33 見栄とはったり
(どうして? ゲーム通りのことが……ううん、考え込んでる暇はない)
第一章の中盤で起こるこの事件は、主人公とリカルドが協力しあい、なんとか死者を出さずに止められる。
(逆に言えば、リカルドひとりで対処すると、絶対に死者が出てしまう……!!)
駆け出そうとしたフランチェスカの手を、レオナルドが掴んだ。
かと思えば、背中を柱に押し付けられて、右手首も縫い付けられる。
「……駄目だろ? フランチェスカ」
「……レオナルド……!!」
痛みはない。けれど、先ほどまでよりもずっと強い力が込められて、レオナルドの手が振り払えなかった。
「表の世界で平穏に生きたい人間が、真っ先に駆け出すのは感心しないな」
(……犯人が目の前のレオナルドでも、彼に直接「やめて」とは言えない。私がいま、黒幕に気付いているはずがないんだから……!)
抵抗する力を緩めないまま、なんとかこれだけを口にする。
「レオナルドも、一緒に、止めに行こう」
目の前に立つレオナルドは、どこか薄暗いまなざしで、フランチェスカを見下ろしている。
満月による逆光となり、レオナルドの表情がはっきりと見えない中で、彼の目だけが淡く光っているかのように見えた。
「ホールで何かが起きている。早くしないと、怪我人が」
「嫌だと言ったら?」
「……っ!」
フランチェスカは歯を食いしばると、掴まれていなかった方の手でドレスをたくしあげ、手早く銃を抜き取った。
レオナルドから預かった銃だ。だが、レオナルドはくちびるでふっと笑み、フランチェスカの顎を掴む。
そして無理矢理に上向かせると、視線を重ねた。
「うあ……っ!?」
ぐわん、と頭の奥が歪む。
その瞬間、膝に力が入らなくなって、フランチェスカは崩れるように座り込んでしまった。
(スキルを、使われた……!)
レオナルドの持っているスキルのひとつ、他人の動きを支配するものだ。
立とうとしたけれども上手くいかず、バルコニーの石床に這い蹲った。
「可愛いフランチェスカ。……君が危険に飛び込むのを、俺が許可するはずもないだろう?」
「っ、は……」
体が重く、自由に動かせない。床についた手がぶるぶると震え、フランチェスカに逆らおうとする。
(全身が、どろどろの鉄になったみたい……!! もしくは鎖で縛られて、それをレオナルドに引っ張られている感覚……)
銃を握り締めている左手も、意思に反して開きそうになる。逆らおうとして力を込めれば、筋肉が限界を訴えて汗が滲んだ。
「誰か手を貸せ、伯爵を止めろ!! ――うわあああっ!!」
「早く出口に!! 逃げろ、じゃないと……」
ホールから、怒声と悲鳴が聞こえてくる。
レオナルドは、フランチェスカの前に跪くと、革手袋を嵌めた手を差し伸べた。
けれどもそれは、フランチェスカをエスコートしてくれるための手ではない。
「『銃を返せ』」
「……!!」
レオナルドが、フランチェスカに平然と銃を貸したのは当然だ。誰がどんな武器を持っていたって、レオナルドのスキルがあれば覆せる。
「ホールは楽しそうで大盛り上がりだ。俺と一緒にここで見学していようか? フランチェスカ」
「……っ、嫌……!!」
拒絶の言葉を絞り出しながらも、左手がゆっくりと持ち上げられる。
レオナルドのスキルに支配された体が、銃を差し出そうとしているのだ。
「やめて、レオナルド……!」
「第一ホールに戻ったら、たぶんリカルドに見付かるぞ。君の平穏な学院生活を、俺には守る義務があるだろう?」
「そんなこと、心にも思ってないくせに……!」
レオナルドが笑う。フランチェスカのこめかみを伝った汗が、顎にまで流れてぽたぽたと落ちた。
(これが、レオナルドのスキル。学院で襲って来た暗殺者が、スキルを受けた瞬間に気絶した理由が、よく分かる……)
気を抜くと、いまにも意識を失いそうだ。
ここで気絶をした場合、フランチェスカは抜け殻のように操られてしまうのだろう。スキルの効果が切れるまで、レオナルドの人形と化すだけだ。
(……?)
けれど、違和感に気が付いた。
(ホールの人たちがおかしくなったのは、レオナルドのスキルの所為。……そのはず、なのに)
「さあ、良い子だフランチェスカ」
声だけはやさしく、甘ったるいままで、レオナルドが言い聞かせて来る。
「……ここで、大人しく待っていような」
「~~~~っ」
ぐっとくちびるを噛み締めた。
(悪党は、無関係な人を巻き込んじゃいけない。……そして私は、主人公でありながらゲームのストーリーから逃げ出した悪人で……だから教えを、守らなきゃ……)
霞みそうになる意識の向こうに、前世の祖父の姿が過ぎった。
前世のフランチェスカが幼かったころ、祖父が撃たれたことがある。
馴染みの医者が駆け付けるのには時間が掛かり、自分たちで応急処置をするしかなかった。そんなとき、祖父は想像を絶する痛みの中で、姿勢を正して耐えていたのだ。
あのとき痛くはなかったのか、回復した祖父に泣きながら尋ねると、祖父はこんな風に言っていた。
『そりゃあ痩せ我慢をしていたのさ。俺が痛がったり暴れたりすりゃあ、銃弾を抉り出そうとしてくれてた組員どもも怯んじまうだろう?』
『やせがまん……? でも、おじいちゃん、ぜんぜん痛そうにみえなかったよ?』
『見栄だけでハッタリをかますんだよ。そうすりゃあ何より自分を鼓舞できる、普段は出来ない無理も利く』
あのときは、幼いながらに「そんなの嘘だ」と思っていた。
だが、フランチェスカは歯を食いしばり、祖父の言っていた『見栄』を張る。
「……ううー……っ」
「!」
レオナルドに銃を返そうとしていた左手に、震える右手をなんとか重ねる。
押し留め、抗って、自分の手を手前に引き戻した。
「へえ?」
(……自分の体ひとつ、自由に出来なくて……)
親指で、撃鉄を引き起こした。
実際にほとんど音はしないが、がちんと金属のぶつかる感触が手に伝わる。
(ゲームのシナリオになんか、背けるもんか……!!)
はあっと息を吐き出しながら、レオナルドを睨みつけた。
「本当に最高だな、フランチェスカ!」
レオナルドは笑ってみせるものの、その目はやはり暗く燻っている。
「スキルの支配から逃れるとは。意思の力で抗うやつは、過去にも確かに時々いた。だが……」
あとは引き金を引くだけの銃口に、レオナルドはぴたりと指を押し当てる。
「君がやさしいことを知っている。本当に俺を撃つ気がないなんて、誰でも想像できることだ」
「……っ」
「人を脅すのは向いていない。俺のフランチェスカ、分かったら諦めて大人しく……」
フランチェスカはくちびるを結ぶと、ありったけの力を振り絞り、その銃口を標的に向けた。
けれどもそれは、レオナルドにではない。
「――――フランチェスカ」
「……私を離して。レオナルド」
フランチェスカは自らの喉に、銃口をぐっと押し当てる。
「……銃を下ろせ」
「嫌」
くちびるで無理矢理に微笑んで、フランチェスカは言い切った。
「……だって、あなたを上手に脅迫できてる」
「――……」
レオナルドの声が僅かに揺れたのを、フランチェスカは聞き逃さなかった。
「『命を懸けてでも守る』って、レオナルドはパパに約束したよね。……『夜会中は、私の意思を尊重する』とも、血の署名つきで書かれていた」
「……」
後者には、背いた証拠が残らない。
だが、前者である『守る』との誓約は、フランチェスカに傷ひとつ付くだけで損なわれるものだ。
「確かに私、レオナルドは撃てないや。想像しただけで無理……だけど、自分のことだったら、人を撃つよりは簡単かな」
「……君は」
「レオナルド」
浅い呼吸を継ぎながら、改めて懇願した。
「私のおねがいを聞いて」
「……」
レオナルドが、その美しい顔を僅かに歪める。
「このスキルを解除して。……止めに、行かせて」
「…………」
数秒経ってから聞こえてきたのは、レオナルドの大きな溜め息だった。
「……俺の負けか」
「!」
その瞬間、ふっと体が軽くなる。
「ありがとう、レオナルド……!」
体力は消耗していたが、これなら自由に動けそうだ。フランチェスカが立ち上がろうとすれば、レオナルドは彼には珍しい渋面で、今度はフランチェスカの手を引いてくれた。
(だいぶ時間を消費しちゃってる、早く行かなきゃ。だけどこのやりとりで、見えたこともある)
フランチェスカは息を吐き、レオナルドを見据える。
(……ホールの人たちをおかしくしたのは、レオナルドじゃないかもしれない……)
けれども呼吸が整わないまま、バルコニーへと駆け出した。
「……ああ、まったく」
ひとりで残されたレオナルドは、改めてそこで嘆息するのだ。
「――こんなに思い通りにならない人間は、初めてだな」
***