28 馬車での借り物
(ゲームの第一章、王都に薬物がばらまかれている事件の調査。ゲーム本来のシナリオでは、リカルドの調査を手伝うことになった主人公が、リカルドにエスコートされて夜会に行く)
その理由は、夜会における参加者の中に、薬物を買っている『顧客』がいるという情報を掴んだからだ。
リカルドと共に夜会へと参加した主人公は、そこで社交界デビューを果たすと共に、生まれて初めて自分の婚約者に出会うことになる。
つまるところ、ゲームで初めて『レオナルド・ヴァレンティーノ・アルディーニ』が登場するのがこの夜会イベントなのだ。
(薬物に関わるのを止めて欲しいってお願いしたけど、レオナルドは『善処する』としか言わなかった。『善処はしたけど無理だった』って手のひらを返される可能性もある……というより、絶対そうなると思って動いた方がいい)
思い出されるのは、前世でも時折耳にしていた事情だ。
(薬物に関するシノギは、高い利益が上げられる。前世の他の組でも、掟でご法度になっているはずなのに、隠れて扱ってた人が何人もいたらしいし……)
レオナルドの目的は分からないが、フランチェスカが夜会に参加したくらいで、レオナルドが計画を変更するはずもない。
そのはずなのに、隣に座ったレオナルドは、甘ったるくてやさしいまなざしを注いでくる。
「……どうした? フランチェスカ」
(うぐぐ……)
なんとか話題を逸らそうとして、フランチェスカは口を開く。
「今日のレオナルド、いつもと違う香りがするね」
「……」
するとレオナルドは、驚いたように目をみはった。
かと思えば、たとえ表面上の演技とはいえ、嬉しそうに微笑んでみせる。
「俺の香りを、覚えていてくれたのか」
「!?」
そういうつもりではなかったので、心底びっくりしてしまった。
「ち、違うよ。ただ、今日の香水が私の好きな香りだったから!」
「へえ。さすがだな」
レオナルドはそう言って、フランチェスカにますます顔を近付けてきた。
「この香水は、『赤い薔薇』の名を冠する銘柄だ」
「……それってつまり、うちの家紋?」
「交換条件のようにして、無理矢理君を連れ出したことに罪悪感くらいはある」
そう嘯いたレオナルドは、満月色の瞳でこちらを見詰める。
「少しでも、君と過ごすのにふさわしくありたい」
「…………」
あまりにも作り込まれた口説き文句に、フランチェスカはいっそ顔を顰めてしまった。
レオナルドは、この可愛げのない顔を見ても嬉しそうだ。
「フランチェスカ、いま何を考えてる?」
「……レオナルドの嘘、今日は気合が入ってるなあーって」
「く、はは!」
皮手袋を嵌めた彼の指が、フランチェスカの頬に添えられた。
「それでこそフランチェスカだ」
(この黒幕、ほんとに意味が分からなくて時々怖い……)
フランチェスカがちょっと引くと、レオナルドはやっぱり嬉しそうだった。
(気を引き締めよう。ゲーム通りであれば……)
レオナルドから顔を背けたフランチェスカは、動き出している馬車の窓から、満月に照らされた街並みを見遣る。
(今夜の夜会には、リカルドがいる。あの人ひとりの調査でも、参加者が薬物に関わっていることは突き止められているはずだもん)
ひょっとしてレオナルドは、探っているリカルドの存在があるからこそ、今夜の夜会に参加しようとしているのだろうか。
(この世界の私は、レオナルドのエスコートで夜会に行って、そこでリカルドに会う可能性がある。だけどゲームでは、逆なんだよね……)
リカルドにエスコートされたゲームのヒロインは、会場で起きる事件によって、レオナルドが薬物事件の黒幕であることに気が付く。その際にレオナルドを止めようとして、彼の興味と怒りを買ってしまうのだった。
それ以降、レオナルドから本格的に狙われるようになるというのが、ゲームのメインストーリー第一章である。
(これだけ回避しようとしてるのに、結局はゲームの大枠通り。違うのは、要所要所で配役が逆になっていることと……)
窓から視線を外し、改めて隣のレオナルドを見上げる。ずっとフランチェスカの後ろ頭を見ていたらしいレオナルドは、目が合うと愛おしそうに微笑んできた。
(……ゲームではレオナルドの怒りを買って、命を狙われるはずなのに。正反対に、おかしな関心を買っちゃった……)
フランチェスカはすべてを諦め、小さく溜め息をつく。そして、レオナルドに言った。
「レオナルド。夜会の会場に着く前に、お願いしておきたいことがあるんだけど」
「なんでも言ってみるといい。大切な君のおねだりだ、なんでも聞いてやろう」
「はいはいありがとう。じゃあ……」
手のひらを上にして、レースの手袋を嵌めた手をすっと出す。
「銃を一丁、貸しておいてほしい」
「……会場は王家の運営するホールだ。学院と同じように、スキルによって銃の持ち込みを禁じる結界が張られているが……」
「その結界を回避できる加工の銃、持ってるよね?」
フランチェスカが指摘すると、レオナルドはくっと喉を鳴らす。
「俺の婚約者は、人の心を読む魔法使いみたいだな」
「上着。レオナルドにぴったりのサイズより、ほんの少しだけ大きいのを着てるもの」
フランチェスカは言い、上等な上着をつんつんと引っ張る。
見た目にはほとんど違和感もないが、触ってみればやはり布地が余っていた。
「他は全部きっちり仕立てられてるのに、上着だけ大きい。中に武器を隠してる人の特徴だよ、お見通し」
「おみそれした。次からは十分に気を付けよう」
恐らくは今夜に限ったことではない。きっと普段の学院でも、レオナルドは銃を隠し持っている。
(この馬車も、窓硝子は防弾仕込みだ。前世と違って、この世界の防弾硝子は薄いし軽い。窓硝子の縁が黒くなくて良いね)
前世の防弾車は、見る人が見ればすぐさま防弾仕様だと判別できる特徴がいくつもある。
組の車は全部そうだったが、前世のフランチェスカはなんの疑問も持たず、幼稚園などの送り迎えをしてもらっていた。
「パパに銃なんてお願いしたら、それこそ夜会に出してもらえないでしょ? でも、今夜は怖いから持っておきたい。……生まれて初めての夜会で、緊張してるから」
「……」
もちろんまったく本心ではないし、本気で嘘をつくつもりもない。
「仕方ない。君のお守り代わりだというのなら、持っていてもらわない理由は無いな」
レオナルドは仕立ての良い上着のポケットから、黒く塗られた銃を取り出した。
「今日は本物?」
「本物。可愛い婚約者を守るのに、武器がないんじゃ話にならない」
(あらゆる意味で嘘つきだ……)
銃なんて所有してなくても、レオナルドはきっと誰にも負けないだろう。
「だが、この銃を渡してどこに隠す? 君の可愛らしい夜会用バックには、このサイズの銃は入らないな」
「太ももにベルトを巻いて来た。パパには内緒ね」
受け取ったあと、レオナルドの目元を手で塞ぐ。目隠しをされたレオナルドは、フランチェスカが銃を隠し終わるまで、大人しく待っていてくれた。
「これでよし! ありがとうレオナルド。それと、会場に学院の生徒がもしいるなら、出来ればその人には会いたくないな」
「わかった、なるべく努力しよう。……さあ、そろそろ着くぞ」
やがて馬車が停まったあと、フランチェスカはレオナルドにエスコートされて、初めての夜会に挑むのだった。