299 師である人
※昨日も更新しています。前話をお読みでない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
【第5部3章】
グラツィアーノにとって、当主エヴァルトの存在は、一言で言い表せないものだった。
貧民街で暮らしていた幼いグラツィアーノを、暴力と飢餓の中から救い上げてくれた。その上で、フランチェスカと引き合わせた人物こそが、他でもないカルヴィーノ家の当主なのだ。
『お前はこれより先、どのような生き方をも選ぶことが出来る』
エヴァルトは、使用人たちに外出の支度をさせながら、拾われたばかりのグラツィアーノにそう告げた。
『幼き民を飢えさせるなとは、陛下のお言葉だ。当家はその御心にお応えするべく、お前を庇護すると決めた』
『…………』
『環境の良い孤児院で、多くの友人と育つのも良い。それなりの家の養子となり、実の子のように過ごすことも出来る。この家に留まることを望むとしても、裏の世界には関わらないことは十分に可能だ』
仕立ての良い上着に袖を通し、襟元を整える。たったそれだけの仕草であっても、エヴァルトの所作が完璧であることは、グラツィアーノにすらよく分かった。
『それでもお前は、当家の「真の一員」になりたいと?』
『……はい』
治癒のスキルで傷が治っても、痩せた身体は誤魔化せない。グラツィアーノは小さな手をぎゅっと握り締めて、エヴァルトに願う。
『おれは、あなたの役にたちたいです』
『…………』
『それから、あのひとを』
思い浮かべたのは、傷だらけのグラツィアーノを抱き締めてくれた、温かな女の子のことだ。
『……ずっと守る。だから……』
それ以来、エヴァルトは当主というよりは、まるで師のようにグラツィアーノを導いてくれた。
決して言葉数が多い訳ではない。グラツィアーノが転んだとき、手を差し伸べるようなことも有り得ない。
(だけど)
『グラツィアーノ』
エヴァルトはいつも、グラツィアーノを疑うことのない瞳で見据え、待っていてくれた。
『立てるな?』
『…………はい!』
グラツィアーノはエヴァルトを尊敬している。
フランチェスカの父でもあり、ファレンツィオーネの剣とまで呼ばれるほどの忠臣でもある当主の、その背中を見ながら育ってきた。
だからこそ、分かっていることがある。
屋敷のエントランスにある階段に蹲り、じっと主の帰りを待っていたグラツィアーノは、待ち侘びていた足音を耳にして立ち上がった。
「……グラツィアーノ」
「お帰りなさいませ。当主」
夜も更け、使用人たちは全員休んでいる時間だ。すぐにエヴァルトの傍に駆け寄って、外套を脱ぐ手伝いをしようとする。
しかしエヴァルトは息をつき、グラツィアーノを窘めた。
「休んでいるように伝えたはずだが?」
「当主がお勤め中なのに、俺だけ先に寝る訳には行きませんから」
なるべく冷静に答えながらも、腹の内では焦燥が湧き上がる。
(それに、こうしている間もお嬢が……)
「…………」
エヴァルトは黙ったまま、首元のマフラーに手を掛ける。それを緩めて外し、グラツィアーノに渡しながら、外套の前を開けていった。
「お手伝いします」
「構わない。もう部屋に戻れ」
「ですが……」
「グラツィアーノ」
静かだが威厳のある声に、グラツィアーノは背筋を正す。
「お前には、どのような場所でも休息を取れるように仕込んだ。それが何の為か、分かっているな」
「……必要なときに、必要な働きをするためです」
「その通りだ」
もちろん、頭では分かっているのだ。
(俺ひとりがどれだけ探し回っても、限界はある。お嬢を助けに行くために必要なのは、ここで無理をすることじゃない。それでも……)
居ても立ってもいられない衝動を押し殺すために、敢えて無関係なことを尋ねた。
「アルディーニは、当主に失礼なことをしませんでしたか」
「…………」
一時間ほど前、グラツィアーノはエヴァルトの命令により、フランチェスカの婚約者である男を出迎えに行ったのだ。
「問題は無い」
(……俺がこの家に来たときから、当主はあの倉庫に、何年も何かを隠している)
エヴァルトの外套を受け取りながら、グラツィアーノは口を噤んだ。
(いつか俺がこの家の養子になったときのために、家業については全部教わってきた。それでも俺が知らない『中身』を、アルディーニには見せたのなら、あそこにあるのはカルヴィーノ家の秘密じゃない)
その事実を、グラツィアーノは淡々と理解する。
(アルディーニの婚約者である、お嬢についての――……)
エヴァルトが煙草を咥える前に、グラツィアーノは内ポケットからマッチを取り出した。
グラツィアーノが擦った火を煙草に宿したエヴァルトが、ふうっと煙を吐いてから、思わぬことを口にする。
「お前には、改めて言い聞かせておくべきことがある」
「? どのようなことでも」
不思議に思いながらもすぐさま頷いた、その直後だ。
「お前のことは、私の後継者として育ててきた」
不意の言葉に、グラツィアーノは目を丸くする。
「しかし私がお前に望むのは、私の代わりを務めることではない。私に出来ないことを為す、その役割だ」
「……当主」
「だからこそ、お前には敢えて伝えないこともある」
グラツィアーノの考えていることが、エヴァルトには伝わっていたのだろう。けれども、そこには誤解があることに気が付いた。
「それは、様々な事情を考慮した結果であり……」
「分かっています」
「!」
不敬であると分かっていても、エヴァルトの発言を遮った。グラツィアーノは真っ直ぐにエヴァルトを見据え、こう続ける。
「当主には当主の、アルディーニにはアルディーニの。俺には俺の、負うべき役割がある」
「……その通りだ」
「当主とアルディーニの話に入れないことに、腐っている訳じゃありません。……俺が寝ずに待っていたのは、お嬢が心配なだけじゃなくて、その……」
そのまま口にするべきか、本当は少しだけ躊躇した。
けれどもこれがフランチェスカなら、絶対に迷わず本音を告げる。グラツィアーノはその確信に背中を押され、気恥ずかしさを押し殺して言い切った。
「――当主のことも、心配だからです」
「…………」
水色の瞳が、驚いたように見開かれる。
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▼雨川の直筆サイン本のご予約についてのページ
https://note.com/ameame_honey/n/n5de0dfecd663
小説とコミックはカバーイラスト、ドラマCDは新たなキャラクターの豪華な声優さまも解禁です!
【悪党一家の愛娘】フランチェスカ: 戸松遥さん
【極悪非道の婚約者】レオナルド: 内田雄馬さん
【忠臣義士の番犬従者】グラツィアーノ: 大塚剛央さん
【継往開来の風紀委員】リカルド:梅原裕一郎さん
【狷介孤高の同級生】ダヴィード:松岡禎丞さん
【過保護な冷徹パパ】エヴァルト: 浪川大輔さん
【少年国王】ルカ:釘宮理恵さん
今回も10/27正午までのご予約で、雨川直筆のサインが付いてくる5巻セットが発売されます!
なにとぞ!