276 聖夜の儀式(第4部8章・完)
これから先の未来でも、レオナルドは何もかもを許してくれるだろう。
そのことをはっきりと実感して、フランチェスカも覚悟をする。レオナルドの手を取り、ゆっくりと目を伏せると、彼の手の甲へキスをした。
(どうか、レオナルドがこの先の未来の中で、これ以上の痛みを感じませんように)
フランチェスカが願ったことなど、レオナルドは知るよしもないだろう。
けれどそれでも構わない。フランチェスカは静かにくちびるを離すと、レオナルドから受け取った短剣を、キスをした場所へと押し当てた。
「――――――……」
レオナルドの手の甲に、フランチェスカの髪色と同じ赤が滲む。
それは美しい雫となって、輝石の上にぽたりと落ちた。すると途端にその石が、金色の輝きを帯び始める。
「……ミストレアルの輝石が、レオナルドの血で……」
輝石は星のように瞬いて、剣の形へと変化した。
レオナルドは双眸を眇めると、輝石の剣を左手に握る。そうして聖樹の傍に跪き、穢れのある根元へと突き立てた。
「――――っ!!」
強靭なはずの聖樹が、驚くほど呆気なく刃を飲み込む。
直後、空気がびりびりと震えるのを感じた。耳の奥に痛いほどの衝撃が走り、レオナルドがフランチェスカを庇うように抱き込む。それと同時に、再び地下が躍動を始めた。
「また、地形が変わる……!?」
「下がっていていい。フランチェスカ」
「っ、ううん!」
フランチェスカは手を伸ばし、血の伝うレオナルドの手を包み込む。そして、金色の瞳を見上げた。
「一緒に、最後まで」
「…………ああ」
穏やかに笑ったレオナルドが、フランチェスカの手をミストレアルの短剣に触れさせる。
そしてふたりで握り込むと、その刃をさらに奥深く、穢れの深部へと突き立てた。
「…………っ!!」
眩暈がするほどの力を感じたのは、ほんの一瞬だ。
凄まじい光が放たれて、聖樹の花が舞い上がる。思わず目を閉じ、レオナルドの腕に守られて、目を開けたときには全てが終わっていた。
「…………っ、は……」
ぺたりとその場に座り込んだフランチェスカは、大きく息を吐き出して聖樹を見据える。
「……聖樹の根本が、綺麗になってる……!」
どす黒く淀んでいたはずの箇所は、他の部分と変わりのない神聖な光を帯びていた。
ふわふわと降りてきた光の花が、フランチェスカの周りをくるくると飛び交う。花に意思なんてないはずなのに、喜んでいるかのようだ。ミストレアルの輝石も、石としての形に戻っている。
「これで、儀式は完了だな」
「レオナルド、血を止めないと……!」
慌てて立ち上がったフランチェスカは、先ほど切ったレオナルドの手を取った。
「……あれ?」
そこには掠れた血の跡が残るばかりで、傷はすっかり消えている。フランチェスカは瞬きをして、レオナルドを見上げた。
「……純粋な治癒のスキル、持ってたんだっけ……」
「まさか。あったとしても、俺には向いていないよ」
絶対にそんなことはないはずなのに、レオナルドははっきりと断言した。そのことに複雑な気持ちになるが、それはさておきと手元を見下ろす。
「儀式が上手くいったおまけで、聖樹が治癒してくれたのかな」
「いずれにせよ、一瞬で治るくらいの傷だ。君が気に止むことじゃないよ」
「…………」
自分の痛みに鈍感なレオナルドに、フランチェスカはくちびるを尖らせた。
それがなんだか可笑しかったらしく、レオナルドがくすっと笑う。そしてフランチェスカの手を取ると、まるで騎士のように跪いた。
「っ、レオナルド……?」
「フランチェスカ。――俺の花嫁」
レオナルドは、先ほどフランチェスカが落としたのと同じように、手の甲へとやさしいキスをくれる。
「君が俺にくれるものは全て、痛みですらも愛おしい」
「…………もう」
フランチェスカは少しだけレオナルドを叱って、彼の手をきゅうっと握り込んだ。
「駄目だよ、レオナルド。私の傍に居てくれるなら、本当に幸せなことだけを集めてくれなくちゃ」
「ははっ! 本当に、心から幸せだと感じているんだがな」
「だから、駄目だってば!」
そんなやりとりをしているうちに、後方から忙しない話し声がする。どうやら地上でも、事態が収束しつつあるらしい。
「……そろそろ戻ろうか、フランチェスカ。万が一にもここが下っ端の司祭やロンバルディ家の構成員に見付かれば、今度こそ騒ぎになりそうだ」
「そ、そうだね! 儀式をこっそり無事に終わらせたことも、ラディエルさまたちに報告しなくちゃ」
立ち上がったレオナルドと手を繋いだまま、フランチェスカは元気よく告げる。
「さあ、レオナルド!」
「……君が俺の花嫁役でなくなるのは、名残惜しいが」
冗談めかして笑ったレオナルドは、フランチェスカの手を握り返した。
「一緒に帰ろう。俺の……」
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第4部エピローグ・【『フランチェスカ』】に続く
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