250 甘い休息
***
「……やっぱり、また地形が変わった……!」
一時間後、三つに分かれた道を前にしてフランチェスカは困り果てていた。
(予想通り、この地下道はランダムに形が違ってきている。行き止まりじゃないことが分かって、さっきはすごくほっとしたのに……)
やはり、それから一時間経っても『突破口』が見付からないとなれば、焦燥と疲労が積もってゆく。
「ふふ。またやり直しだね」
「随分と楽しそうだな、エリゼオ。今回の変動は?」
「いままで記憶したどのパターンとも、違うみたいだ。やっぱり法則性が無いと見て、間違いないんじゃないかな」
橙色をしたエリゼオの瞳が、探っていることを隠さずにフランチェスカを見遣る。
「まさに、フランチェスカちゃんが言っていた『ランダム』という言葉がぴったりだ」
「あ、あはは……」
ゲームでは馴染みのある言葉だが、現実世界の光景には使わない表現だろう。どきどきしつつも最大の懸念は、やはり現在の状況だ。
「地形が変わるのは、一定時間ごと。私たちが居ない場所の造りが変わっている、そんなルールみたいだけど……」
暗い地下道の中を歩いてゆくと、やがて行き止まりに辿り着く。
引き返せば、地形の変動が見受けられる。先ほどからそれを繰り返して、どこを歩いているのかも分からなった。
(……出口が、何処にも無い……)
そんな事実を言葉にすると、あまり良くないような気がした。
「フランチェスカ」
エリゼオが周囲を観察している間に、レオナルドがそっと耳打ちをしてくる。
「念のため、いくつかの適当なスキルを試してみたが。やっぱりここでは、発動しない」
「……やっぱり大聖堂みたいに、この地下もスキル使用禁止の効果があるんだね」
だが、レオナルドが重要視しているのは、その事実だけではないようだ。
「ねえレオナルド。クレスターニの洗脳者は、この大聖堂に入ってしまうと、洗脳スキルが解けちゃうんじゃないかな?」
「…………」
「ルカさまのスキルが解除されないように、儀式を私たちが代行するくらいだもの。それならクレスターニだって、この大聖堂での儀式を妨害するのに、洗脳者を潜り込ませたりしない」
フランチェスカは俯いて、そっと呟く。
「――聖夜の儀式に送り込まれるのは、クレスターニに巻き込まれた洗脳者じゃなくて、自分の意思で協力している信奉者かも」
「…………ああ」
レオナルドはフランチェスカを肯定し、少し離れた場所にいるエリゼオへ視線を向けた。
(……今はそれよりも、脱出のことを考えないと。エリゼオはさっきから、歩いてきた道を全部頭の中へ記憶したり、法則を計算してくれてる。レオナルドは、急な地形変動が起きないか探って、ずっと警戒したまま……)
ふたりとも何も言わないが、きっと疲労が蓄積してきているはずだ。
すうっと息を吸い込んだフランチェスカは、レオナルドとエリゼオに告げた。
「ねえ、ふたりとも! 私、そろそろ休憩したくなっちゃった。ここで休んで行こう?」
「……フランチェスカ」
その提案に、レオナルドはにこりと笑う。
「そうだな。ありがとう」
(誰を休ませたいのかは、しっかりバレてる……!)
拙い嘘をついてしまったことが気恥ずかしいものの、賛同してもらえてほっとした。しかし、エリゼオは松明を持ったまま、先の道を照らし出す。
「それじゃあ僕は、向こうの方を見てくるよ。ふたりはここに居てくれるかな?」
「わーっ、待って!」
フランチェスカは、慌ててエリゼオの方に駆け寄る。
「エリゼオも休もう。さっきからずっと歩き回ってるし、体力の回復は必要だよ!」
「……だけど」
松明でも照らせない道の先を、エリゼオが何処か茫洋とした目で見つめる。
「この目で見て、知っておかなくちゃ。その上で、思考を巡らせ続ける……」
「……エリゼオ?」
「今の僕には、未来を知ることが、出来ないんだから。それでも」
その声に、焦りのようなものがあった訳ではない。
それどころか、何処か無感情にも聞こえるほどに、ぽつりとした声音がこう紡いだ。
「……『分からない』ものから逃げることは、許されない」
「!」
驚きを顔に出してしまったフランチェスカに、エリゼオが苦笑する。
「なんてね」
「…………」
どうにか立ち止まってくれたエリゼオは、いつかのレオナルドのように、本心らしきものを隠してしまった。
(エリゼオが、何を目的にしているのかは分からない。ヴァレリオさんのことも、聖夜の儀式のことも ……だけど)
フランチェスカはエリゼオの上着を掴んだまま、口を開く。
「聞いてもいいかな。エリゼオ」
「なんだい?」
エリゼオの微笑みは、フランチェスカの出方を探っているかのようだ。
だからこそフランチェスカは、彼の目を見て真っ向から尋ねる。
「――エリゼオは、クッキー好き!?」
「………………」
エリゼオは、小さな子供のように首を傾げた。
ぱちぱちと瞬きを繰り返し、フランチェスカの瞳を見詰めながら、少しの戸惑いを滲ませて頷く。
「……うん。それなりには」
「それじゃあみんなで分けて食べよう! 実は私、ちょうどクッキー持ってるの」
「うん。どうして?」
「っ、は。はははっ!」
レオナルドが口元を押さえて笑っている。フランチェスカは構わずに、ドレスの隠しポケットから、小さな袋を取り出した。
「ほら!」
「…………」
中に入っているのは、チョコチップ入りのしっとりしたクッキーだ。
落下の衝撃でも割れていない。それを確かめてほっとしていると、エリゼオが小さな子供のように瞬きを繰り返した後で、尋ねてくる。
「……そのドレスに、クッキーを隠すところなんてあったんだ。すごいね」
「リハーサル中にお腹が空きそうだったから、入れておいたんだ。さっきレオナルドがくれたクッキーだよ、差し入れだったの」
「いっぱい食べるフランチェスカが、本当に可愛いからな。街で良いものを見付けると、つい君にと買ってしまう」
「レオナルドの中での私って、なんだか食いしん坊で定着してる……?」
もっともそれは否定できない。なにしろフランチェスカには、アイスクリームやバーベキューといった前科があるのだ。
八枚入りのクッキーのうち、三枚をエリゼオに差し出して、フランチェスカは笑った。
「はい。これはエリゼオの分!」
「……いや。僕は……」
(あれ。やっぱり、あんまりクッキー好きじゃないのかな)
すると、レオナルドがフランチェスカの肩を抱きながら、こちらに身を寄せてきた。
「甘えていいか? フランチェスカ」
「レオナルド」
「俺の分。――君が、俺に食べさせて」
「え!!」
レオナルドはくすっと小さく笑い、甘えるようにくちびるを開く。
「ほら。あー」
「えっと……こ、こう?」
フランチェスカは、照れ臭さに少しだけ緊張しつつも、一枚をレオナルドに差し出した。
「ん」
フランチェスカの手にしたクッキーを、レオナルドが齧る。
咀嚼して飲み込み、くちびるについた欠片を親指で拭うと、それを赤い舌でちろりと舐めた。何気ないのに強烈な色香を感じさせる仕草に、フランチェスカは息を呑む。
「……っ」
「ああ。美味いな」
そしてレオナルドは、挑発するようにエリゼオを見て笑った。
「フランチェスカの気遣いだ、毒なんか入っていないさ。受け取れよ」
「……レオナルド君」
(エリゼオは、毒を警戒していた雰囲気じゃなかったけど……)
もちろんレオナルドも、それくらいは分かっているはずだ。
けれどもエリゼオは諦めたように苦笑して、フランチェスカからクッキーを受け取ってくれる。
「……ありがとう。いただくよ」
こうしてフランチェスカたちは、分かれ道の前に腰を下ろし、しばらくの休息を取ることにした。
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