245 イルミネーション
「ゲームの君とエリゼオによる聖夜の儀式は、『黒幕』である俺と繋がっていた司教に妨害される。そして聖樹は、危機に陥る」
「……だけど、前に話した通り。その司教さんは、儀式の進行役とは別の人だったよ」
ゲームでは、顔も名前も描かれなかった。
一方で、この控え室を訪ねてきた人物の声は、間違いなく儀式の進行役となる司教のものだ。
「もちろんこの世界とゲームでは、大枠は同じでも、細かい部分が変わることも多いけど……ひとまず、いま廊下にいる司教さんのことは一度信用して、お部屋に入ってもらおう?」
「……」
するとレオナルドは息を吐き出し、ようやくフランチェスカを離してくれた。
「……残念。邪魔者を追い返そうと思ったのに、失敗だったな」
「そんなこと言わないの。どうぞ、司教さま!」
急いで返事をすると扉が開き、向こう側から男性が現れる。
腰まで伸ばした長い髪は、光の角度によって違う色に見える。所々が桜色のように見える瞬間もあれば、淡い紫にも青にも見える、そんな髪色だ。
一冊の教本を手にした男性の顔立ちは、彫刻の女神のようだった。
男性はフランチェスカたちに微笑み、穏やかな声で尋ねてくる。
「お二方。準備はいかがですか?」
聖夜の儀式において、この司教ラディエルは、儀式の進行者だ。
「少々予定よりも早いですが、段取りが変わりそうでして。リハーサルを前倒しで始めようと思うのですが」
「……フランチェスカ」
「パパ!」
ラディエルの後ろから現れた父は、先ほどよりも更に険しい顔付きだった。
「行って来なさい。大丈夫だ、お前なら立派に務められるだろう」
「パパ、大丈夫? やっぱりとんでもなく顔色が……」
「早く行くんだ、フランチェスカ……!」
父は苦しそうに俯くと、握り締めた拳を額に押し当てる。
「この先はついていてやれない。私がアルディーニの息の根を止めてしまう前に、私のことは振り切って、先へ進め」
「パパ……」
「お前の幸せを願っている。……心から」
(結婚式じゃなくて聖夜の儀式、それもまだリハーサルの段階なのに、パパの気合いがすごいことに……!)
狼狽えてしまうフランチェスカを他所に、レオナルドが微笑んだ。
「行こう、フランチェスカ」
「う、うん。行ってくるね、パパ!」
「く……っ!!」
レオナルドが差し出してくれた手を取り、フランチェスカは歩き始める。
けれどもそのとき、微かな違和感を覚えた。
「――――……」
(……あれ? いま)
ほんの短い時間だけ、父がレオナルドのことを見据えたような気がしたのだ。
(パパとレオナルド、アイコンタクトした?)
そんな疑問を抱いた直後、後ろから父の声がする。
「アルディーニよ……。貴様、覚えておくのだぞ」
「ははっ! フランチェスカのことは必ず幸せにしますので、ご心配なく」
(あ、なんだ。いつものパパの牽制だった!)
変わらないやりとりに安堵していると、教会の小間使らしき少年が、フランチェスカたちを呼びに来る。
「ラディエルさま。アルディーニさま、花嫁さま。お時間が……」
(花嫁さま!)
「ああ。すまないね」
ラディエルは少年に頷くと、フランチェスカたちを視線で促し、自分は先に廊下へと出た。
「じゃあ、いってきます。パパ!」
「……ああ」
そしてフランチェスカはレオナルドと共に、司教ラディエルと、その傍らに従う少年の後ろを歩く。
控え室のある棟は、大聖堂と回廊で繋がっているそうだ。柱や天井と同じく真っ白な絨毯は、足音をみんな吸い込んでしまう。
腰まである司教の髪を見て、フランチェスカはほうっと息をついた。
(司教さまの髪の色、シャボン玉みたい)
だが、その神秘的な色合いに見惚れるよりも、どうしても気掛かりな点がある。
(ゲームの四章で敵になるのは、儀式に関係する司教さんのひとりだった)
それが一体誰だったのか、ゲームでははっきり名指されていない。
第一にこれまでの章であれば、ゲームの犯人役とは違った人物が、この世界でのクレスターニの配下だったのだ。
(レオナルドはきっと、この人のことも警戒してる。私は……)
「――既にスキルが使えない領域内だというのに、ふたりとも落ち着いていらっしゃいますね?」
「!」
こちらを振り返らない司教の問い掛けに、フランチェスカはレオナルドを見上げ、顔を見合わせる。
「レオナルド、さっきまでと変わった感じはある?」
「いいや。特に何も」
レオナルドはくすっと笑い、悪戯めいた言い方で首を傾げる。
「試しに、この場でスキルを使ってみようか?」
「もう。使っちゃ駄目だから禁止されてるのに、怒られちゃうよ!」
レオナルドは、自身のスキルがどんなものかを悟らせないためなのか、人前で気軽にスキルを使おうとすることがある。
その所為で、あまり冗談に聞こえないのだ。
「アルディーニのご当主は、案外やんちゃでいらっしゃる。ここが大聖堂でなければ、伸び伸びとスキルを使わせてあげたいところですが……」
「司教さま」
「元気に遊ぶのは、しばしのあいだ我慢していてください。聖樹をちょっとでも傷付けてしまうと、あなたたちを叱らなくてはなりませんからね」
司教ラディエルは、そこでようやくフランチェスカたちを振り返る。
「――少しだけ、良い子に」
そう言ってぱちりとウインクをしたラディエルに、フランチェスカは少しだけ驚いた。
(見た目の印象で、物静かそうな司教さまだと思っちゃったけど……ひょっとして、意外とお茶目な人なのかな? もちろん、クレスターニの手先でないならっていう前提だけど……レオナルドはどう思ってるんだろう)
レオナルドをちらりと見上げると、レオナルドはフランチェスカを見下ろした。
その上で、同じようにぱちんとウインクをしてくれる。どちらが上手にウインク出来るかを比べた訳ではないのだが、レオナルドもとても上手だった。
「さあ。参りましょうか」
司教は再びこちらに背を向けると、朗らかに述べた。側仕えの少年が歩み出て、大きな扉に手を掛ける。
「いよいよこの扉の向こう側は、大聖堂の本堂です」
(わ……)
細い廊下を塞いでいた扉が、ゆっくりと押し開かれた。
「すごい……」
この国で最も大きな教会の聖堂は、荘厳な雰囲気に満ちていた。
遥か頭上に広がる天井には、純白の輝きを放つ聖樹を中心にした神々の饗宴が描かれている。
色鮮やかなステンドグラスは、天井画とはまた趣きの異なる美しさを放ち、聖堂内に透き通った陽光を落としていた。
白い大理石の床は、氷のように磨き上げられている。据えられた会衆席の長椅子は、ひとつひとつに繊細な彫刻が施されており、それ自体が芸術品のようだ。
そして、本来なら祭壇が据えられているであろうその場所には、大きな巨木が聳え立っているのだ。
(これが、この国の聖樹?)
その大木は、ほんのりと青白く発光している。
満月の光だけを集めて作ったかのような、清らかな光を帯びながら、聖堂内へ佇んでいた。
「……すごい」
司教の傍についていた少年も、聖樹を見上げて独り言を漏らしている。どうやら彼にとっても、これが初めての聖樹となるようだ。
(不思議。こんなに大きな木が、建物の中に生えてるなんて)
大聖堂の中心に立ち尽くしたフランチェスカは、じっとその木を見上げる。
(だけど、どうしてかな。木というよりも)
「…………」
隣に立ったレオナルドも、静かに聖樹を見据えていた。
(……まるで、綺麗なイルミネーションを見ているみたい……)
そんな思いを抱いてしまった、ちょうどそのときだ。
「――やあ。フランチェスカちゃん」
「!」
振り返った先に立つ人物の姿に、フランチェスカは目を丸くする。
「エリゼオ……?」