292 罰則
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出口のない屋敷の暗い廊下を、フランチェスカは歩いていた。
(……忘れちゃ駄目)
もどかしい気持ちを抱えながら、自分自身に言い聞かせる。少しずつ早くなっていく足音も、左胸で刻む心臓の音も、いつもよりやけにうるさく感じられた。
(ここを出る。絶対に逃げ切る。だからこそ、そのために)
ぎゅっと目を閉じて思い出すのは、いつでも味方で居てくれる人たちのことだ。
(レオナルド……パパ、グラツィアーノ、みんな)
フランチェスカは目を開けて、ぱっと廊下を駆け出した。
後ろでフランチェスカを呼ぶ声がする。その人物との距離についても、必死に計算しようとした。けれどもフランチェスカの視界は揺れて、足元がぐにゃりと崩れてゆく。
(っ、駄目……!)
『……君は本当に退屈しないな、フランチェスカ』
(やめて。私は、あなたの、玩具じゃな……)
抗おうとした瞬間に、意識がふっと遠のいた。
そして、辺りが全て真っ暗になる。
「――――ぷあっ!!」
宛てがわれた寝室のベッドの上で、フランチェスカははっと目を覚ました。
「…………っ」
飛び起きると、冷たい汗が首筋を伝う。
思わず左の胸に触れ、フランチェスカは呟いた。
「……生きてる」
ずきりと強い頭痛がして、顔を顰める。いまがどういう状況なのかが飲めなくて、緩慢に瞬きをしたそのときだ。
「……君さあ」
「!」
声がした方に目をやれば、部屋の隅にある椅子に座ったルキノが、不機嫌そうに両腕を組んでいる。
「一体なんのつもりな訳?」
「……おはよう、ルキノ」
「何がおはようだ。昨日から何度も飽きもせず、意味の分からない行動を繰り返してて」
ルキノは足を組み替えながら、椅子の背凭れに身を預けた。
「クレスターニさまが君を許したからって、ちょっと勝手に動き過ぎじゃない?」
(……そう。そうだ、思い出した……)
ルキノが示している『昨日』のことを、フランチェスカは揺り起こす。
(私はクレスターニに賭けを提案した。銃を自分に向けて撃って、生き延びたら屋敷を自由に歩かせてって。私が死んでも好都合なら、賭けに乗っても惜しくないはずで……)
その結果、クレスターニはこう笑って、フランチェスカを見下ろしたのだ。
『――なら、俺の負けでいい』
そうあっさりと認められて、拍子抜けした。
『……本当に?』
『ああ』
『賭けに乗らないんじゃなくて、本当に「負け」でいいんですか?』
『もちろん』
前髪で片目を隠しているクレスターニは、くちびるで笑っていても感情が読めない。
心の底から楽しそうにも、そうした演技をしているだけにも見える。やはりクレスターニを見ていると、フランチェスカは誰かのことを思い出しそうになるのだった。
それが誰のことなのかは、どうしても辿り着くことが出来ない。
『本当は、死んでもらっても構わないんだが……』
クレスターニは機嫌が良さそうに目を眇め、こう続けた。
『君がこの先にどんなことをしでかしてくれるのか、観察してみるのも楽しそうだしな』
(この人……)
『それに』
クレスターニはくすっと笑って、子供を揶揄う大人の声で言う。
『可愛いお嬢さん。……どうせ君を殺すなら、賭けよりも価値のある殺し方をするべきだ』
『…………っ』
そしてフランチェスカは、得体の知れない恐ろしさを纏った黒幕に、屋敷内の散策を許された。
(ルキノの言った通り。私は屋敷の中を歩き回って、その度に気を失っている……うん、合ってるはず)
「聞いてるの? 逃げ道を探そうとしてるなら、本気で無駄だから」
ルキノの皮肉を耳にして、フランチェスカは笑う。
「な……に、笑ってるんだよ」
「ううん。やっぱり今の私には、クレスターニがさせたくない行動を取ったとき、罰則の症状が出るんだなと思って」
「…………?」
屋敷の中を歩き回っていると、最後には意識を失ってしまう。
(その度に倒れてるはずだけど、ぶつけた怪我はどこにもない。……レオナルド)
大事な人のことを思い出して、心が温かな気持ちになった。
レオナルドのスキルが、ずっとフランチェスカを守ってくれているのだ。
(……早く帰って、ありがとうって伝えたい)
傍に居ないからこそ、そんな想いが強くなる。
(レオナルドの名前を呼んであげたい。あの声で、私の名前も呼んでほしい。……そのために)
フランチェスカは両手を握り、それを頭上に突き上げた。
「よし、頑張ろう! 目も覚めたし、もう一回屋敷の中をお散歩しようかな!」
「また!? 無駄だって言ってるのに、何考えて……ああもう!」
フランチェスカを放置する訳にもいかないのか、ルキノが立ち上がってついてくる。フランチェスカは廊下に出ながら、内心で思考を整理した。
(この屋敷の中を歩いていると、いつも最後には気を失う理由。クレスターニにとって行って欲しくないところに辿り着くと、罰則が発動するから……これは、予想していた通り)
フランチェスカにとって、都合が良い。
(ゲームの五章を逆手に取って、『屋敷の調査で真実に辿り着く』状況を目指すんだ。クレスターニが不都合を隠している場所、私が罰を受ける場所をどんどん覚えていけば、探すべき場所が絞り込める)
頭の中に思い浮かべるのは、この屋敷の大まかな地図だ。
今はまだ空白だらけで、何階建ての屋敷なのかも記憶が曖昧だが、繰り返し挑戦すれば固まってくるだろう。
(そのために、何度気絶することになったって良い。――絶対に、レオナルドとパパたちの所に帰るんだ)
「…………」
ルキノの呆れたまなざしを受けながら、フランチェスカは今回も元気良く、起点となる部屋を出発した。




