271 力を持つ者
「あなたが洗脳じゃなく、自分の意思で『それ』を選んでしまったら、決定的にこの国と敵対することになる」
「…………は?」
顔を歪めたルキノが、心底から不機嫌そうに反論する。
「あんたに一体、何が分かるの」
「…………っ」
それは、ルキノがこれまで重ねてきた否定とは、明らかに性質を変えた言葉だった。
「どうせあんたには、背負うものもない。変えなきゃいけないものもない。自分が誰かの人生や未来を左右するなんて、そんな選択を迫られたこともない人間の癖に……」
「……それは」
「最初から、この国は敵なんだよ」
小瓶を握り締めたのとは逆の左手で、ルキノは自身の片耳を押さえる。
「僕には、どんなに自分が汚れても、変えなくちゃいけないものがある……!!」
(……ああ)
エリゼオは微笑みを浮かべるのをやめて、静かにルキノを見下ろした。
(その気持ちは、少しだけ分かるな)
幼い頃から慕った祖父は、この国を守るために『悪党』を貫いた。
その祖父の跡を継ぐと誓ったエリゼオは、今となっては憧憬以上の理由から、同じように汚れ役を選んだのだ。
(……だって、そうしないと救えない)
未来視で見た光景を前に、エリゼオは何度も選択をしてきた。
『どうして、娘を見殺しにさせたのですか……!!』
たとえば燃え盛る炎の中、ひとりの赤子を見捨てなければ、何人もの人間が亡くなる未来が分かっていたときも。
『私たちの大切な子。あの子を助けられるなら、私なんて、死んでもよかった……!!』
大切な人を失った人間の慟哭は、刃とそれほど変わらない。
『未来が見えていた癖に、どうして娘が死なない結末を、私たちに与えてくださらなかったのですか!?』
『…………』
そんな都合の良い未来が見えたことは、一度だって存在しなかった。
(僕に見えていた光景は、あなたが炎に巻き込まれ、娘に手すらも届かずに苦しむ未来だ)
せめて引き換えに娘が助かるなら、エリゼオもそうしていたかもしれない。
本当のことは、口にはしない。
(あなたはなかなか死ねず、逃げることも出来ず、それなのに大切な子を守れもしない。目の前で死んでゆく光景を見ながら、命を落とすしかなかった。……あなた以外の誰が助けに入っても、みんな死んでしまう)
そのすべてを静かに覆い隠して、エリゼオは遺された人に告げた。
『あなたの娘さんが死ぬことは、変えられない未来でした』
『…………っ』
こうすれば、遺族は自分を責めるのではなく、エリゼオを憎むことで心を保てる。
『未来が、見えて、いた癖に……!!』
(――そうだね)
追い詰められたルキノを前に、エリゼオは静かに目を閉じた。
(未来を変える力を持つ人間は、どんな手段を使っても、それを遂行する義務がある)
それは、エリゼオがずっと自分に課してきたことだ。
(自分のスキルに溺れないよう、誰にも利用されないように強くなって。……未来を良い方向に導いて、世界を変える)
世界から大きな力を得た人間として、世界にそれを返さなければならない。
(それが、他人の命すら選択する力を持った人間が、成すべきこと)
少なくともエリゼオの祖父は、ロンバルディ家の当主として生まれてきた故の恩恵を、家とこの国に返してきた。
(未来を知る力は、未来を変えられる力だ)
エリゼオは、自らに言い聞かせる。
(僕はこの先、永劫に、そうした存在であり続けなくてはいけない。未来を、世界を、変えてゆく……たとえ、どれほど自分が)
「――違う」
そう言い切ったフランチェスカの声に、エリゼオはひとつ瞬きをした。
「ルキノ君が何を背負っているのか、私には分からない。……分かる訳がない。だけど」
美しい光を宿した双眸が、真っ直ぐにルキノを見詰めている。
「国ひとつ、たとえ一族や家だって、誰かがひとりで背負うべきものじゃないよ」
「……フランチェスカちゃん?」
「世界も未来も。たったひとりが、汚れながら変えるべきものなんて、存在しない……!」
「!」
フランチェスカのその言葉に、エリゼオは息を呑む。
(――ああ。君は)
「フランチェスカ」
これまで静観していたレオナルドが、彼女を庇うように引き寄せた。
「十分だ。『検証』はもう、終わりにしよう」
「……レオナルド」
「これまでの、クレスターニに洗脳されていた人間とは違う。君に真実を暴かれても、こちらの王子さまは錯乱なさるご様子もない」
レオナルドから聞いた仮説は、エリゼオにとっても興味深いものだった。
クレスターニによる洗脳者は、真実を追及されて追い詰められると、顕著な反応を見せるのだという。これまでの洗脳者に関する報告書を見ても、確かにその傾向は否定できないようだ。
(それに比べて……)
目の前にいるルキノは、何処までも正気を消せない瞳で、こちらに強い殺気を向け続けている。
「いつまでも、うるさいな」
「……ルキノ」
フランチェスカがぽつりと彼を呼ぶ。小瓶を握り締めたルキノの手が、小さく震えていた。
「邪魔をするなら消えてもらう。お前たちさえ、居なくなれば……」
(ルキノ君のスキルは、盗聴の次に『氷』を操ること)
そのスキルの発動時間は、まだ終わっていない。
「さすがは高貴な血筋の最たる一族、王族だね。……スキルの強力さと持続時間は、世界でも屈指のものかもしれない」
「大丈夫だよ、エリゼオ」
そう言い切ったフランチェスカの声は、澱みなく澄んだものだった。
「みんなで一緒に変えよう。エリゼオが最初に見た、聖樹の未来を!」
「……うん」
どうしてか、作り物ではない自然な笑みが浮かんでくる。
「『悪巧み』だね。レオナルド君」
「人聞きが悪いな。――これも全て、フランチェスカのためだ」
その瞬間、ルキノの頭上に広がる空間に、無数の剣が生成され始めた。