238 信用(第4部4章・完)
祖父のことを心に思い浮かべて、フランチェスカは微笑んだ。
「ありがとうございます。ヴァレリオさん」
「だから、表で生きていきたいのであれば、裏の人間にそうした態度を取るなと言っておるのだ。まったく……」
(ヴァレリオさんは、不器用でもとっても優しい。そのことは、よく分かったけれど)
今日の出来事で生まれたのは、ロンバルディ家に関する新たな疑問だ。
(ゲームでは、もっと気難しい人だったはず。『主人公のフランチェスカ』が、ヴァレリオさんとエリゼオの間にある溝を埋めて、和解を取り持つ必要があるくらいに……)
果たして今のヴァレリオとエリゼオに、そんな橋渡し役が必要なのだろうか。
(この世界でも、厳しいお祖父ちゃんだって誤解されていて、エリゼオとは仲が悪いのかな? ……でも、察しが良い上に未来も見えるエリゼオが、お祖父さんだけにそんな誤解をするなんて思えないのに)
「こうして本を運ぶことで、聖樹がどれだけ貴重なものか、聖夜の儀式がどうした性質を持つものかは察しただろう。分かったのなら、重々気を付けることだ」
ヴァレリオはこほんと咳払いをすると、静かに立ち上がってフランチェスカを見遣る。
「私は屋敷に戻る。お前たちもここを出るように」
「行こうか、フランチェスカ」
「……うん」
レオナルドに促され、フランチェスカは頷いた。けれども頭の中では、思考の続きが止まらない。
(この世界では、ゲームのシナリオで起きる出来事と、大枠で同じことが起きちゃう。どんなに回避しようとしても、よく似た『イベント』の発生は避けられないことを、私は知ってる……)
紫色の絨毯が敷かれた博物館の廊下を歩き、裏口から外に出る。
関係者だけが使う道は、小さな通りに面した門へと続いていた。レオナルドやヴァレリオたちの後ろを歩きながら、嫌な予感に眉根を寄せる。
(ふたりが和解するイベントが起きるなら、その前に喧嘩やすれ違いが必要だよね?)
フランチェスカは、気付かれないようにヴァレリオへと視線を向けた。
(違う。仲の良いお祖父ちゃんと孫が、和解が必要なくらいに敵対する理由は、それだけじゃなくて)
皺の刻まれたヴァレリオの手が、通りに出るための門を押し開いた。
少しだけ錆びた金属の音が、夕暮れの中に響き渡る。冬の冷たい風が吹き込んだ、その瞬間だ。
(――それは、洗脳が)
「フランチェスカ」
レオナルドに呼び掛けられて、フランチェスカははっとした。
裏門から出た先の小さな通りには、大きな馬車が停まっている。ロンバルディ家の、アイリスの家紋が入った馬車だ。
(まるで、誰かを待ち構えているみたい)
その馬車からは、紫色の髪を持つ青年が、ゆっくりと降りてくる。
そして彼は、橙色に染まった光の中で、祖父へと手を伸ばした。
「お迎えに上がりました。お祖父さま」
(……エリゼオ……!)
フランチェスカは、思わずこくりと喉を鳴らした。
「……孫に支えられて歩くほど、体が弱っているつもりはないが?」
「ふふ。もちろん、存じております」
エリゼオが浮かべている微笑みは、いつも通りに穏やかで、儚さを感じさせるものだ。
その表情だけ見ていれば、エリゼオが祖父を慕っていることなど、きっと疑う余地もない。
「ですが……」
エリゼオが軽く手を上げて合図をした、その直後だ。
「ぐ……っ!?」
「ヴァレリオさん!!」
呻き声を上げた老当主が、雪の中にどさりと膝をついた。
「いまだ、ロンバルディ殿を確保しろ!!」
「!!」
スキルで気配を殺していたらしき男たちが、一斉にヴァレリオを取り押さえる。咄嗟に駆け寄ろうとしたフランチェスカの腕を、読み切っていたかのようにレオナルドが掴んだ。
「我慢してくれ、フランチェスカ」
(……分かってる。だって、ヴァレリオさんを捕まえたのは)
レオナルドが冷静に制止してくれた理由は、男たちの制服が物語っている。
(……王城の、憲兵……!!)
国王ルカの直属となる近衛兵たちが、ロンバルディ家当主ヴァレリオの身柄を拘束し、手錠を使って拘束したのだ。
(やっぱりエリゼオだったの? いつのまにかクレスターニに洗脳されていて、その命令で、お祖父さんにこんな乱暴なこと……!!)
「びっくりさせてごめんね。だけど、仕方がないんだ」
脱力して目を閉じたヴァレリオは、何かのスキルで眠っているらしい。そんな祖父を前に、エリゼオが楽しそうな笑みを浮かべる。
「だって、洗脳されているから」
「エリゼ……ッ」
そしてエリゼオは、雪の中に蹲った老人とは対照的に、美しく優雅に言葉を放つ。
「――――お祖父さまが、ね」
「……え……?」
男の子としては華奢な指が、真っ直ぐに老人を示していた。
「お祖父さまはクレスターニに洗脳されて、巨悪に落ちた」
エリゼオの言葉が飲み込めず、フランチェスカは瞬きをする。
「あろうことか王家の信頼に背き、当家の貴重な研究結果を渡してしまっていたようなんだ」
「……嘘……」
「もちろん証拠も揃っている。だからこそ国王陛下に進言して、こうして憲兵を出していただいた」
エリゼオが振り返って合図をすると、憲兵は静かに頷いた。
誰かの瞬間移動スキルによるものか、彼らに抱えられたヴァレリオごと、兵たちの姿が一瞬で消えてしまう。
「あ……!」
「そんなに心配そうな顔をして、どうしたの? フランチェスカちゃん」
「…………っ」
エリゼオの堂々とした振る舞いに、フランチェスカは察してしまう。
(どんなに信じられなくたって、エリゼオは実際に『証拠』を持ってるんだ。それも、ルカさまが兵を動かすくらいの、強力なものを)
これはれっきとした、国王命令による身柄の確保なのだろう。
(洗脳者がヴァレリオさんだった。本当に? ……確かにクレスターニがロンバルディ家の誰かを洗脳するなら、当主のヴァレリオさんが一番効率的なはず)
フランチェスカたちだって、その可能性を念頭に置いて動いてきた。たったいま目の前で起きた出来事は、その答え合わせと呼んでも良いはずだ。
(なにもおかしくない。それなのに)
フランチェスカは両手を握り締め、エリゼオを見据える。
(エリゼオの言葉が、信用できない……!)
どうしようもなく、嫌な予感がするのだ。
「これで僕は、今日から当主代理となる。……リカルドくんと同じように、当主と変わらない権限を持つんだよ」
「まさか、エリゼオ」
「本当は、もっと穏便に交代したかったのだけれど。お祖父さまがまだ早いって拒むから、強硬手段に出るしかないよね」
くすくすと笑うエリゼオが、何を言っているのか分からない。
(いまの口ぶりだと、まるでエリゼオが、今すぐ当主になる為だけにヴァレリオさんを……)
「ね? レオナルド君」
「――――……」
何処か危うい色を滲ませたエリゼオの双眸が、嬉しそうにレオナルドを見上げた。
「君と同じ『当主』の立場でなら、フランチェスカちゃんを花嫁役にする聖夜の儀式にも、もう一度名乗りを上げていいと思わない? フランチェスカちゃんを取り合って、僕と決闘しようよ」
「……今のはけっこう面白い冗談だな。エリゼオ」
「わ……っ!」
レオナルドは何処か余裕のある態度で、フランチェスカの腰を抱き寄せる。
「だがまさか、お前がフランチェスカを欲する側の人間になることを、俺が許すと思うのか?」
「……レオナルド……」
「大丈夫だよ。俺の可愛いフランチェスカ」
レオナルドは、エリゼオなど視界に入っていないかのように目を眇める。フランチェスカの頬に手を添えて、甘い声音で囁くのだ。
「……たとえ世界にすら、君を渡すものか」
「…………っ」
間近に見上げた金色の瞳に、暗い炎が揺れている。
そんな錯覚と、エリゼオの思惑への混乱に、フランチェスカは息を呑むのだった。
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【第4部5章へ続く】