけの照れ臭さに目を細める。
「これがレオナルドへの恋だって、ちゃんと分かる」
「…………っ」
その瞬間、再びレオナルドに抱き寄せられ、耳元でこんな風に紡がれた。
「愛している。フランチェスカ」
「……レオナルド」
本当に、たくさんの心配を掛けてしまったのだ。
触れ方のすべてからそれが伝わり、胸がいっぱいになってしまう。彼の頭を撫でようとしたのに、レオナルドはそれを許してくれず、今度はレオナルドからキスをされた。
「!」
驚いて身を竦めてしまうものの、それ以上に嬉しいという気持ちが勝る。
初めてのキスのときよりも、ずっと上手に出来ているはずだ。片腕を彼の背に回し、右手でレオナルドの頭を撫でたら、重ねるだけのキスがゆっくりと離れた。
「……なんだか、変な感じ」
喜びと幸福が綯い交ぜになったまま、フランチェスカはレオナルドを見詰めて笑う。
「レオナルドが好きだって思うだけで、すごく嬉しい気持ちになれるの」
「…………フランチェスカ」
「ふへ」
ほんの少しだけの照れ臭さも、胸の中に心地良い温かさに変わる。
「大好き。レオナルド」
「…………っ」
レオナルドはまたキスをくれたあと、お互いの額をこつりと合わせた。
「何処にも怪我や、痛みはないか?」
「……うん。平気」
額同士を重ねたまま、間近での問い掛けがくすぐったい。怖がらなくても良いのだと知らせたくて、フランチェスカは小さく頷く。
「レオナルドのスキルが、たくさん守ってくれたから」
「…………」
「っ、ん」
レオナルドはきっと、自分をたくさん責めたのだろう。
守れなかったと、そんな風に思わせるのは嫌だった。何度もキスを重ねられるのは、その分だけ心配を掛けた証なのだ。
「ごめんね」
は、と浅く息を吐き出したレオナルドを、フランチェスカはよしよしと撫でてあげる。
「良い子。……もう、大丈夫だから」
「……本当に、君という女の子は……」
少し困った顔のあと、レオナルドはフランチェスカから身を離す。
その上で先に立ち上がり、床に座り込んだフランチェスカへと手を伸ばした。お礼を言ってその手を取り、レオナルドの前に立ったフランチェスカを、改めて月色の瞳が見下ろす。
「フランチェスカ」
「?」
やさしい声が、礼拝堂の中で紡がれた。
「おかえり。……ずっと、君に会いたかったよ」
「…………」
次の瞬間、フランチェスカはレオナルドにしがみついて、心から幸せな気持ちで笑った。
「ただいま。――私も前世からずーっとずっと、レオナルドに会いたかった!」
「…………ああ」
そうして彼に出会えたからこそ、この世界で大好きな人たちと出会えたのだ。
腕の中でレオナルドを見上げたら、今度は身を屈めてキスをくれる。こうして傍に居られることが、泣きたいほどに幸せだった。




