265 黒に染まる
【第4部最終章】
迎えた儀式の晩は、雪の止んだ静かな夜だった。
リハーサルとは違うドレスに着替えたフランチェスカは、レオナルドの待つ聖堂の入口へ向かう。
先導してくれるのは先日と同じく、司教であるラディエルだ。
「――本日、この『聖夜の儀式』に参列を予定しているのは、私を始めとした教会の面々です」
フランチェスカの僅かな緊張を見越してか、ラディエルは穏やかな声で続けた。
「リハーサルは不十分だったかもしれませんが、心配はしないで。何か嫌な事を言う者が居れば、私が仕置きをしますからね」
「……ありがとうございます、司教さま」
ラディエルの心強い言葉に対し、フランチェスカは敢えて尋ねる。
「リハーサルに来ていた人は、参列しないんですか? たとえば、その」
「エリゼオ殿ですか?」
「…………」
フランチェスカが沈黙を返せば、ラディエルはこちらを振り返った。
「本来ならばリハーサル同様、ルキノ殿の付き添いとして、彼も同席が可能になる予定だったのですが」
(エリゼオはあのとき、ルカさまから特別な許可が下りたって話してた)
数日前のリハーサルで、息を呑んだことを思い返す。
(そんな風に聖堂に立ち入る方法があるのに、エリゼオが儀式の遂行者になりがたっている理由が、よく分からなかったけれど)
エリゼオの、紫髪によく映える橙色をした瞳は、何処か薄暗い光を宿していた。
(……今なら、『そういうこと』だったんだって、理解できる)
フランチェスカの思考を知るよしもないラディエルが、再び前を向きながらこう続ける。
「実は先日ルキノ殿より、エリゼオ殿の付き添い許可を、取り下げるとの申し出がありまして」
「そう、なんですね」
フランチェスカは、ちらりと後ろに視線を向ける。
小さな足音を立てて付き従うのは、小間使いの少年ユークだ。
(ユーク君、私から離れないように、小さな話し声も聞こえるくらいの距離を歩いてくれてる。……大丈夫、作戦通り)
深呼吸をしたフランチェスカに、ラディエルが告げた。
「アルディーニさまはこの先、大扉の前にいらっしゃいます」
「……はい!」
フランチェスカはラディエルを見上げ、笑って答える。
「ラディエル司教。ありがとうございました」
「ええ。後ほど、またお会いいたしましょう」
「……フランチェスカさま」
小さな声で呼んでくれた少年ユークに向けて、フランチェスカは手を振った。
「ユーク君も、また『後で』」
「…………」
そして彼らと離れ、ゆっくりと歩き始める。
廊下を曲がると、儀式が行われる聖堂に繋がる扉の前には、フランチェスカを花嫁役として迎える彼が待っていた。
「――レオナルド、お待たせ!」
駆け出したフランチェスカを前にして、レオナルドが僅かに目をみはる。
「フランチェスカ。そのドレス……」
「っ、ええと……」
レオナルドが驚くのも、無理はない。
「本番は、リハーサルと違うドレスを着るって言ったでしょ?」
フランチェスカはドレスの裾をつまみ、ひらっと動かした。
「聖夜の儀式では、あんまり選ばない色のドレスかも、しれないけど……」
少々気恥ずかしくなりながらも、フランチェスカはレオナルドに視線を向ける。
「レオナルドの家の薔薇と同じ、黒のドレスにしたの」
「――――……」
フランチェスカが纏うのは、表面に七色の光沢を帯びた艶を持つ、真っ黒なドレスだった。
腰回りをきゅっときつく絞り、代わりに裾を美しく広げたこのドレスは、婚礼衣装でもよく見られるシルエットをしている。
上半身は体のラインにぴったりと沿い、首筋から鎖骨までは肌を透けさせた黒のレースで、全体的に上品なデザインだ。細部には銀糸の刺繍が入り、裾には赤や青色、黒といった様々な宝石を縫い付けていた。この石は、それぞれに『特別な効力』を持つものだ。
「み、見て! 胸元のここは、赤薔薇と黒薔薇の飾りにしたんだけど……!」
言わなくても分かるはずの説明も、照れ臭さのあまり口に出す。
「……レオナルドがくれた、この耳飾りと、おんなじなんだ……」
俯くと、耳に付けた愛らしい花の飾りが、鈴のように愛らしい音を立てた。
「……フランチェスカ」
今夜フランチェスカが身に纏う色の中で、家紋の薔薇と同じ赤は、髪とくちびるの他にそれだけだ。
あとはすべて、手袋から靴に至るまで、全身をレオナルドの色である黒に染めていた。
(……やりすぎて、恥ずかしいような、気もするけど……!)
レオナルドが、喜んでくれるかもしれないと思ったのだ。
思わず目を瞑って俯いたから、フランチェスカの表情はよく見えないだろう。それでもレオナルドは、フランチェスカの頬に手を添えて、彼を見るように促した。
「とても綺麗だ」
そうしてレオナルドは、フランチェスカに柔らかく微笑む。
「……俺の、可愛い花嫁」
「…………っ」
その声に、頰が熱くなってしまうのを感じた。
レオナルドはそのまま自然に腕を差し出し、フランチェスカにエスコートを促してくれる。
「行こう。……美しい君をずっと見ていると、何もかも投げ出して攫いたくなるからな」
「だ、駄目だよ! 私たち、ちゃんと役目を果たさなきゃ……」
慌ててそう返しながらも、黒の手袋を嵌めた手で、そっとレオナルドの腕に掴まった。
「――それに、絶対『彼』を止めるんだから」
「…………」
くすっと笑ったレオナルドが、頷く代わりに前を向いた。そうして手を伸ばし、大きな扉をゆっくりと押し開く。
(……始まる)
聖堂の中には、静寂が満ちていた。
満月を二日後に控えた月の光が、ステンドグラスの窓越しに降り注ぐ。荘厳な聖堂内に揺れるのは、無数の燭台に灯された蝋燭の火だ。
「ああ。やっと来たね」
「…………」
ここには音楽も何もない。
代わりに響いたのは、とある青年の声だ。会衆席の間に敷かれた一本の赤い絨毯、その先の祭壇に立っているのは、段取りで決まっていたはずの司教ラディエルではない。
「待っていたよ。ふたりとも」
「――――エリゼオ」
聖堂の先には、その両手を悠然と広げたエリゼオが、穏やかな微笑みで立っていた。
聖衣を纏った幾人かの大人たちが、冷たい床に倒れ伏している。そしてエリゼオの左右には、ロンバルディ家の構成員である生徒会の面々が、王子を守る騎士のように立ち並んでいた。
「緊急事態です!!」
静かだったはずの聖堂に、司祭たちの声が響き渡る。
「ロンバルディ家の次期当主エリゼオ・ノルベルト・ロンバルディが、聖堂に侵入しました!!」
「警備の者にも危害を加えています。スキルを使用せず、体術に秀でた部隊を作り、武力行使に出ている模様……!!」
「さて」
フランチェスカの隣で、レオナルドが鮮やかな笑みを作った。
「始めようか。フランチェスカ」
「……うん」
フランチェスカは頷いて、エリゼオのことを真っ向から見据える。
「――クレスターニに、反撃しよう」
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