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282 情報網

『……俺たちはフランチェスカを取り戻すため、どんなことでもするべきですよね?』


 レオナルドは殊更に軽い笑みを浮かべ、エヴァルトに尋ねた。


『手を組みましょう、お父君。互いに情報を共有し、惜しむことなく相手を助け、フランチェスカの奪還に尽くす』


 立ち上がり、上着の内ポケットからナイフを取り出す。躊躇わずに手早く親指の腹を切れば、赤い鮮血が滑り落ちた。

 血の雫が滴り落ちる右手を、エヴァルトに伸ばす。


『そうすることを、この血に誓います』

『――――……』


 こんなものは、正式な誓約でもなんでもない。

 本来ならば、盟約には文書を交わす。直筆で誓いをしたためて、その署名に自らの血を落とすのだ。


(文書に残せるはずもない。……フランチェスカの名誉に、傷が付く)


 一方で裏の人間は、こうした儀式を重んじる。


(正式な契約も交わせない約束を、五大ファミリーの当主同士が交わすことだって有り得ない。それでも、ご覧の通り……)


 レオナルドは僅かに目を伏せた。


(俺には、なんでもする覚悟がある)


 レオナルドの指先を染める赤は、フランチェスカの美しい髪色と同じだ。

 そして、目の前にいる彼女の父親とも。


(……さあ、あんたはどうする?)


 言外にそう問い掛けていることも、エヴァルトは察しているはずだ。


『…………』


 フランチェスカと同じ色をした水色の瞳に、暖炉の火が映り込む。エヴァルトは目の前を落ちてゆくレオナルドの血を前に、小さく息を吐いた。


 そして、こう口を開く。


『まずは……』

『!』


 レオナルドの手首をぐっと掴むと、静かな声音で紡ぐのだ。


『その傷を治せ』


 思わぬ言葉に、レオナルドはひとつ瞬きをした。


『治癒スキルを持っている当家の構成員を、ここに呼んでやる』

『……そんなことより、お返事は?』

『くだらんな』


 エヴァルトの言葉は、レオナルドを切り捨てるかのようだ。

 けれども彼は、レオナルドから手を離すと、無愛想を通り越した無表情のまま立ち上がってこう言った。


『計画については、後でも話せる』

『…………』


 こうしてレオナルドは数日の間、エヴァルトと行動を共にしている。




***




「お見事でしたね。おとーさま」

「…………」


 煙草の煙が立ち込める酒場で、レオナルドはにこやかにエヴァルトを見上げた。

 新年を祝うパーティは、日が沈む頃にお開きとなっている。エヴァルトは先程から何本目かの煙草に火を付けて、不機嫌そうにソファーで紫煙をくゆらせていた。


「……何がだ」

「今日の会で、伯爵が面倒なことを言い出したでしょう?」


 華やかな社交場から一変し、ここに集まるのはごろつきばかりだ。明らかに仕立ての良い服を身に纏ったレオナルドたちは、好奇の視線に晒されている。


「あなたがせっかく厳格化した、国境の関門審査のことで」


 エヴァルトはフランチェスカの捜索のため、国王ルカに掛け合って、入出国に大幅な規制を掛けていた。相手に転移のスキルがあったとしても、国同士を覆う防衛結界を突破するには労力が大きく、物理的な手段を使う可能性が高い。


 フランチェスカの洗脳や消息不明が公になっていない今、この件を取り仕切るエヴァルトに対して、国内外の有力者が圧力を掛けてくるのだ。


「ビジネスの構造から見ても、この規制で最も大きな経済的負担を被るのはあなたの家なのに。伯爵を納得させるだけじゃなく、この国と陛下にとっても利になる提案で纏めるとは」


 グラスを手にしたレオナルドは、楽しく笑ってこう言った。


「さすがは『忠誠』を信条とする、カルヴィーノ家の当主」

「――そのようなことより」


 エヴァルトは僅かに眉根を寄せて、その長い指に煙草を留める。


「今日の場で、十分な数は仕込めたのか?」

『……パパが煙草を吸う所、私はあんまり見たことがないの』


 目の前のエヴァルトを眺めながら、浮かんでくるのはフランチェスカの声だ。


『うちのパパ、私の近くでは吸わないんだ。だから時々見掛けると、なんだか不思議な気持ち』

(フランチェスカは、そう言っていたが……)


 レオナルドにとって、エヴァルトが煙を纏わせている光景は、それほど珍しいものではない。


 十歳で当主を継いだとき、レオナルドは当主会議にも足を運んだ。父と兄を同時に喪ったレオナルドのことを、他の当主たちは痛ましい目で見ていたはずだ。


 それでも、煙草を口元にやりながらレオナルドを見下ろしたエヴァルトだけは、対等な大人を見るまなざしをしていた。


 そんなことを思い出しながら、レオナルドはくちびるに微笑みを浮かべる。


「順調ですよ。とはいえ俺たちの薔薇を取り戻すためには、いくら準備をしても足りないくらいだ」

「…………」


 エヴァルトはひとつ溜め息をつくと、レオナルドの前にチーズの乗った皿を押し出す。

 空腹は感じていないため、特に手も付けずにいたレオナルドは、酒を頼ませてもらえなかったグラスを傾けた。


「そんなにご機嫌を損ねなくとも、もう少し歓談を楽しみませんか? そういえば、あなたの家の番犬が……」

「よお、『ヴァレンティーノ』!」


 後ろから聞こえた陽気な声が、レオナルドのミドルネームを呼ぶ。

 男は自然に近付いてきて、レオナルドの肩に手を乗せた。三十代後半らしき外見をしたその男は、多くの女に好まれるような顔立ちに髭を生やしている。


 それでいて、まなざしはひどく退廃的だ。


「こんばんは、ウベルト。相変わらずだな」

「お前こそだぜヴァレンティーノ。『商家の坊ちゃん』がこんな所で夜遊びとは、ヤンチャだねえ」


 男はレオナルドがいくつか作った肩書きのうち、敢えてそのひとつを口にする。周りに聞こえるようなやりとりの後、エヴァルトのことを指差した。


「それで、こちらの男前は?」

「あー……」

「…………」


 無反応を貫いているエヴァルトを前に、レオナルドはくすっと目を細める。


「俺のパパ」

「おい」


 さすがに不快だったのか、エヴァルトがようやく声を発する。レオナルドは機嫌が良いふりをして笑いながら、さり気なくグラスを持ち替えた。


「ははっ。冗談ですよ」


 肩に置かれた男の手から、折り畳まれた紙片を密かに受け取る。それでいて視線も声音も自然に、取引など何もなかったかのように振る舞うのだ。


「この人は、先輩みたいなものかな」

「ほお! 先輩ねえ」


 そんな軽口を叩く一方で、手の中の情報を上着の中へ仕舞う。


(……穢らわしい情報屋であろうとも、利用はする。だが、警戒はすべきだ)


 それは何も、昔から利用してきた情報網のひとつに限ったことではない。


(誰が洗脳されているか、分かったものではないからな)


 エヴァルトに微笑んだレオナルドは、『ゲーム』の五章についてを思考する。


『――五章で描かれるシナリオは、私とパパの物語なの』


 以前、フランチェスカはそう教えてくれた。

X(Twitter)で次回更新日や、作品の短編小説、小ネタをツイートしています。

https://twitter.com/ameame_honey


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