259 夜に隠れて
「ルキノ君」
エリゼオが振り返った先に居たのは、隣国の王子ルチアーノだ。
祖父が連れてきたこの青年のことは、あくまでただの留学生として扱うように言われている。エリゼオは微笑んで、彼に詫びた。
「せっかく君に協力してもらって、大聖堂に入ることが出来たのに。徒労に終わらせてしまってごめんね」
「……別に。あの状況じゃ、それどころじゃないのは馬鹿でも分かる」
大聖堂で行われるはずだった『聖夜の儀式』のリハーサルは、延期となった。
なにしろ地震によって起きた事故に、遂行者と花嫁役が巻き込まれたのだ。安堵のためか、花嫁役のフランチェスカが眠ってしまい、後日に日を改めることが決まったのだ。
「それにしてもエリゼオ。あんたはなんで、大聖堂とやらに、あんなにこだわるの?」
「……ごめん」
ルキノの声を遮って、エリゼオは再び階段を登り始めた。
「少し、昔の嫌なことを思い出してね。ひとりになりたいんだ」
「……そ。勝手にすれば? 別に、どうでもいいし」
ルキノはそっけない言葉を放ち、猫のように去ってゆく。
エリゼオは苦笑して、図書室に向かった。
「――さて」
扉を閉ざして、内側から鍵を掛ける。
『覚えていてね。たくさんのことを知っている今のエリゼオはきっと、スキルなんかなにひとつ使えなくたって、大勢の人を助けられる力を持っているんだよ』
思い浮かべるのは、先ほどフランチェスカから向けられた言葉だ。
『――スキルじゃなくてそれこそが、『世界を変える力』なんじゃないかな』
「……やっぱり、そうだったんだ」
思わず乾いた笑みを零して、火の消えた暖炉の前を通り過ぎた。
「フランチェスカちゃんが、『あのとき』僕たちの未来を変えた女の子で、間違いない……!」
この手には、先ほど彼女の手首を掴んで走った際の、その感覚がまだ残っている。
「大聖堂の攻略法は今日で分かった、『賢者の書架』となんら変わらない……! 戦闘要員さえ押し込んでしまえば、純粋な暴力で制圧できる!」
ロンバルディ家には誂えたように、そのための人員が揃っているのだ。
「……お祖父さまが、賢者の書架を守るための準備を、これまで重ねてきてくれたお陰だ。ね? カルロ兄さん」
独り言のように従兄へと呼び掛けながら、エリゼオはゆっくりと窓を押し開いた。
「もうじきお祖父さまを完全に排除できる。……そうすれば、フランチェスカちゃんを手に入れる手段が、もっと増える」
見下ろした先には、ひとりの青年が立っている。
ここからはっきりと顔は見えなくとも、それが誰なのか、エリゼオにはもちろん分かっていた。
「――そのとき僕は、お祖父さまもカルロ兄さんも超えて、国王陛下に認められるだろう」
そんな思いを、白い息と共に口にする。
「そうすれば、僕がレオナルド君を超えられたんだって、きっと証明出来るはずだ」
***
ヴェントリカント国第一王子ルチアーノは、耳にしてしまったエリゼオの言葉に、顔を顰めた。
(……エリゼオの奴、何を言ってる訳?)
他国の事情に口を出すつもりはない。そもそもこのロンバルディ家には、ルキノという偽名で世話になっている。
それでも、盗み聞く形となったエリゼオの独白を、無視することも出来なかった。
(レオナルドって、あのいけすかないキザ男か? まさかそのために自分の祖父を? ……国王って……)
エリゼオに気付かれないように、与えられた客室へ足早に向かう。
(……戦闘要員。制圧。これじゃあまるでエリゼオは、聖夜の儀式で……)
ぐっと顔を顰めながら、薔薇のような髪色をした少女のことを思い浮かべる。
(あの子。聖夜の儀式の花嫁役なら……)
後ろ手にそっと扉を閉めると、机上に置かれたペンを見遣った。
「……ふん」
そして、そのペンに手を伸ばす。
***
屋敷に帰ったフランチェスカは、構成員たちに取り囲まれ、色々と質問をされた。
父から聞いたところによると、儀式のリハーサルが中止になった公の理由は、『大きな地震があったため』ということになっているそうだ。
フランチェスカたちが地下に落ちたこと、ましてやそれが大聖堂に隠された通路であったことなどは、絶対に公表できない。
そのため、フランチェスカたちがなかなか帰宅しなかった理由を不思議に思ったグラツィアーノたちに、とても心配されたのだった。
『お嬢、ほんとに問題ないんすか? あんた少々の怪我だったら、すぐ大丈夫って誤魔化そうとしますよね。何処も痛めてないんですよね? 安心して寝ちゃったってそれも嘘ついてませんか、あとあいつに何かされてませんか? なんなら今すぐアルディーニ家に俺が乗り込んでもいいんですけど。あと生徒会長、あいつも前々からお嬢に対して……』
『わーっ、平気だよ!! 本当の本当になんともないのグラツィアーノ、ありがとう! ごめんね!!』
そんな騒動もありつつ夕食後の入浴を済ませ、ナイトドレス姿で部屋に戻ったフランチェスカは、寝台に腰を下ろして息をついた。
「ふう……みんな、ようやく安心してくれたみたいで良かった」
髪もすっかり乾かし終えて、あとはぐっすり眠るだけだ。
だが、今日は色々あったというのに、この時間になってもまったく眠くない。
(当たり前か。地下を出たあと馬車のお迎えが来るまで、控え室でしっかりぐっすり寝ちゃったんだもん)
ふわふわのスリッパを履いた脚を伸ばし、今日あったことを振り返る。
(レオナルドは、本当に大丈夫だった? お兄さんやお父さんの幻覚を、あの地下で見せられてないって本当? ……エリゼオも、幻聴の所為で嫌な思いをしたはずだけど)
それに、心配なことは他にもあるのだ。
(ヴァレリオさんがどうなったか、パパにもまだ分からないって言ってた。……エリゼオが教えてくれるはずはないけど、もっと質問しておけばよかったな。聖夜の儀式のリハーサルだって、ちゃんと出来てないし。レオナルドにも謝らなきゃ……)
色んなことを考えながら、ばふんと後ろに倒れ込む。
寝台の上で両手を広げたフランチェスカは、天蓋を見上げた。
(――いま、何してるかな)
無意識に、月のような金色をした瞳を思い浮かべた、そのときだった。
「!」
部屋の窓に、ぽこん! と何かが当たった気がする。
この家の警備は厳重で、いくつものスキルに守られていた。だから普通の人間であれば、忍び込むなんて出来はしない。
(今の音、もしかして……)
ただし、数少ない例外は存在するのだ。
(――――!)
カーテンを開けたフランチェスカは、小さな雪玉を手にした青年の姿を、庭に見付けた。
(ええっと……!)
レオナルドに一度手を振り返し、大慌てで引き返したフランチェスカは、クローゼットから外套を出す。
それを着てマフラーを巻き、もこもこの靴下を履いて、いざというときのために隠している靴を手にした。
そうして大急ぎで窓を開ける。
くすっと笑った青年が、フランチェスカに向けて両手を広げた。
『おいで』
くちびるの形がそう動いたのを見て、フランチェスカは躊躇せず飛び降りる。
「…………っ、レオナルド!」
何かのスキルを使ったのか、容易く受け止めてくれたレオナルドは、フランチェスカを見て愛おしそうに笑った。
「会いたかった。フランチェスカ」
「……うちに忍び込んだりしたら、パパたちに見付かって危ないよ……」
顔を寄せ合い、お互いにひそひそと小声で話す。
「だけど、私もレオナルドに会いたかった」
「……ん」
レオナルドは満足そうに、優しく目を眇めた。