32 守るべき伝統
フランチェスカによる冷静な指摘を、レオナルドは文字通り一笑に付す。
「いいから君は、じっとしていろ」
(耳元で喋られるとくすぐったいんだけど……!!)
その直後、堅苦しい響きを帯びた声が聞こえて来た。
「――ここにいたのか、アルディーニ」
(やっぱり……)
先ほどから近付いていたその気配と、聞こえて来た声の主が一致する。
レオナルドは、フランチェスカを隠すために抱き締めたまま、その人物を振り返った。
「わざわざ逢瀬を邪魔しに来るとは。――無粋だなあ、リカルド」
「お前に名を呼び捨てられるいわれはない」
セラノーヴァ家の次期当主、リカルドが、あからさまな怒気をレオナルドに向けている。
「お前に話がある。……血の署名によって結ばれた盟約に関わることだ、拒否権は無いと思え」
「おいおい、本当に野暮なやつだ」
レオナルドはフランチェスカに背を向けると、改めてリカルドに向き直った。
「見ろよ。……『一般人』のお嬢さんが怯えている」
(あ。もしかして)
ヒロインらしく華奢なフランチェスカは、レオナルドの陰にすっぽりと収まっている。
(私のことを、リカルドから隠してくれている?)
フランチェスカは学院で、あまりレオナルドと一緒にいるところを見られないようにしている。
もしかして、その気持ちを汲んでくれたのだろうか。レオナルドの意外な行動に驚きつつも、フランチェスカは口を噤んでいた。
リカルドは軽蔑しきった様子で、レオナルドに苦々しくこう告げる。
「お前の行動は卑劣すぎる。表の世界の女を盾にして、逃げ切ろうとする算段だろう」
(レオナルドって、リカルドからの信用が皆無なんだなあ……)
もっとも五大ファミリー同士は、決してどの家も仲良くない。
レオナルドはあからさまな嘲りを浮かべ、リカルドは嫌悪を露わにしていた。ぴりぴりとした空気だが、フランチェスカはけろりとしている。
(リカルドはきっと、踏み込んで来る)
フランチェスカの想像通り、苛立った声が切り出した。
「この王都に、血の掟で認められていない薬物が出回っている。……手を引いているのはお前だろう、アルディーニ」
「違うって言ったら信じるのか?」
レオナルドはひょいと肩を竦め、軽い調子で言い放つ。
「信じないだろ。逆に『そうだ』と頷けば、お前は言質を取ったと騒ぎ始める。最初から答えが決まっている討論に興じるなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しいな」
レオナルドはフランチェスカを振り返ると、戯れるように髪を撫でて来た。
「そんなことよりも大切なのは、愛しい人との語らいだ」
(相変わらず、言動の全部が胡散臭すぎる……)
呆れてしまうが、これもレオナルドの計算なのだろう。
「はぐらかすな。血の署名を裏切ることは、俺たちの掟に反することだぞ」
「ははっ!」
心底おかしそうに笑ったレオナルドが、俯いた顔をゆっくりと上げる。
「……本当に掟が大好きなんだな」
「……なに?」
レオナルドの紡いだその声音は、いままでと少しだけ響きが違っていた。
「百年以上も前に結ばれた、古い慣習に囚われてどうする? もっと賢く生きた方がいい。『掟だから守る』なんて愚直な行動は、ただの思考停止に過ぎないからな」
「ふざけるな!! 先祖たちがさまざまな困難に直面した際、それを解決する手段として盟約が交わされたのだ。伝統とは叡智の結晶であり、受け継がれた財産で――……」
「――やり方がぬるくて愚鈍すぎるな」
「!」
あくまで軽やかな口ぶりのまま、レオナルドは笑いながらこう言った。
「ではここで、俺が薬物騒動の黒幕だと仮定する。だが、それがどうした? こんな夜会にやってきて、非公式に問い質すなんて意味がない」
「……っ、それは」
「やるなら徹底的に来いよ、リカルド。国王陛下の名の元、俺を審判の場にかければいい。――血の署名による盟約に従い、俺はいつでも馳せ参じよう」
レオナルドは左胸に右手を当てると、芝居めいた口調でリカルドに告げる。
「俺を消したいなら早くしろ。……伝統なんてものを守っているうちに、当家がすべてを塗り潰すぞ」
「……!!」
リカルドが悔しそうに拳を握る。だが、彼にこれ以上の反論が出来ないことを、フランチェスカは知っていた。
(レオナルドの見抜いている通り。リカルドが夜会にやってきたのは、レオナルドが怪しいと感じながらも、決定的な証拠がないからだ)
この状況で『審判』に掛けても、レオナルドは署名に背いたことを認めない。
だからこそゲームのシナリオでも、レオナルド本人の口から聞き出すしかないと、この夜会へ参加することになるのだった。
(この出来事も、メインストーリーとは一部分が逆。主人公はリカルド側にいて、レオナルドを糾弾する側なのに、いまの私はそうじゃない)
レオナルドの背中に守られて、どちらかといえばリカルドの目から逃げているのだ。
「……今日のところは、一度失礼する」
リカルドが、なんとか言葉を振り絞る。
「だが、いずれまた『話』を聞かせてもらおう」
「楽しみだな。どんな証拠を持ってくるのか、わくわくしながら待っていよう」
「精々そうやって宣っていろ。……それと、そこの淑女よ」
「!」
突然こちらに話を振られて、フランチェスカはびっくりした。リカルドから姿は見えていないはずだが、このままでは一緒にいることが知られてしまう。
「ひゃ……、ひゃい」
「ひゃい?」
慌てて鼻を摘まみ、少し声を変えて返事をすると、リカルドが訝しそうにする。
「……まあいい。あなたがアルディーニの外見、財力、何に惹かれたのかは知らないが、この男と行動を共にしない方がいいと進言しよう」
「……ごちゅうこく、いたみいりまふ……」
リカルドは最後にもう一度、レオナルドのことを睨みつけたあと、ホールへと戻っていった。
「見たか? フランチェスカ。あいつの眉間、ものすごく皺が寄ってたぞ」
「見えるわけないでしょ、レオナルドに遮られてたんだから」
フランチェスカは答えつつも、じっと考えた。
(いまの私とゲームとは、私が組み込まれている陣営が逆ということになるのかな。……その上で、大枠は同じ出来事が進行している)
レオナルドは、明るいホールの方を眺めていた。その横顔を見上げて、状況を整理する。
(ゲームでは、薬物騒動を止めようとした『私』がレオナルドを怒らせて、レオナルドのスキルによる大騒ぎが始まっちゃうんだ。だけど……)
念のため、レオナルドにそっと尋ねた。
「レオナルド。いま何か、怒ってる?」
「怒る? なにに?」
「たとえば、私とか……」
「はは。有り得ない」
彼は鮮やかな笑みを浮かべ、フランチェスカの手を取った。
「可愛い君に対して、俺が怒りを抱くと思うか?」
(嘘っぽい振る舞いとはいえ、いま怒ってなさそうなのは間違いないよね。リカルドに腹を立ててもいなさそう)
というより、ろくに相手をしていなかったというのが正しいのかもしれない。
(……ずっとレオナルドにくっついていたけど、スキルを使ったそぶりもない。このままいけば、大丈夫なはず)
それなのに、なぜか胸騒ぎがする。
(目の前にいるレオナルドは、ゲームのキャラクターじゃない。自分の考えがあって、信念があって、それを元に動いている。いくらシナリオで定められてる出来事だって、レオナルドが脈絡もなくスキルを使って、『あの事件』を起こすわけない)
フランチェスカはぐっとくちびるを結び、自分の不安の正体を探った。
(どうして、嫌な予感がするの……?)
その瞬間だった。
「っ、うわああああああ!」
「!!」
フランチェスカは目を丸くする。そして、弾かれたようにホールを見遣った。
(うそ……)
「……」
レオナルドも、黙ってそれを眺める。
そこに広がっていた光景は、ゲームで見たものの通りだった。
(始まった!? ――夜会ホールの参加者たちが、レオナルドのスキルによって錯乱状態になって、お互いに殺し合おうとする事件……!)
だって、レオナルドはここにいるのに。




