287 同じ水色
ルキノについて部屋を出たフランチェスカは、絨毯の敷かれた長い廊下を歩きながら、周囲の様子を観察していた。
(まるでお城の離宮みたいに、大きな屋敷)
クレスターニの拠点のひとつでしかないはずの場所は、あまりにも広大な造りをしていた。
フランチェスカは部屋を出てから、すでに二度廊下を曲がっている。
天井は高く、大きな窓が整然と並ぶ壁には、等間隔で美しい絵画も飾られていた。
(護送役はルキノひとり、他の人は見掛けない。……それでも私を拘束しながら歩かせないのは、抵抗も脱走も出来ない条件下だから)
恐らくはこの窓にも、強力な結界が仕掛けられているのだろう。
続いて辿り着いたのは、屋敷の中央に位置するらしい階段だ。先を歩くルキノが下に降り始めて、先ほどの部屋が少なくとも二階以上の高さにあることを把握した。
(ここは、ファレンツィオーネ国の中じゃないのかも。ずっとクレスターニを探っていたレオナルドが、こんな大きな屋敷に辿り着けないなんて、消された土地でもない限り……)
そこまで考えたところで、フランチェスカは憂鬱な気持ちになる。
(しっかり覚えておきたいけれど。私が洗脳を解除してレオナルドやパパたちの所に帰れたとき、この記憶も消えちゃうのかな?)
再び廊下を歩かされながら、ひとつのことに思い当たった。
(でも、そういえばダヴィードの記憶は……)
そのとき、ルキノが足を止める。
扉の向こう側に居るのが誰か、説明されなくても分かる。その扉を見上げたフランチェスカの前で、ルキノはノックを四回重ねた。
「失礼いたします。――クレスターニさま」
ルキノの紡いだ名前に、フランチェスカは身構える。
中から声の返事は無く、代わりにゆっくりと扉が開いた。蝶番に錆ひとつも無いのだろうが、音もなく開け放たれてゆくその様子が、却って不気味さを煽る。
(この先に、クレスターニが居る)
ルキノが振り返り、全体的に薄い色素の中、唯一鮮烈な印象を持つ赤い瞳でフランチェスカを見た。
「入りなよ」
「…………」
フランチェスカは覚悟を決め直し、一歩踏み出す。
その場所は来客用の部屋というよりも、主の書斎と呼べそうな部屋だ。カーテンや絨毯は深い緑色で、落ち着いた印象に統一されている。
真正面には大きな書斎机が据えられており、その椅子に誰かが座っていた。
(顔がまだ、よく見えない)
背面の窓から差し込む光が、男の姿に影を落とす。
フランチェスカはもう一歩、慎重に書斎机へと歩を進めた。室内には『彼』のほか、三人の青年が控えており、フランチェスカの行動を注視している。
(みんな、私を観察してる……)
青年たちから向けられている感情の多くは、好意的なものではないようだ。
普段なら隠し持っている銃も、ここには無い。フランチェスカはそんな中、真っ直ぐに目の前の男を見据える。
その人物は、執務椅子の肘掛けに頬杖をついていた。
「おはよう。ようやく『お目覚め』になったようだな」
「…………」
彼の髪色は、雪の上に舞い落ちた灰のような、濁って淡い色合いだ。
後ろ髪は短く切られていて、少し癖で跳ねている。一方で前髪は、額の左側で分けたうち、片側の目を覆うほどの長さだ。
片目をそんな風に髪で隠していても、男の顔立ちが美しいことは、誰が見たとしても明白だろう。
「あまりにも長く眠っているから、うっかり人格を壊してしまったかと心配した。そうなってしまっては勿体ないから、無事と分かって安心したよ」
「……あなたは……」
はっきりとした二重で切れ長な目元に、それを縁取る長い睫毛。男性らしさのある形の良い眉と、薄いくちびるに浮かぶ笑み。
仕立ての良い軍服調のスーツは、白を重点的に使ったデザインだ。袖を通さず肩に羽織らせた上着の裏地には、彼のネクタイと同じ緑が使われている。
「改めて、正気の君にも挨拶をしておこう。俺は、君たちに『黒幕』と呼ばれる者だよ」
「…………っ」
豪奢な椅子に背を預けた男は、革の手袋を着けた手に顎を乗せ、目を眇める。
片側だけ露わになっている瞳が、逆光の中で僅かに光ったように錯覚した。
「――こちら側へようこそ。俺たちの『可愛いフランチェスカ』」
「……クレスターニ……!」
フランチェスカがそう呼ぶと、クレスターニはにこっと白々しい笑みを浮かべた。
(この人が黒幕、すべての元凶。レオナルドのお兄さんたちを死なせたのも、みんなを洗脳したのも全部……!)
両手をぎゅっと握り込んで、内側から湧き上がってくる感情を抑え込む。
(覚えておかなきゃ。レオナルドの所に持って帰る、この人の情報を、ひとつでも多く――……)
自分自身に言い聞かせて、上機嫌なクレスターニをぐっと睨んだ。
それと同時に、不可思議な心境になるのだ。
(……どうして?)
動揺を顔に出さないようにしながら、必死に思考を巡らせる。
(この人を見ていると、誰かを思い出しそうになる。……私は何か、忘れてる……?)
フランチェスカの内心を、クレスターニは見透かしているのだろう。やたらと楽しそうに首を傾げ、フランチェスカを揶揄った。
「ああ、安心してくれ! いまさら俺が本物のクレスターニじゃないだとか、そんな意表は突かないさ」
何故か心から愉快そうに、クレスターニが目を眇める。
この瞬間まで、逆光の所為で曖昧に見えていた彼の瞳、その色がはっきりと見て取れた。
「だって、そんなのつまんないだろ?」
「…………!」
怖いほど鮮やかな微笑みを前に、フランチェスカは息を呑む。
(……私のパパと、同じ瞳の色……?)
クレスターニの瞳は、まるで青空を写したかのような、そんな透き通った水色だった。
(どうして、パパの色が)
フランチェスカにとっては、小さな頃から見上げていた瞳だ。大好きな父と同じ色の目を見据え、どうしても途方に暮れてしまった。
「君に聞きたいことがあるんだ。フランチェスカ」
親しい友人に掛けるような声音で、クレスターニがこう続けた。
「俺がスキルを使う直前、君もスキルを使っただろ?」
(……駄目。まともに言葉を聞いていたら、全部の主導権を握られちゃう……)
「君のスキルがどんなものかは、これまで巧妙に隠してきてくれたよな。おおよそ推測は出来ているし、そんなに興味は無かったんだが」
その瞳が、静かに眇められる。
「フランチェスカ」
微笑んでいるのに笑っていない、そんな表情が、フランチェスカを射竦めた。
「――あのとき、『俺に何をした?』」
「〜〜〜〜……っ」
本能的な恐怖心による寒気が、背筋を走る。
(いつかのレオナルドと、同じ言葉……!)
フランチェスカが、初めてレオナルドの前でスキルを使ったときのことを、クレスターニは知っているのだろうか。




