237 関わらないこと
ヴァレリオは、忌々しそうな表情でレオナルドに返す。
「本来ならば、各国の大聖堂に立ち入ることが出来るのは、教会の要職者と王のみ」
その不本意な声音は、いま会話をしているレオナルドに対して向けられたものではないようだ。
「たとえ聖夜の儀式においても、直前までミストレアルの輝石を保有していた国の王族が、見届け人として同席できる程度の変化だ」
(……あ、そっか。このあいだまで輝石を管理してた隣国の王族なら――ルキノだけは見届け人として、儀式を見学出来るんだ)
ルキノがロンバルディ家に滞在しているのも、留学という名目の他に、ロンバルディ家が儀式の遂行人になる予定だったからなのだろうか。
ゲームには無かった描写だが、六章の主要人物として登場させるために、敢えて描かれなかったのかもしれない。
「聖樹を研究する学者とて、近付くことは許されぬ。すべては聖樹を守るため」
ヴァレリオは、刻まれた皺を深くするように目を眇める。
「だが、この国には唯一の例外がある」
「……ルカさまの代わりに儀式をする、遂行人と花嫁役、ですよね」
この老人が言わんとしていることは、フランチェスカにも理解できた。
「聖樹について分かっていることは、世界的にもまだ少ない」
ゆっくりと立ち上がったヴァレリオが、積み上げられた本のもとへと歩みながら両手を広げる。
「発現するスキルの内容は、どういった要素で決まるのか。授かるスキルの傾向は、年代や地域によって偏りがあるのか。多くの人間は、生まれてこの方一度も聖樹と接触することがないにも拘わらず、どのようにして聖樹がスキルを授けているのか……」
そしてヴァレリオは、聖樹について記録されているらしい、一冊の本を手に取った。
「知りたいと、そう思わんか? 世界において、まだ誰も解明していない謎の答えが、知識の海の果てにはある」
気むずかしげに曲げられていた口元へ、ふっと柔らかな笑みが宿る。
「それを想像するだけで、胸が躍る」
「……ヴァレリオさん」
ヴァレリオが笑うところを初めて見て、フランチェスカは不思議な気持ちになった。
(パパよりもずっと年上で、お祖父ちゃんと年齢が近い人なのに。……なんだか今のヴァレリオさんは、冒険に夢中な男の子みたいだな)
なんだか微笑ましくなってしまい、フランチェスカはくすっと笑った。
「はい。運んだ本を、私も読んでみたくなりました!」
「……ふん。ここにあるのは、図書館にすら収めていないものばかりだからな」
「また今度、お手伝いに来てもいいですか? そのときはお小遣いをいただく代わりに、ここに保管されているもののことを教えてください」
「はは。ロンバルディ家ご自慢の博物館の所蔵品には、俺も興味がある」
レオナルドは、磨き上げられた飴色の机に腰掛けて、その金色の瞳を眇める。
「――なにしろ『賢者の書架』にある本は、大体読み切ってしまったからな」
(…………っ)
レオナルドに秘密で調べたい場所の名前に、ついつい反応しそうになった。
恐らく顔には出ていないはずだ。それでも内心で緊張しながら、レオナルドとヴァレリオの会話を聞く。
「それにしてもロンバルディ。厳格な当主さまとして名高いあんたが、それほど楽しそうに研究を語るとは思わなかったな」
レオナルドは、鳥の骨格標本のくちばしに指先でちょんと触れながら、揶揄うように続けた。
「当主なんてさっさとエリゼオに譲って、そろそろ引退したいんじゃないのか?」
「馬鹿を言うな」
不機嫌そうな顔をしたヴァレリオが、その問い掛けを否定する。
「今すぐ隠居の身になるほど、私は耄碌しておらん」
「へえ。学院の生徒会長さまもまだまだ子供、頼りないって?」
「……エリゼオは、当家の当主として優秀だ。誰よりもな」
孫と同じ色をした橙色の瞳が、レオナルドのことを真っ直ぐに睨み付けた。
「当主に相応しい頭脳と才覚を持ち合わせ、その振る舞いも申し分ない。――跡目争いなど、させるまでもないのだ」
「……やっぱりヴァレリオさんは、カルロさんのこともエリゼオさんのことも心配で、大事に思ってるんですね」
その言葉に、フランチェスカは確信した。
「だからカルロさんに冤罪を着せて、他の人に利用されないようにして追放した。そうでしょう?」
「カルヴィーノの娘」
ヴァレリオはぐっと眉間に皺を寄せ、はっきりと言い放つ。
「お前はこの先、当家と関わり合いを持つのは控えろ」
「え」
「昨日我が家に来ていたのは、エリゼオと何かしらの協力関係が組めると考えてのことかもしれぬが。我々裏社会に生きる人間の頭脳も、その能力も、相手を選ばずに使うべき代物ではない」
(……そういえば)
ロンバルディ家のエントランスホールで、これに近い忠告を耳にした。
『エリゼオよ。お前の頭脳も能力も、相手を選ばずに使うべき代物ではない。分かっているのか?』
あのときは、持つものを安売りするべきではないという、エリゼオへの叱咤に聞こえていたものだ。
けれどもきっと、そうした意図ではなかったのだろう。
(前世のお祖父ちゃんも、組員のみんなによく言ってた。任侠者が誰かを助けることは、それがどれだけ善意であっても、助けた相手に迷惑が掛かることだって。裏の人間は、そのことをちゃんと自覚しなきゃいけないって……)
ヴァレリオの言葉は、そんな祖父の教えにも似たものだ。
「我々と関わって行くには、お前は少々透き通り過ぎている。……いつか『表』で生きていくことを望む、ただの娘だ」
(……ヴァレリオさんは、私のことも、心配して……)