248 対立の火
「……ここで君たちと仲良く死ぬのも、少し面白いかもしれないよね」
「エリゼオ……?」
「極限状態に追い込まれた人間がどうなるのかも、好奇心が唆られるな」
エリゼオは土壁にそっと触れ、汚れた指先に目を眇める。
「ここが完全に密閉された空間なら、思ったより早く終わるかもしれない。空気が尽きて苦しむ方が、飢えや渇きよりも辛いかもしれないな。それなら焚き火を燃やし続ける方が……ふふっ! すごいな、分からないことだらけだ」
エリゼオはなんだか楽しそうな表情で、とても美しく微笑んだ。
「未来を見ることが出来ない状況って、こんなに興味深いものだったんだね」
「…………っ」
その微笑みは、思考の核が壊れてしまった、そんな悪党の表情だ。
「はは。素晴らしいことだな」
一方のレオナルドは、ぱちぱちと明るい拍手をする。
「さすがはロンバルディ家ご自慢の跡取りだ。知勇を信条とする一族に相応しい知識欲を、是非とも脱出に役立てて欲しいな」
「もちろんだよ、レオナルド君。だから……」
エリゼオの微笑みが、先ほどまでの雰囲気と一変する。
「――死にたくないなら、僕に従ってくれ」
(……エリゼオ……)
地下の空気の冷たさに、フランチェスカは息を呑んだ。
「おっと! これは失礼。『当主代理』殿」
エリゼオの言葉を受けたレオナルドが、大袈裟なまでに恭しく、自身の胸元に手を当てる。
「まさかお前が、この地下での王さま役を買って出るとは。日頃から生徒会長として、学院を統率しているだけはある」
「ごめんね。だけどさっきも言った通り、ここでは酸素すらも有限だから。誰かの無駄な行動が、全員の命取りになってしまう」
エリゼオのまなざしが、フランチェスカへと注がれる。
「レオナルド君の最優先事項は、大切な女の子を守ること」
「……ああ。それが?」
レオナルドの纏っていた余裕の中に、僅かな変化が見えた。
そのことは、フランチェスカにだってはっきりと分かる。エリゼオは一歩踏み出すと、いつもの優雅な微笑みのまま、レオナルドの顔を覗き込んだ。
「フランチェスカちゃんを死なせたくないのなら、僕の言うことを聞いて?」
「…………」
それは、何処か甘やかな響きを帯びていた。
ふたりのやりとりを目の前に、フランチェスカはこくりと喉を鳴らす。
(エリゼオは、見ているだけで危なっかしい。綺麗だからこそ儚くて、なんだか怖くて……)
しかし、決してそれだけではないのだ。
(絶対的な自信がそこにあるから? ……無性に縋り付きたくなるような、溺れるって分かっていても掴みたくなるような、そんな雰囲気も纏ってる)
それはまるで、砂漠で気を失う寸前に現れた、水の女神の幻のように。
(エリゼオの言う通りに従えば、ここから出られるのかもしれない。なんにも思考せず、ただ黙ってエリゼオという脳の手足になって、そうすれば。…………でも、レオナルドは)
レオナルドは金色の双眸を僅かに眇め、エリゼオを見下ろした。
「生憎だが、エリゼオ」
まったく揺るがないレオナルドが、金の瞳を三日月のように細める。
「お前の常套手段は、俺に通用しない」
「……おや?」
「なんでも知っていて、なんでもお見通し。そんなハッタリで相手を信じさせて、支配する――ロンバルディ次期当主の知識と頭脳があれば、造作もないことだろうが」
レオナルドはくちびるの前に人差し指を立て、少々悪戯めかした仕草で言った。
「たかだが『当主候補』でしかなかった人間とは、踏んできた場数が違うものでね」
「…………ふうん」
それぞれに微笑みを浮かべたふたりの間で、ぴりっと空気が張り詰める。
(こんな状況下でもお互いに、主導権を取り合おうとしているんだ)
それぞれの家を背負う立場のふたりを前に、フランチェスカはそれを察した。
(こういうピンチを利用すれば、対等だった関係に上下がつく。五大ファミリーの当主と当主代理として、これは当然の駆け引きかもしれない。……だけど……)
フランチェスカからしてみれば、それは二の次だ。
だからこそ、ぱんっと両手を打ち鳴らす。
「――はい、おしまい!」
「!」
突然大きな声を出したフランチェスカに、エリゼオが目を丸くした。
「フランチェスカちゃん?」
「そんなことよりも、教えてエリゼオ! もしもここが密閉された空間だったとして、空気はどれくらい保つと思う?」
「…………」
エリゼオはぱちりと瞬きをした後に、こう答える。
「それを、体調に違和感を覚えずに活動できる時間、と定義して。焚き火を消さなければ、二十一時間ほどが限度かな?」
「よし! それじゃあすぐに、焚き火を消そう!」
「…………」
フランチェスカは早速焚き火に駆け寄り、まずは松明用の火を避けることにする。
「レオナルド! ごめんね、消火を手伝ってくれるかな?」
「――ああ。もちろんだ、フランチェスカ」
レオナルドは、フランチェスカが無理やり流れを変えようとしたことに気が付いているだろう。何も言わないでいてくれることにほっとしつつ、焚き火の傍に屈み込んだ。
よく見れば燃やされているものは、会衆席にあった長椅子の脚などだ。どうやらこれらは、フランチェスカたちと一緒に落ちてきたらしい。
「レオナルド。この火、どうやって起こしたの?」
「ん? 銃弾の火薬を取り出して、それを火種に」
「……持ち込み禁止の銃の隠し方、どんどん上手になってるよね……」
レオナルドが焚き火を踏み躙る様子を見ながら、そんな雑談をする。フランチェスカは三人分の小さな松明を手に、そのうちの一本をエリゼオに渡した。
「はい! これはエリゼオの分だよ」
「……ええと……あり、がとう?」
「これで酸素の消費量は減らせたね。ここはすごく寒いし、防寒手段を手放すのは勇気がいるけれど……」
焚き火を消し終えたレオナルドにも松明を渡しつつ、フランチェスカは笑う。
「エリゼオが力を貸してくれたから、決断できたの。ありがとう!」
「!」
橙色をしたエリゼオの目が、息を呑むように見開かれた。
「……そういうことか。やられたな」
(エリゼオも当然、気付くよね。こういうときは、第三者の私が空気を読めないふりをして、ふたりに平等に頼み事をする形にするのが一番!)
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