272 未来を変える
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(ここまでは、エリゼオが見てくれた未来とあんまり変わらない)
宝石で飾り付けたドレスに身を包み、黒色の花嫁姿となったフランチェスカは、レオナルドとエリゼオの肩越しにルキノを見据えた。
「少し下がっていられるか? フランチェスカ」
レオナルドの軽い声音は、いつも通りの頼もしいものだ。けれどもルキノは不快そうに顔を歪め、氷の剣をいくつも宙に提げる。
「どいつもこいつも、邪魔なんだよ。早くクレスターニさまに、二本目の聖樹を献上しなくちゃ、いけないのに……」
(二本目。つまりそれって)
隣国の王子であるルキノの言葉に、ぞくりと冷たい感覚が背を這う。ルキノがぶつぶつと何かを呟きながら、その手をゆっくりと聖樹に翳した。
「こんな樹、さっさと……」
生み出された氷剣の切先が、羅針盤の針のように聖樹へと向く。
(やっぱりルキノの目的は、聖樹を傷付けてあの小瓶を……!!)
「穢れてしまえ!!」
剣が降り注ごうとした、その瞬間だ。
「!」
レオナルドの放ったスキルによって、地面が一斉に隆起した。
強固な土壁が生み出され、すべての氷が突き刺さる。聖樹を守ったその壁は、剣を飲み込んで崩れ去った。
「残念。俺の勝ちだな」
「……こっちの攻撃が、一発で終わると思ったの?」
ルキノはあからさまな舌打ちのあと、すぐさまスキルの光を爆ぜさせる。
「こっちはまだ、何本だって……!!」
「レオナルド君」
氷の軋む音がした、そのときだ。
「――四時の方角、君の位置から三メートル先だよ」
「……っ」
ルキノが目を見開くと共に、レオナルドはエリゼオの指示通り、再び土の盾を出現させた。
「くそ!」
殆ど同時に生まれた氷が、またしても拒まれて砕け折れる。レオナルドとエリゼオは顔色を変えず、ルキノの次の手をすぐに封じた。
「次。九時の方角、聖樹の根本」
「へえ。良い位置だな」
レオナルドがぱちんと指を鳴らす。すると聖樹の根を避けるようにして、レオナルドの操る氷が湧いた。
氷同士がぶつかって、管楽器のように高い音を奏でる。それを受けて、ルキノが強く顔を顰めた。
「ああもう、うっとうしいな……!!」
虫でも振り払うかのように動いたルキノの手に、いつのまにか何かが握られている。
それは、ずっと彼の手の中にあった小瓶とは別物のようだ。
「エリゼオ。あんたの未来視は、スキルを使ってから一時間で起こる光景が、一気に頭に流れ込むんだろ?」
「!」
「その膨大な情報を、優秀な頭で処理して記憶している。だったら」
ルキノはその手に、氷の短剣を握り締めている。
「――あんたが未来予知をした時点から、こっちの『条件』を変えてやれば、予知の結果が変わってくるよね?」
「っ、駄目、ルキノ……!」
咄嗟に止めようとしたものの、フランチェスカの制止は届かない。
「…………っ!!」
赤い血が、ぱたたっと音を立てて落ちる。
「あははっ! ……あー、痛った……」
ルキノは小さな氷の剣を、自らの手の甲に突き立てたのだ。
「笑っちゃうくらいに痛いな、これ。……痛くて痛くて、氷柱の制御が出来そうにない」
「ルキノ……」
「これなら未来は変わるだろ? エリゼオ、あんたの未来視の結果はこれで、無駄になった!」
傷口から滴った大量の血で、ルキノの持つ小瓶も真っ赤に染まってゆく。
「未来視のスキルを次に使えるようになるまで、どのくらい時間が掛かるのかな? もちろん、それを待ってなんてやらないけど」
「…………」
「さあ、いったん聖樹を狙うのはやめて……」
ルキノはくちびるの端を上げて、血に濡れた指先をエリゼオに突き付けた。
「樹よりも邪魔な連中を、先に排除しようかな!」
「――――っ」
フランチェスカは手を伸ばす。
それは、ルキノの行動を力尽くで止めるためではない。フランチェスカが触れたのは、ルキノではなくエリゼオだ。
「行くよ、エリゼオ!」
「フランチェスカちゃん……」
先日の地下とは反対に、フランチェスカはエリゼオの手首を掴み、そして心の中で唱えた。
(スキル強化、二段階目……!)
強い光がひとつ走る。
「もう一度、未来視を使って!!」
「…………っ!」
その瞬間、エリゼオははっきりと一点を見据えると、すぐさまレオナルドに告げた。
「レオナルド君、僕たちの真上だ!」
「――――……」
レオナルドはもう一度指を鳴らして、新たなスキルを発動させる。
「すぐにもう一撃、十二時の方向。聖樹と僕たちを、同時に狙う」
「っ、なんで……!!」
二箇所に生じたレオナルドの雷撃が、氷を打ち砕いた。
「どうして未来視のスキルが、また使える!? その未来視は、持続時間が長い僕の氷スキルとは違う。一度未来を見た後に、立て続けに使えるはずが無いのに……」
(私の強化スキルを使うと、対象のスキルは強化される。……それと一緒に、使用不能時間の制限がリセットされることも含めて、秘密にしていたことだけれど……)
ルキノの目が、忌々しそうにフランチェスカを見据えた。
「まさか、あんたのスキルが……」
ぎりっと強く噛み締めて、ルキノが再び手を翳した。
「フランチェスカちゃん。未来が不安定に揺れている、もう一度」
「っ、うん……!」
フランチェスカはエリゼオの手に触れ、次段階の強化を発動させる。
(スキル強化、三段階目!)
その瞬間、フランチェスカのドレスに縫い付けた宝石が、ばちっと音を立てて数個壊れた。
(ルカさまが下さった、スキル強化素材の宝石。この量をルキノに怪しまれず持ち運べるよう、儀式のドレスに縫い付けてもらったけど……!)
スキル強化の三段階目からは、こうして高価な強化素材を消費する。ゲームと同様の制約とはいえ、どうしても心苦しさは拭えない。
(だけど、これしかないんだ。聖樹を守るだけじゃなく……レオナルドの『時間』を、稼がないと)
再びエリゼオが予知を発動させて、レオナルドに位置を告げた。
「二時の方角、四十度の位置だよ」
「了解。次は?」
「正面、聖樹の中央。僅かに外れて右に十三センチ――大きな氷柱が来る、気を付けて!」
そんなふたりの応酬を見て、フランチェスカはこくりと喉を鳴らした。
(すごい……)
彼らのやりとりはとても短い。
それでも一部の狂いもなく、レオナルドはエリゼオが指示した位置に、氷柱を防ぐためのスキルを出現させてゆく。
(息がぴったりだ。ふたりが組むと、とっても強くて)
それに見惚れたフランチェスカは、無意識に言葉を発していた。
「未来って、こうやって変わっていくんだね……」
「!」
その瞬間、エリゼオが目を丸くする。
それからゆっくりと微笑むと、フランチェスカに願うのだ。
「……フランチェスカちゃん。もう一度、スキルの強化を」
「分かった。エリゼオ、手を貸して!」