300 師への心配
※昨日も更新しています。前話をお読みでない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
「…………なに?」
「俺たちのことを休ませようとしてくださるのに、当主こそ寝てませんよね」
他の構成員たちからは、そのことについて、くれぐれも触れてはいけないと釘を刺されていた。
『グラツィアーノ、当主に差し出がましい口を利くなよ。父親にとって、娘の有事は命の削り所……俺たちには、どうあっても立ち入れない一線だ』
いわゆる『先輩』にあたる面々が、エヴァルトへの忠誠心ゆえに発言していることは、グラツィアーノだって理解している。
彼らの中には娘が居る者も、フランチェスカを幼い頃から見守っている者も、大勢存在しているのだ。先輩たちは皆、エヴァルトの心情をよく理解した上で、グラツィアーノを窘めたのだろう。
(大人は皆、いつだって正解を選んでいるのかもしれねえけど。……それでも)
グラツィアーノはどうしても、その一線を踏み越えずにはいられなかった。
「お嬢のことで動揺している俺たちのことを、気遣ってくださっているのは分かってます。だけど俺にとってはお嬢の次に、当主のお体も心配で」
「……グラツィアーノ」
「ガキの癖に生意気を言っているのも、自覚してます。ですが」
どんな風に継ぐべきかを少し迷って、グラツィアーノは俯いた。
「……あなたが無理をしているって知ったら、お嬢が泣く……」
「…………」
フランチェスカの代弁をするなど、流石に過ぎた真似だっただろうか。
だが、本心であることに代わりはない。グラツィアーノは叱られるのを覚悟しつつ、ぐっと顔を上げてエヴァルトを見上げる。
そのときだった。
「…………その言葉は」
エヴァルトがひとつ、溜め息をつく。
「……そっくりそのまま、お前にも返そう」
「当主……?」
「フランチェスカは、お前が無理をすることも望まない」
エヴァルトが指に預けた煙草から、細い煙がのぼっている。エヴァルトはゆっくりと瞑目し、独り言のように呟いた。
「……分かっている」
まるで、自身に言い聞かせるかのような物言いだ。
エヴァルトは、煙草を吸って煙を吐くと、エントランスの階段へと向かった。
「話は終わりだ、もう休め。ただでさえ就寝が遅くなることも多い中で、睡眠時間まで削ることは得策ではない」
「……当主」
その上で、こちらを振り向くことをせず、たったこれだけを約束してくれる。
「私も、もう休む」
「!」
グラツィアーノはほっとして、その大きな背中に言い募った。
「……明日、もう一度俺の父に話を聞きに行きます。あのひょろひょろ医者のお陰で、クレスターニの情報と洗脳中のことについて、何か思い出してるかもしれないんで」
「ああ」
「それと」
両手をぐっと握り締め、改めて願う。
「あなたがお嬢のために人を動かすなら、一番に命じるのはこれからも、俺にしてください」
「…………」
すると、エヴァルトは階段の途中で立ち止まり、一度だけこちらを見遣って言った。
「当たり前だ」
「!」
なんでもないことのように、それでもすぐに返ってきた言葉を受けて、グラツィアーノは息を吐く。
深い礼の姿勢を取って当主を見送り、やがてエヴァルトの足音が聞こえなくなった頃、その場にゆっくりとしゃがみ込んだ。
「はー……」
そして、エントランスの隅に声を掛ける。
「……先輩たち、気配を消しててもバレバレっすからね。当主も思いっ切り気付いてましたけど」
「…………」
「だんまりかよ。別にいいっすけど」
数人の大人たちが息を殺して、必死にしらを切っている。グラツィアーノはその光景に呆れつつ、自身の膝の上に頬杖をついた。
そして、ずっと昔のことを思い出す。グラツィアーノがこの家に拾われたばかりの、十年近く前の出来事についてだ。
『……パパのことは、わたしが守らなくちゃ』
フランチェスカとグラツィアーノは、エヴァルトの書斎を覗いていた。
『まもるって、なにからですか?』
『色んなことだよ!』
『いろんなこと……』
グラツィアーノには分からなかった。だってエヴァルトは、グラツィアーノが知っているどんな人よりも強いのだ。
『痛いことや、怖いことからだけじゃないの』
扉の隙間から見えるエヴァルトは、先ほどから難しい顔で書類を睨んでいる。
『みんなに疑われたり、ひとりになったり……そういうことからも、まもりたい』
『当主は、おとななのに?』
『おとなでも!』
フランチェスカはきっぱりと答え、グラツィアーノに教えてくれた。
『グラツィアーノも覚えていてね。どんなにおおきくなっても、りっぱな男の子になっても、ひとりで戦わなくていいんだってこと』
『……でも』
あのとき思い浮かべたのは、亡くなった母のことだ。
『母さんは、おれのためにひとりで死にました』
『……グラツィアーノ』
『おれだって、いつかはひとりになって、だれにも頼らずに……』
だが、そのときだった。
『ちがうよ!』
『!』
フランチェスカは小さな体で、グラツィアーノを抱き締めたのだ。
『……おぼえていてね』
年齢もひとつしか違わない、たった七歳くらいのフランチェスカが、母のようにやさしい声でこう言った。
『グラツィアーノのことだって、私とパパが守るんだから。絶対にもう、そんな思いをさせたりしない』
『……お嬢』
『辛いときはひとりで居なくていいよ。悲しいときは教えてね。グラツィアーノの傍に、ちゃんと居るよ』
『…………』
『約束、だから』
フランチェスカはいつだって、そうした誓いを捧げてくれる。
『……はい』
そのために、たとえ自分がどうなろうとも。
『おれも、お嬢と当主を守ります。……ぜったいに』
幼い頃のそんな誓いを、グラツィアーノは死んでも違えない。
だからこそ、フランチェスカが戻らない日々の中でも、エヴァルトだけは守り通すと決めていた。
(当主は俺との約束を守ってくださる。これで、今日の夜は寝てくれる気になったはずだ。……アルディーニは)
二時間ほど前、夜の港で見た姿を思い出す。
フランチェスカの婚約者であるあの男は、至っていつも通りに見えた。余裕があって掴み所がなく、世界中の全てを知っているかのように笑う、気に食わない態度までそのままだ。
けれど金色のあの目には、鋭い光が揺らいでいた。
(あんな奴がどうなろうと、どうでもいい。けど)
フランチェスカ以外に、あの男のことを心から心配して、気遣う人間は存在するのだろうか。
「……くそ」
なんだか無性にそのことが気に掛かり、そんな自分も不本意で、グラツィアーノは舌打ちをするのだった。
***
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小説とコミックはカバーイラスト、ドラマCDは新たなキャラクターの豪華な声優さまも解禁です!
【悪党一家の愛娘】フランチェスカ: 戸松遥さん
【極悪非道の婚約者】レオナルド: 内田雄馬さん
【忠臣義士の番犬従者】グラツィアーノ: 大塚剛央さん
【継往開来の風紀委員】リカルド:梅原裕一郎さん
【狷介孤高の同級生】ダヴィード:松岡禎丞さん
【過保護な冷徹パパ】エヴァルト: 浪川大輔さん
【少年国王】ルカ:釘宮理恵さん
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なにとぞ!