30 噂の根絶
レオナルドは本当に手慣れた様子で、フランチェスカをバルコニーまで連れて行こうとする。フランチェスカはさりげなく周囲を窺いつつも、それに素直に従った。
「レオナルド。そんなに守ろうとしてくれなくて平気だよ」
彼と一緒に歩きながら、フランチェスカはそっと告げる。
「名前を名乗るくらい大丈夫。私もちょっとくらいは挨拶しておかないと、今後に差し支えるかもしれないし」
そう言うとレオナルドは、意味深な微笑みを向けて来た。
「今後というのは、俺の妻になったあとの話か?」
「だから、目標は婚約解消なんだってば!」
「ははは。まあ、俺も悩んでいるところではあるんだ」
フランチェスカの抗議をまったく相手にもしないまま、レオナルドはぽつりと言う。
「君を名乗らせず、正体を隠して独り占めするつもりでいたが。……『俺の婚約者』として見せびらかしておかないと、他の男どもが目障りで仕方がないんだよな」
「……?」
胡乱にレオナルドを見上げつつ、フランチェスカは念を押した。
「名乗るつもりなのは学校と同じ、トロヴァート家の名字だからね? 本当のことは言わないよ。だって……」
「――カルヴィーノ家は不参加か」
「!」
すれ違ったのは、フランチェスカの知らない男性ふたりだ。
「あそこの娘はいつになっても、社交界に姿を現しもしないんだな」
まさか張本人が近くにいるとも知らず、彼らは小声で言葉を交わす。
「それは当然だ。なにせ、スキルがひとつも発現しなかったのだろう? たとえ年頃になったとしても、恥ずかしくて顔を出せるはずもない」
「ふ、言われてみればそうか。五大ファミリーのひとり娘といえど、スキル無しではなあ……」
(わあー、私の悪口だ。久々に聞いた!)
なんとも思っていないフランチェスカは、新鮮な気持ちで瞬きをした。
(うちのファミリーでは、誰も私のスキルについて話さないもんね。社交界に出ないのは『平穏な人生を送るため』が理由だけど、スキル無しを理由にしていると怪しまれずに済んで幸運だったな)
そんなことを思いつつ、レオナルドと話を続けようとした瞬間だ。
「……っ!?」
見上げた彼の目の冷たさに、フランチェスカは息を呑んだ。
そしてレオナルドは、男性たちの方に歩き出そうとする。
「――……」
「……駄目、レオナルド……!」
フランチェスカは、慌てて彼の腕にしがみついた。
けれどもレオナルドは、フランチェスカに柔らかな声音で言う。
「どうした? ……君はそこにいていい。可愛いフランチェスカ」
「駄目だよ、離さない……!」
いまのレオナルドが纏っているのは、殺気の類とは少し違った。
あの男性たちを、殺そうとしているわけではない。
だというのに、これほどまでに酷烈な空気を纏えるものなのだろうか。
「レオナルド、あの人たちに何かするつもりでしょ!?」
「……」
レオナルドは、淡く発光しているように見える金色の瞳を細めた。
かと思えば身を屈め、フランチェスカの耳元にくちびるを近付ける。
そして、そっと囁くようにこう紡いだ。
「……『償い』をさせるだけ」
「……っ」
それはまるで、甘えるように掠れた声音だ。
鼓膜がじんと痺れるような、不思議な魔性を帯びている。さっきとは違う痺れが滲んで、フランチェスカは眉をひそめた。
「俺の可愛くて大切なものに、不快な言葉を浴びせた分だ。あいつらが話しているだけで君が汚れる、だから贖わせないと」
レオナルドは、続いてフランチェスカの髪を指に絡めると、じっと目を見詰めてから許しをねだる。
「……だめ?」
「…………」
――フランチェスカ、と。
そんな風に名前を呼ばれた所で、『いいよ』だなんて言わないに決まっている。
(放っておいたら、何をするか分からない。……こんなに綺麗な外見なのに、存在が危うすぎる……)
黒幕である悪役婚約者を前にして、フランチェスカは言い切った。
「……ぜっ、たい、駄目! 行くの、ほら!」
「……」
再びレオナルドの腕にしがみついて、そのままぐいぐいとバルコニーへ引っ張る。
フランチェスカたちのそんな様子を、他の参加者たちが唖然と眺めていたのだが、いまはそんなことを気にしていられない。
「あんなよくある噂話なんて、放っておいていいんだよ!」
誰もいないバルコニーへと出た瞬間、フランチェスカはレオナルドに言い切った。
「君を侮辱した連中を、放っておく意味が分からない」
(な、なんで拗ねてるの……!?)
いつも飄々として余裕そうなレオナルドが、あからさまな不服を顔に出している。
「私のために動いてくれようとしたことについては、気持ちだけは嬉しい、ありがとう! でも、本当にあれくらい平気なの」
「……前から疑問に思っていた」
レオナルドは、バルコニーの柱に背を預ける。
ひとまず大人しくしてくれそうなので、フランチェスカはほっとした。
「どうして君は、自分がスキル無しだと偽っている?」
「レオナルドなら分かるでしょ。……誰かに狙われると困るから」
たとえば、ゲームの黒幕として登場してくる、他ファミリーの当主である婚約者などに。
「君のファミリーと父親は、そんな君を全力で守るだろ」
「そうかもしれないけど、私は平穏な暮らしがしたい。パパたちに迷惑も掛けたくないし、守られ続けるのは嫌だもん。……それに」
フランチェスカには、ずっと考えていたことがあった。
「……私、嫌なんだ。スキルの強さで、人の価値が計られている状況が」
「…………」