308 早く会いたい
「……くだらないね」
ルキノは視線を手元に落とし、少し不機嫌そうにパンを千切る。
「放っておいても、どうせ壊れる」
一体どういう意味なのか、それを尋ねても答えないのだろう。ルキノは皮肉的な笑みを浮かべながら、すぐさま指をナプキンで拭った。
「だったら出来るだけ残酷に、醜く滑稽に壊れるべきだ。僕はそれを鑑賞しながら、あのお方のために尽くすだけだよ」
「…………」
「君こそ」
美しい所作で食事を続けるルキノは、こんなことを指摘してくる。
「家の信条。『忠誠』なんだっけ?」
「そうだよ、よく知ってるね! なんだか嬉しいな」
まさかルキノが、フランチェスカの家のことを把握しているとは思わなかった。にこにこしながらフィッシュナイフとフォークと手に取ったフランチェスカを見て、ルキノは鼻で笑う。
「大層なものを掲げている割に、君には忠誠心なんて見えないけれど?」
「る……ルカさまのことは、大好きなんだよ!?」
この気持ちは『忠誠』というよりも、祖父を慕うのと同じような感情だ。
(私以外の他のみんなは、五大ファミリーそれぞれの信条を継いでいる。だけどうちの場合は、グラツィアーノの方がしっかりした『忠誠』の心を持ってるよね……)
とはいえ家の名誉のためにも、きちんと弁明はしておきたい。
「私が変なだけなの。うちのパパはルカさまに忠誠を誓っているから、私がルカさまにひどいことをされない限りは、その忠誠心を貫くよ!」
「君が変なのは否定しないよ。そもそも貴族らしくない」
「う!!」
フランチェスカにもその自覚はある。何しろ日本の女子高校生だった頃と、ほとんど感覚が変わっていないのだ。
「それも全部、私が特殊な所為で……。パパも使用人のみんなも、色々と貴族については教えてくれてる……!」
「……」
ルキノがナイフの手を止めて、こう言った。
「母親は、いつから居ないの?」
「!」
フランチェスカが肩を跳ねさせると、ルキノはふっと目を細める。
「その顔。君の所為で死んだんだ?」
「……うん。私を産むときに」
「へえ」
フォークを口元に運ぶルキノを前に、フランチェスカは食事の皿へと視線を落とす。
(パパは昔、私は悪くないって言ってくれた。だけど)
それでも勿論、理解していた。
(私を産まなければ、ママは今でも幸せに生きていたんだ。……パパの隣で、一緒に笑って)
その事実を消すことは、絶対に出来ないのだ。
(それに、前世でも……)
フランチェスカは、ぎゅっとナイフを握り込む。
『一体誰が、お前にそんなことを伝えた!!』
『駄目、お祖父ちゃん……!』
両親の仏壇を前にして、あんなに怒った祖父の顔を見たことはない。
『そいつを教えろ、俺が許さねえ!』
『怒らないで、私は平気! 本当のことを知れてよかったよ、全部、私の所為で……!!』
『いいか、ひかり!!』
『……っ』
あのとき祖父は、フランチェスカの肩を掴んで言った。
『あいつらが心から願ったのは、お前の幸せだ』
『……お祖父ちゃん』
『……どうか、そのことだけは……』
がちゃん! とナイフが音を立てる。
「あ……」
自分が鳴らした音だと気が付いて、フランチェスカは目を丸くした。こうしたマナーは徹底的に覚えたはずなのに、どうやらぼんやりしすぎたようだ。
「ごめん。失敗しちゃった」
「……もういらないなら、下げさせたら」
「ううん! 食べる食べる、すっごく美味しい!」
クレスターニの雇った料理人は、洗脳されていても一流の腕を持っているようだ。絶対に残さないという意気込みを胸に、フランチェスカは食事を再開する。
それでも胸の内側に、普段は押し殺している感情が滲んできた。
(……死なせたのは、私の所為)
そんな思いを、深呼吸で押し殺す。
(落ち着け、落ち着け……。うちのママが亡くなった理由なんて聞いてきたのは、絶対に何か思惑がある)
あの聞き方を鑑みるに、フランチェスカの母が亡くなっていることを、ルキノも最初から知っていたはずだ。
(私についての情報が、ルキノにも渡っていたんだよね? やっぱり少なくとも、レオナルドを妨害するために私を洗脳した訳じゃない……ような気がする)
フランチェスカにはもうひとつ、気になっている点があった。
(夏休みにラニエーリ家の森で、私が危ない目に遭い掛けたとき、助けてくれたのはクレスターニ……)
クレスターニにはあの時点で、レオナルドに追われている自覚はあったはずだ。
それなのにわざわざ接触してきたのは、フランチェスカの身の安全が、クレスターニにとっても重要だったからだろう。
(考えられる一番の理由は、私がルカさまの『切り札』だから。……クレスターニがそれを知っているのは、あの人も賢者の書架に入れるからだ)
フランチェスカが想像した通り、レオナルドからも隠されているフランチェスカの『秘密』はきっと、賢者の書架に眠っている。
(『賢者の書架』に入る資格。それを持つ人を探していけば、クレスターニに辿り着くかもしれないって、レオナルドも気付いてくれていそうだけど……)
ひとつ、大きな問題が存在していた。
(記憶操作。クレスターニが気付かせたくない情報を、私たちの頭から消されている可能性がある)
そして、忘れていることすら思い出せないのだ。
(こんなに厄介なクレスターニを、レオナルドはたったひとりで、十歳の頃から追っていたんだ。……セレーナ家を支配して、アルディーニ家を裏切らせて、レオナルドのお父さんとお兄さんを死なせた人)
それから七年もの間、どんな想いで居たのだろうか。
フランチェスカが尋ねても、レオナルドはきっと微笑むはずだ。
(……早く、レオナルドをいっぱい撫でてあげたい……)
そのためにも、じっと迎えを待ってはいられない。
(クレスターニの狙いは私だけじゃない。そもそもセレーナ家を使って命じたことが、どうしてアルディーニ家を裏切ることだったの? レオナルドが危ないかもしれないなら、絶対に助けなきゃ……)
フランチェスカが決意を新たにした、そのときだった。
「……ルキノ?」
いつのまにか、ルキノの様子が変わっている。
背凭れに寄り掛かり、目を閉じて、食事を前に寝息を立てているのだ。フランチェスカは瞬きをして、現在の状況を声に出す。
「……寝てる……」
まるで、眠りの魔法にでも掛けられたかのようだ。
一見すれば、脈絡もなく意識を失ったように見える。けれどもフランチェスカは、その理由に察しがついていた。
(多分、『あれ』が原因だ……)
立ち上がり、傍まで行ってルキノの顔を覗き込んだ。顔色も悪くなく、穏やかに呼吸をしているが、念のため給仕係に声を掛ける。
「ごめんなさい。ルキノが寝ちゃったみたいで、お部屋まで運んであげられますか?」
「かしこまりました。フランチェスカさま」
「ありがとうございます」
知らない人に恭しく呼ばれる居心地の悪さを感じつつ、フランチェスカはルキノから離れる。
「ご馳走さまでした。先に上に行って、ルキノの部屋の扉を開けておきますね」
そう告げて、廊下へと静かに出て行った。
(――今ならきっと、あの方法を試せるはず)
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