298 抵抗(第5部2章・完)
ぐっと身を強張らせたフランチェスカを見て、クレスターニが苦笑した。
「ああ、すまない! 怖がらせてしまったな」
「…………」
引き続きクレスターニを警戒しながら、思考を巡らせる。
(レオナルドと、因縁があるんだ。……この屋敷で、新しく信奉者として出てきた人たちも、ゲームに登場したキャラクターだった。五章までに出ていたのは名前だけ、それでも)
青年たちとの邂逅は、大きなヒントになるのかもしれない。
浮かんできたのは、ひとつの可能性だ。
(……クレスターニも、ゲームに登場していた人物……?)
その瞬間、背筋にぞわりと鳥肌が立った。
「フランチェスカ?」
(……ゲームは全七章が予告されていた。私が遊んだことがあるのは、五章まで)
フランチェスカは、膝の上に両手を揃えて俯く。
(一章のメインキャラクターはリカルド。二章はグラツィアーノ、三章はダヴィード……四章はエリゼオで、五章はパパ)
シナリオで登場した人物の、それぞれを急いで辿ってゆく。
(考えろ私。考えろ、考えろ……! 人物の情報を出来るだけ思い出すんだ。六章のキャラクターに予告されていたのはルキノだから、きっとルキノがメインキャラクターで間違いない。それなら七章は!?)
「うーん、すっかり喋らなくなってしまったな。……フランチェスカ」
(七章が、ゲーム本編のお終いなら。順当なのは)
「フラーンチェースカ?」
頭の奥が、鈍く痛み始めていた。
「いま」
誰かに似ているその顔が、鮮やかな笑みに彩られる。
「……何を思い出そうとしているんだ?」
「…………っ!!」
この男が誰に似ているのか、頭痛の中でようやく見付けた。フランチェスカは殆ど無意識に、問い掛けを口に出してしまう。
「……あなたは、もうひとりのレオナルドなの……?」
「…………」
クレスターニが、僅かにその目を見開いた。
彼はやがて小さく俯くと、何かを堪えるように肩を震わせる。零れたのは、何処か乾いた笑いだった。
「……っ、は」
「クレスターニ……」
「はははっ、あははは!!」
何がそんなに気に入ったのか、嬉しそうにすら見える振る舞いだ。けれどもひとしきり笑った後、向けられたのは作り物の微笑みだった。
「……随分と、面白いことを言うんだな」
「!」
椅子から立ち上がったクレスターニが、丸いテーブルに片手をつく。
そうしてフランチェスカを覗き込むように、もう一方の手を伸ばしてきた。
「そんな所が、とても可愛い」
「…………っ」
顎を掴まれ、少し強引にクレスターニの方を向かされる。
長い睫毛に縁取られた瞳が、フランチェスカを見下ろしていた。灰色の前髪に隠れたもう片方の目も、こちらを捕らえているのだろうか。
(レオナルドの結界が、クレスターニを弾かない。私を傷付ける意思がないことの証明なのに、この威圧感……!)
決してそれに負けないよう、真っ直ぐに見詰め返す。
「……それならあなたは、一体誰なの」
「おかしなことを言う。目の前に本物の俺がいるのに、『正体』なんて必要か?」
「だって、分からない……! この国をめちゃくちゃにして、隣の国まで支配して、みんなをたくさん傷付けてる理由は!?」
「ひどいな。俺のことを、悪党だって決め付けて」
思わぬ言葉に、フランチェスカは眉を顰めた。
「何を……」
「だけど、君が大切な人のために怒る気持ちもよく分かる」
そう言って笑ったクレスターニが、フランチェスカから手を離した。
そのことに安堵する暇もない。次の瞬間頭の中で、何かが歪むように脈動する。
「う、あ……!!」
「フランチェスカ」
紡がれたのは、優しい声音だ。
「自分で思っている以上に、君は疲れているんじゃないか?」
「……っ、嫌……!」
「屋敷の中の探検は中断して、少し眠ろう」
そんな甘言に、頷きたくなどなかった。
けれども思考が鈍化して、ぐにゃぐにゃと歪んでゆくのが分かる。拒絶を口にしたかったくちびるが紡いだのは、こんな言葉だ。
「……クレスターニ、さま……」
くすっと笑ったクレスターニが、フランチェスカの頭を撫でる。
「大丈夫。今度はルキノじゃなくて俺が、君を寝台まで連れて行くよ」
「……いい、え……あなたの、お手を煩わせることは、許されません」
「なら、屋敷の探検はもう終わりにして、部屋でお利口にしていられるか?」
「…………」
フランチェスカの身体が、意思に反して頷こうとしている。
「約束してくれ。フランチェスカ」
(だめ。ここで、受け入れたら)
クレスターニの紡ぐ声は、小さな子供をあやすかのようだ。
「良い子だな。さあ」
(……受け入れたくない、のに……!!)
フランチェスカがぐっと俯いた、そのときだった。
「!」
耳元で、薔薇の耳飾りが揺れる。
宝石同士がぶつかって、ほんの微かに音を立てた。たったそれだけの小さな響きが、フランチェスカに力をくれる。
(……レオナルド)
彼のことを思い出した刹那、思考が一気に澄み渡る。
フランチェスカは息を吸い、クレスターニを真っ直ぐに見上げた。
「……嫌です!」
「!」
はっきりと、大きな声で口にする。
「あなたは賭けで不戦敗を選んだんですから、今更そんな命令は聞けません!」
「……へえ」
「それに私! 婚約者がいるので、気軽に触るのはご遠慮ください!」
そう告げて、フランチェスカは席を立った。
「そろそろ行きますね。お茶とケーキ、残してしまってごめんなさい!」
「…………」
「それじゃあ、さよなら!!」
お行儀が悪いと分かっていても、フランチェスカは温室の外へ駆け出す。クレスターニが何かを話す前に、急いでその場を逃げ出したかった。
(怒って追って来たりしない。命令違反の罰則も発動しない……本当に、何を考えているの?)
温室の扉を押し開き、空気の冷えた中庭に出る。そこから屋敷の本館を目指しつつ、はあっと白い息を吐き出した。
(助けてくれてありがとう。レオナルド)
耳飾りが、耳の傍でちりちりと音を立てている。
(ごめんね。きっと私のために、たくさんのスキルを使い続けてくれているよね? ……反動で辛くなっていないかな。私、レオナルドに、笑っていて欲しいのに)
そんなことを考えながら、胸の奥がきゅうっと苦しくなった。
(……早く会いたい。レオナルドの頭を撫でて、もう大丈夫って伝えたら、それから……)
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第5部3章へ続く




