251 心が動く
レオナルドに追加で二枚のクッキーを渡そうとしたところ、フランチェスカが一枚少ない配分であることを見抜かれる。
それでも、フランチェスカが口元へと差し出せば、レオナルドは諦めて口を開くのだった。
「……俺がねだっていない分まで、君が手ずから食べさせようとしてくるのは、ずるいんじゃないか?」
「だってそうしないとレオナルド、残りの全部を私に譲ろうとしてくるでしょ!」
子供の頃、父とケーキなどを食べに行くと、すべての皿がフランチェスカの前に集まってきた。これは、そのときに編み出した作戦だ。
「エリゼオはちゃんと、三枚全部食べてくれたよ。ね?」
「そっか。フランチェスカちゃんに譲ろうとしていれば、僕にもそうやって食べさせてくれていたのかな?」
「はは、安心しろよエリゼオ。その場合はフランチェスカじゃなくて、俺がお前に食べさせてやるから」
(レオナルド、目があんまり笑ってない……)
そんな会話の中、土壁に背を預けて座っていたエリゼオが、穏やかに笑う。
「なんだか不思議な気分だな。こんな状況下で、のんびり座ってお菓子だなんて」
「……エリゼオ?」
「思考することを中断して、こんな時間を過ごしているなんて報告したら、お祖父さまに叱り飛ばされてしまいそうだ」
フランチェスカは少し躊躇い、隣のレオナルドをちらりと見上げた。
微笑みを浮かべたレオナルドは、フランチェスカに任せると言ってくれているようだ。だから、意を決した。
「お祖父さんが洗脳されてるって、そう考えた理由を聞いてもいい?」
「ふふ。おかしなことを聞くね?」
片膝を抱えたエリゼオは、その上に両手を乗せて顎を置く。
「それではまるで、僕がお祖父さまに濡れ衣を着せて、洗脳者に仕立て上げたとでも言っているみたいだ」
「そ、そういう意味じゃなくて……」
「フランチェスカちゃんが暴いた『洗脳者』は、国王陛下に信じてもらえるのに。どうして僕が暴いただけでは、駄目なのかな?」
「…………」
思わぬことを尋ねられて、フランチェスカは何も言えなかった。
「まあ、それも当然なのか」
エリゼオの穏やかな微笑みが、何処か含みを持ったものに変わる。
「国王陛下にとって、フランチェスカちゃんは――……」
「?」
直後、エリゼオが言葉を止める。
エリゼオの視線は、レオナルドの方に向けられている気がした。フランチェスカがなんとなくそれに従って、隣のレオナルドを見上げようとしたときのことだ。
「――ここにいたのか、子供たち!」
「え……」
明るく澄んだ少年の声が、地下道に響いた。
小さな松明が照らす灯りは、ごく狭い範囲だけを照らしている。そのすぐ傍に広がる闇の中から、とある人物が現れた。
「ようやく見付けたぞ、無事だったか? ……ああ、本当に、心配した」
(……嘘……)
信じられない人の姿に、フランチェスカは目を丸くする。
桜色の髪に、緑の瞳を持つその人物は、八歳くらいの男の子の外見をしていた。
けれども中身は百十歳を超えている。
フランチェスカの父や、エリゼオの祖父のことさえも、『子供』や『孫』と呼んで可愛がる唯一の人物だ。
「っ、ルカさま……!?」
「ああ。――迎えに来たぞ、フランチェスカ」
国王ルカ・エミリオ・カルデローネが、立ち上がったフランチェスカたちを見て微笑んだ。
「一体どうしてルカさまが、こんな場所に……」
「大聖堂の床が崩れ、お前たちが落下したという報告を受けてな」
ルカは、その手に持っている子供用の小さな杖をとんっと突いて、えへんと胸を張る。
「臣下たちが止めたが、いても立ってもいられずに来てしまった。こういうときの国王権限というものだな」
「……このような格別のご配慮をいただいたこと、痛み入ります。国王陛下」
(レオナルド)
フランチェスカの前に歩み出たレオナルドが、胸に手を当てて礼の形を取った。
「俺やエリゼオはさておき、フランチェスカの体調が心配でたまらず、胸中穏やかではありませんでした。……このような場所までご親臨を賜り、恐悦至極に存じます」
「アルディーニ、エリゼオ。淑女たるフランチェスカを守り抜いたとは、立派だったな」
レオナルドの背中に隠されたフランチェスカへ、幼いルカが手を伸べる。
「怖かっただろう? こちらへおいで、フランチェスカ」
「……国王陛下。私たちを迎えに来てくださって、ありがとうございます」
「お前たちのためならば、どんなことでも苦にはならんさ。さあ、帰ろう」
ごく自然に紡がれた返事を聞いて、フランチェスカは確信する。
「……ひとつだけ教えてください。陛下」
「なんだ?」
「今日は、寂しがってくださらないのですか?」
両手をぎゅっと握り締めて、フランチェスカは告げる。
「私やレオナルドが、あなたのことをルカさまではなく、『国王陛下』と呼んだのに」
「………………」
ルカの姿をした『何か』は、口元に歪んだ笑みを浮かべた。
(っ、やっぱり……!)
その直後、少年の姿がぐらりと滲む。
ここにいるのはルカではない。どんどんと姿が歪み、変容して、得体の知れない形を取ろうとしている。レオナルドは笑い、はっきりと告げた。
「フランチェスカ。走れ」
「駄目! スキルが封じられてるのに、こんな得体の知れない敵……っ」
言い掛けたフランチェスカの手を、エリゼオが掴む。
「おいで。こっちだ」
「エリゼオ!」
「レオナルド君の邪魔はしない方がいい。分かるよね?」
「……!」
躊躇するものの、守りながら戦わせてしまうことは、レオナルドの足枷になるだけだ。
「……すぐに来てね、レオナルド!」
「ああ。もちろん」
レオナルドの言葉を信じて、フランチェスカはエリゼオと駆け出した。
(あの敵。ルカさまの姿をしていたけど、きっとあれは聖樹を守る――……)
***
親しい友人へと話し掛けるように、レオナルドは笑った。
「――お前は、聖樹を守るための、システムのひとつか」
ベストの中に仕込んでいたナイフを取り出して、手の中で回す。
目の前で、歪な黒い塊が蠢き始めた。地下道の天井までを覆う塊は、幻覚スキルの類のようだ。
「試してみよう。実体は?」
もっとも躍動が強い箇所へ、ナイフを軽く投げてみる。
すると、黒い塊は悲鳴のような金切り音を立てて、ずるりと土の上を後退した。
「ふむ。幻覚だけではないらしい」
対して興味はないのだが、大袈裟に驚いたふりをしてやる。
「何か質量のあるものに、こちらの知識を利用した幻を着せている……精神攻撃と物理攻撃を兼ね備えた、効率的な罠だな」
続いて数本のナイフを手に構え、ゆっくりと塊の方へ踏み出した。
(脱出に利用できないか期待したが、無駄だったな。この罠は、侵入者を追い出すためのものではなく、駆除するタイプか)
神聖な場であるはずの大聖堂に、加害を前提とした仕組みが置かれている。その歪さに、レオナルドは笑った。
「興味が失せた。お前と遊ぶのは終わりにして、フランチェスカを追わせてもらおう」
『……ぐ、あ……』
「ん? どうした」
塊が、幻覚によって人の形を纏い始める。
「ああ。お前、フランチェスカにでも姿を変える気か」
なにせ、今のレオナルドを掻き乱すことの出来る存在は、他に居ない。
けれどもそれは、浅はかな計算だ。
「お前の雑な幻覚では、惑わされるはずもないんだが」
手の中でナイフをくるりと回して、レオナルドは笑う。
「……俺のフランチェスカを形作るものは、フランチェスカただひとりだけだ」
偽りの彼女を見せられたところで、レオナルドの心は動かない。
(まあ、どうでもいいか)
この戦闘を終わらせて、フランチェスカを安心させたい。
しかしそのとき、目の前を蠢く人の形が、とある人間の姿へと変わった。
『――レオナルド』
「…………」
レオナルドは、ぱちりとひとつ瞬きをする。
微笑みを作った『人間』の姿は、レオナルドのよく知る人物だった。
だからこそ、つい先ほど別れた相手に掛けるような自然さで、昔のように呼んでしまう。
「――――兄貴」
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