252 根付いた記憶
***
(レオナルド、大丈夫かな……)
エリゼオに手を引かれて走りながら、フランチェスカはぎゅっと眉根を寄せた。
(分かってる、これは幻聴。ルカさまも、さっきからずっと、頭の中に響いてくる声も全部……!!)
心臓がばくばく跳ねていて、息が苦しい。
『フランチェスカ』
脚に疲労を感じ、ただでさえ思考が回らないのに、頭の中で声がする。
『――俺がちゃんと、殺してやるから』
「…………っ」
レオナルドの『声』に耳元で告げられて、反射的に目を瞑った。
(幻聴、幻聴、全部幻聴!! これは私の大事なレオナルドじゃなくて、ゲームのレオナルドの……っ)
『この子供を、私の傍に近付けるな』
(……!)
すぐさま脳裏に響くのは、幼い頃に聞いた父の声だ。
『お前という存在が生まれてきた所為で、セラフィーナは命を落としたのだ』
(……分かってる。パパはもう、そんな風に思ったりしてない。だから私も、傷付かない……)
『迷惑なんですよ、あんたの存在が。さっさとこの家から出て行って、二度と戻ってこないでもらえますか』
(グラツィアーノだって、そんな冷たい声を私に向けたりなんか、絶対にしない……!)
生々しく響く無数の声を、フランチェスカは跳ね除けてゆく。
(ぜんぶ偽物。気を取られない、惑わされない!)
浅い呼吸を繰り返しながら、松明だけの光で地下を走った。
『お前が王都に戻ってきてから、不穏な事件が幕を開けた。お前はこの国の伝統と、学院の風紀を乱す者か?』
「……ねえ、エリゼオ……!」
フランチェスカを先導してくれているエリゼオも、先ほどから一言も喋らない。幻聴の中、エリゼオの背に呼び掛ける。
『うぜーんだよ、お前の存在が。俺の邪魔をするな、目の前から消えろ』
「エリゼオ、ってば……」
暗い地下道で、現実に響いているフランチェスカの声は、エリゼオに届いてはいないようだ。
『君みたいな人間は、ただ黙って僕たちに従ってくれればいいんだ。……未来を変えることなんてなにも出来ない、無力な弱者として――……』
「……っ、エリゼオ!!」
「!」
大きな声を出して彼を呼ぶと、そこで初めてエリゼオが止まった。
「……僕は……」
短く息を吐いたエリゼオを見て、フランチェスカは顔を顰める。
(顔色が、すごく悪い)
フランチェスカが耳にしたような幻の声を、エリゼオも聴き続けていたのだろうか。
(エリゼオを休ませないと。このままじゃ……)
けれどもフランチェスカは、そんな思いは口に出さず、もうひとつの理由でエリゼオを引き止めた。
「……ごめん。私、これ以上は進めない」
レオナルドが逃してくれたことは分かっている。けれどもこの地下道は、次々に地形が変わってしまうのだ。
「これ以上離れて、レオナルドと分断されちゃうのが怖いの」
「…………」
こうしている間にも、たくさんの幻聴が反響していた。それを必死に無視しながら、いま来た道を振り返る。
(レオナルドに早く会いたい。ルカさまのふりをしていた幻覚が、私の姿に変わったとしても、レオナルドなら惑わされないと思うけど)
冬の寒さの中、顎を伝う汗を手の甲で拭ったフランチェスカは、レオナルドに羽織らせてもらっていた上着をきゅっと抱き寄せる。
(……レオナルドのお父さんや、お兄さんの幻覚は、見ていて欲しくないな……)
祈りながらも、エリゼオに告げた。
「エリゼオは、ここにいてくれる? 私、少しだけ引き返して、レオナルドの音が聞こえないかを確かめてくる」
「…………だめ」
エリゼオの手が、フランチェスカの手首を強く握り直した。
かと思えば、そのままゆっくりと地面に膝を突く。
「っ、エリゼオ、具合が悪いの?」
フランチェスカも慌てて屈み、エリゼオの背中を撫でた。
こうしている間にも幻の声は、よく知る人たちのふりをしながら、フランチェスカへの罵倒を繰り返し続けている。
「……大丈夫だよ、フランチェスカちゃん。ただ、目眩がするだけ」
「でも……」
「だから、一緒にいて」
ひょっとしたら、これはフランチェスカがレオナルドの所へ引き返さないようにするための、嘘なのかもしれない。
その可能性は脳裏を過ぎったものの、フランチェスカは頷いた。
「うん。分かったよ、エリゼオ」
「……ふふ。お人好しだなあ」
「声を出すのはしんどくない? 大丈夫?」
「ああ。平気だよ、ありがとう」
「じゃあ……」
エリゼオの体調を確認しつつ、提案する。
「エリゼオさえよければ、何か喋っていたいな。……ずっと聞こえてるこの声が、ちょっとは誤魔化されて、マシになりそう」
「……そうだね」
苦笑したエリゼオが、フランチェスカの手首を掴む力を緩めないままに言った。
「それなら話そうか。たとえばフランチェスカちゃんには今、誰の声が聞こえてるかを知りたいな」
「……エリゼオ?」
「だって君にも、見えている未来があるんだよね」
それは何処か、祈るような響きを帯びた言葉だった。
「だったら、きっと、同じはずだ」
こうして会話をしていても、エリゼオはどうやら幻の声に、耳を傾け続けているようだ。
「どんな亡者の、声がする?」
「……!」
エリゼオの問い掛けに、フランチェスカは息を呑んだ。
本当に求められているのは、この質問に答えることではない。彼の背中を撫でながら、そう感じた。
「……エリゼオには、何が聞こえるの?」
フランチェスカは、ゆっくりと尋ねる。
レオナルドが、不安なときのフランチェスカにしてくれるように、柔らかい声を紬ぎながら。
「……」
すると、エリゼオが口を開く。
「……予知していても防げなかった火事で、苦しみながら死んでいった、大勢の声」
「!」
零された言葉に、息を呑んだ。
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