323 愛する運命
『ひとつは、聖樹を浄化するスキル。ミストレアルの輝石がなくとも、聖樹を清められるというものだけれど……この国は今、さらにそれを応用して、聖樹の成長に関与できないか試しているわ』
『……そのために君を「聖女」などと呼び、庇護しているのだろう』
『ふふ。本当は、一介の公爵令嬢でしかなかったはずなのに、おかしいわよね……』
火照った顔で苦しそうに言いながら、寝台の傍に立つエヴァルトを見上げる。
『もうひとつは、「運命変化」のスキル。これはすごく大雑把なもので、細かく調整は出来ないのだけれど……』
セラフィーナはゆっくりと手を伸ばし、エヴァルトの手を握った。
『対象がこれから辿る運命を、良くも悪くも変化させられる。つまりは祝福することも、呪うことも出来る……』
『――その反動が、君の生命力を削ることか?』
彼女がこうして床に伏せたのは、エヴァルトの運命を救ったからだ。
『本当に良かったわ。運よく通り掛かった隊商が、私たちを見付けてくれて。しかも、最上級ランクの治癒スキルの所有者まで乗り合わせて、あなたを助けてくれたんだもの! まさかその人が、血液増幅のスキルまで持っているなんて』
『その代わりに、君は何日寝込んでいる』
セラフィーナは不満そうな顔をして、拗ねた様子でエヴァルトを見る。
『せっかく助かったのに、相変わらず殺し屋みたいに怖い顔……』
『……仕方がないだろう』
思えば、他人に対して苦言を呈したのさえ、あのときが初めてだったかもしれない。
『君の辛そうな顔を見ると、私まで胸を抉られるようだ』
『――――え』
セラフィーナが目を丸くしたのが、エヴァルトには少々意外だった。
『なんだ? 何故そう驚く』
『い、いいえ、その。……びっくり、したから……!!』
『…………?』
やはり、セラフィーナは変わった女性だ。
それからもエヴァルトは要請を受け、何度もセラフィーナの護衛を務めた。そのときに隣国で築いた人脈が、のちにカルヴィーノ家の商路に繋がる。
隣国の最大の試みは、セラフィーナの聖樹浄化スキルを応用することで、新たな聖樹を生み出すというものだったらしい。
それが成功すれば、今後一層セラフィーナが危険に晒されるだろう。そのことを苦々しく感じながらも、エヴァルトはただの護衛役だ。
どれほど友人として傍に居ても、エヴァルトに口を出す権利はない。
そうやって耐えてきたある日、思わぬ事実を耳にした。
『――セラフィーナ!』
『あら。いらっしゃい、エヴァルト』
彼女の頬が腫れているのは、恐らく父親によるものだ。
セラフィーナの睫毛は濡れていた。泣いていたことを隠したかったのか、照れ臭そうにエヴァルトを出迎える。
『そんなに走って来るなんて。ひょっとして、私を心配してくれたの?』
『当たり前だろう……!! 聖樹育成の役目を、下ろされたと』
『そう。お役御免になっちゃったの』
エヴァルトの前に立った彼女は、肩を竦めて軽く笑った。
『この状況でも国王陛下に貢献できる手段を、お兄さまが絶賛考案中よ。あなたの国の六大ファミリー? ロンバルディ家に嫁げって、そう言われたわ』
『…………っ』
『ロンバルディ家には、聖樹を研究している実績があるんですって。エヴァルトは知ってる?』
『待て』
彼女が一度に話そうとするのは、体調不良を隠しているときだ。
『友人』のセラフィーナの肩を掴み、エヴァルトは真っ向から視線を合わせた。瞳の赤は、エヴァルトの髪と同じ色のはずなのに、別物に思えるほど美しい。
『順を追って話してくれ。君は父君や兄君の期待に応えるべく、命を狙われる中ですら、聖樹育成の任を果たしていたはずだ』
『…………』
『それが何故、役割を下されるという結末に至った? 事と次第によっては、正式な抗議を……』
『だめ』
ぽつりと紡がれたその声は、聞いたことがないほどに弱々しいものだ。
『駄目なの。……私はもう、聖樹を浄化することすら出来なくなっちゃった』
『……な……』
思わぬ事実に息を呑む。
それはつまり、セラフィーナが元来持っていたスキルが、一切の効果を持たなくなったということだ。
『お父さまたちにも陛下にも、誰にも内緒にしていたのだけれど……あのスキルには、制約があったのよ。私がそれを破ったから、もうおしまい』
『制約……?』
『私のスキルではもう二度と、聖樹に干渉できないわ』
セラフィーナの瞳が、泣き出しそうに揺らいでエヴァルトを見上げる。
『誰かに強く、恋をしたから』
『…………』
白くて華奢な彼女の手が、縋り付くようにエヴァルトに伸ばされた。
『ごめんなさい』
初めて聞いた泣き声が、心から紡がれた懺悔に混じる。
『あなたが命懸けで助けてくれたときから、あなたに恋をし始めていた。会うのをやめなくちゃと思っていたのに、ここで諦めなきゃと分かっていたのに……!』
『……セラフィーナ』
『聖女ではなく、友人として傍に居させてくれた。……あなたのことが、どうしても好き』
華奢な体が震えていた。
こうして想いを吐露することに、彼女は心から怯えていたのだ。それでも告げずにはいられないのだと、泣きながら何度も繰り返す。
『……ごめんなさい、エヴァルト……』
最初に彼女に恋をしたのは、自分の方だと思っていた。
抱き締め返してそう告げたとき、セラフィーナはその目を丸くして、どうしてかますます泣いたのである。




