235 祖父
慌てて飛び出したフランチェスカの腕を、レオナルドがすぐに掴んだ。
「走ると危ない。俺も行くよ」
「ううん、レオナルドはここで待ってて。すぐに戻るから!」
「だぁめ。――ほら」
ふわりと肩に掛けられたのは、フランチェスカの外套だ。
「……ありがとう、レオナルド」
「お礼はいらないさ。君の望みを叶えに行こう」
そう言って自分も外套を羽織るレオナルドに、フランチェスカは頷いた。
転ばないように急いで追い掛ければ、大通りの角を曲がった先に、老人の姿を見付けることが出来る。
「待ってください、ヴァレリオさん!」
「……?」
レオナルドの手を離したフランチェスカは、ざくざくと雪を踏み締めながら、振り返ったヴァレリオへと追い付いた。
「……何用だ?」
「邪魔してしまってごめんなさい!!」
息を切らしてそう告げると、ヴァレリオはますます眉根を寄せる。
「私たち、今日はもう帰ります! だからヴァレリオさんは診療所に戻って、カルロさんと、いっぱいお話ししてください……!」
謝罪を向けても、ヴァレリオは未だに怪訝そうなままだ。フランチェスカを見下ろして、真意を探るかのように顔を顰めた。
「……そんなことを言うために、わざわざ私を追って来たと?」
「全然、そんなことなんかじゃ、ありません!」
大きくかぶりを振ったあと、フランチェスカは俯いた。
「……だって私も、祖父に会いたい」
「……なに?」
心の中で思い浮かべるのは、大好きな前世の祖父のことだ。
「お祖父ちゃんと実際に会えて、他愛の無いお喋りを出来る時間のこと、すごく大事だって知ってます。心配だっていう気持ちがあるのなら、きっと尚更」
「……それは」
(だって私は、死んじゃったから)
あのとき祖父を庇ったことを、後悔なんてしていない。
けれど、どれだけ祖父にとって残酷なことをしてしまったのかは、想像すら及ばないほどだった。
(大事にされて、いっぱい心配かけて、愛されて育ったことをちゃんと知ってる。――それなのに、私の所為で、もう会えない)
そのことはもちろん口にせず、フランチェスカは頭を下げる。
「本当に、邪魔をしてごめんなさい!」
「…………」
ヴァレリオが、静かにフランチェスカを見下ろした。
「お前もまた、『祖父』という存在によって人生を変えられた、そんな子供のひとりだろう」
「!」
その言葉に、フランチェスカは顔を上げる。
「どうして、それを……」
「アルディーニとの婚約は、お前たちの祖父の盟約によるものだ」
(あ。そっか、前世のお祖父ちゃんのことじゃなくて)
少し考えれば分かるのに、前世のことを思い出していた所為で、ついつい混同してしまった。
「勝手だと腹は立たんのか? 未来に願いを懸けるあまり、今を生きる若き者を踏み躙り、繁栄のためにと命令をする。そんな人間が」
「……困らされたことは、たくさんあります」
正直に答えたフランチェスカの隣に、レオナルドがそっと並び立つ。
フランチェスカは、祖父の決めた婚約者である彼のことを見上げ、微笑みを作った。
「だけど、その反対の方がずっと多いですから!」
「……フランチェスカ」
フランチェスカは改めて、目の前にいるロンバルディの当主を見据える。
「だから私は、祖父のことが大好きです。……もう会えなくても、それでも」
「…………」
ヴァレリオが、フランチェスカを観察するかのように目を眇める。
「……お前の祖父は、母方の祖父も含めた双方ともが、既に亡くなっているのだったな」
「母方?」
思わぬ言葉が出てきたので、フランチェスカは驚いた。肩を竦めたレオナルドが、全てを見透かしたように笑う。
「なるほど。さてはフランチェスカの母君が、息子の婚約者候補だったってところか」
「え!」
「ふん。すぐに立ち消えた、昔の話だ」
父に恋敵が居たかもしれないなど、想像もしたことがなかった。
フランチェスカの母の家については、父からもあまり聞いたことはなく、ゲームで語られた情報もほとんど無い。両親が無事に結ばれた事実に安堵していると、ヴァレリオが息を吐く。
「……それに、誤解も甚だしい。私は何も、お前たちが診療所に居たことを理由に、カルロの元を去った訳ではない」
「でも」
「疑うならば、ついて来い」
思わぬ言葉に、フランチェスカは目を丸くした。
「ヴァレリオさん?」
「言っておくが、茶などは出さんぞ」
「…………」
ヴァレリオはそう言い捨てて、フランチェスカたちに背を向ける。
フランチェスカは瞬きのあと、レオナルドと顔を見合わせた。レオナルドが小さく笑い、『行くんだろう?』と視線で尋ねてくる。
フランチェスカは大きく頷くと、すでに歩き始めているヴァレリオの背中を追い、雪の積もった道を進んでゆくのだった。
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