257 大好きだった背中
※前話の前半部分にミスによる重複があったため、本日2回目の更新となります。
前話をお読みでない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。お手数をおかけして申し訳ございません。
【第4部7章】
まどろみの中で、前世の夢を見ていた。
『――おじいちゃん』
遊びに行った帰り道、いつのまにか車で眠ってしまい、祖父の背中に背負われて帰ったときのことだ。
前世のフランチェスカは、半分だけ覚醒してぼんやりした意識の中で、祖父にこんなことを尋ねていた。
『おじいちゃんも、わたしがおっきくなったら、「おむこさん」をもらってほしい?』
『おいおい。なんだそれは、誰がお前にそんなことを言った?」
『……おうちの「あとつぎ問題」をかいけつする、いちばんの方法だって、みんなが言ってた……』
『……ったく』
祖父は、呆れたように大きな息を吐いた。
『お前が気にする必要はねぇよ。くだらねェことは忘れて、もう少し寝てろ』
『でも……』
前世のフランチェスカを背負い直しながら、祖父が笑う。
『お前が幸せであれば、それでいいんだ』
『……おじいちゃん』
その願いは、幼い心にもはっきりと響いた。
『このままお前が、跡継ぎになってもいい。お前の望む人間と一緒に暮らすのも、暮らさないのもどちらでもいい』
『ん……』
『この家を出て行って二度と帰らなくとも、この国から飛び出して自由に生きても、どんな生き方でも構わねェさ』
眠気に襲われたフランチェスカは、しぱしぱと緩やかな瞬きを繰り返す。
『どんな場所でも、とにかく笑って、幸せに生きていてくれ』
祖父はきっと、孫娘がほとんど寝惚けていることには、とっくに気が付いていただろう。
だからこそ、ほんの少しだけ寂しさを交えながらも、こう笑ってくれたのだ。
『……俺にはそれだけで、十分なんだ』
***
「……ん……」
随分と懐かしい感覚に包まれて、フランチェスカは目を開けた。
香水と、僅かに煙草の匂いがする。はっとして少し身を起こせば、そこが父の背中であることに気が付いた。
「……パパ……?」
「起きたのか。フランチェスカ」
いつのまにか、父に背負われているようだ。
(どうしてパパに、おんぶなんて……)
どうやら今は、大聖堂の外にある広大な庭を抜けて、門外にある馬車の停車場へ向かっているところらしい。辺りはすっかり夜になっており、風が冷たかった。
「……ひょっとして私、寝ちゃったの? なんでだろ……」
「疲れていたのだろう。地下の罠に落ちて彷徨ったのなら、疲弊して当然だ」
「ん……」
フランチェスカは少しだけ辺りを見回して、レオナルドとエリゼオの姿を探した。
「レオナルド……」
「アルディーニたちなら、お前が眠っている間に帰している。あの若造は、屋敷まで送り届けると言って聞かなかったがな」
「…………そっか」
聖夜の儀式のリハーサルは、きっと中止になったのだろう。
ぼんやりしながら瞬きをするも、徐々に意識が覚醒してきて、フランチェスカは慌てて言った。
「……あ! ご、ごめんねパパ、重かったでしょ……!? ありがとう、もう降り……っ」
「いいからじっとしていなさい。馬車まではあと少しだ」
(……恥ずかしいけど、パパをこれ以上悲しませられない……)
地下道から出たときの父を見て、どれほど心配を掛けたかは自覚していた。
フランチェスカはその分のお詫びのつもりで、大人しく過保護にされておくことにする。
「……パパにおんぶしてもらうの、久し振りだね」
ぎゅうっと両腕に力を込めると、遠い日を懐かしむように父が言った。
「そうだな。お前はもう、何処までもひとりで歩いて行ける年齢になった」
小さな頃は、フランチェスカが少しでも歩き疲れた様子を見せると、すぐさま父に抱えられた。
(懐かしいな。パパと仲直りしたばかりのころは、手を繋ぐのもぎこちなかったのに)
それがいつしか、父は自然にフランチェスカを背負い、肩車だってしてくれるようになったのだ。
(パパに抱っこしてもらうのが、だんだん当たり前になってきて。……そんな父娘になれたんだって気が付いたときは、すごく嬉しかったっけ)
フランチェスカはくすくすと笑う。
しかし、父はそれとは反対のことに、思いを巡らせていたらしい。
「……こうしてお前を背負うのも、これが最後になるのだろうな」
「!」
静かに紡がれたその声に、フランチェスカは息を呑んだ。
「……パパ」
「誤解はしないでくれ。お前が成長してゆくことを、私が誰よりも喜ばしく思っている」
フランチェスカが頷くと、父は穏やかにこう続けるのだ。
「寂しさなど、抱いて良いはずもない。……お前の未来にあるものは、溢れんばかりの幸福だけなのだから」
「…………」
それは、願いよりもずっと強い祈りが込められた、そんな確かな言葉だった。
「お前はこの先の人生で、どのようなものも選べる。……なんだって出来る」
(……あ)
「ずっと当家に残っても良い。跡継ぎになろうとも、表の世界で生きることを選ぼうとも……いまお前が纏っているようなドレスを着て、誰かの花嫁になっても構わない」
聖夜の儀式は、この世界の結婚式によく似た儀式だ。
父にはやはり、思うところがあるのだろう。複雑なはずの心境の中で、フランチェスカのことを最優先に考えてくれている。
(おじいちゃんも、同じことを言ってくれた……)
こういうものを、無償の愛情と呼ぶのだろう。
「……パパは、ママにもそんな風に、幸せでいてほしいって思ってた?」
「…………」
フランチェスカの問い掛けに、父が僅かに苦笑したのが分かった。
「……いいや」
「?」
フランチェスカが首を傾げると、父は遠くの細い月を見上げ、ぽつりと言う。
「セラフィーナのことは、手放せなかった」
「!」
思わぬ答えに、フランチェスカは目を丸くする。