234 裏の顔
「――これはこれは、ロンバルディ殿!」
(レオナルド)
いつの間にかフランチェスカの傍にいたレオナルドが、さり気なく肩を抱いてくる。
恐らくは、フランチェスカをヴァレリオから遠ざけるためだ。
「わざわざ我がアルディーニの運営する診療所にお越しとは、お体の具合でも? ご老体には堪える寒さだ、さぞかしお辛いことだろう」
「…………」
ヴァレリオが、じろりとレオナルドのことを睨む。
一方のレオナルドは、それを意にも介さない。
「しかしここに居る医者では、あなたに満足いただけるような診察結果は得られないだろう。ロンバルディのご当主は、自分の思った通りの答えを返さない人材など、お気に召さないだろうからな」
「……小僧が……」
「待って、レオナルド!」
露骨にヴァレリオと相対するレオナルドを、フランチェスカは慌てて止めた。
「もう……! 昨日のヴァレリオさんのこと、まだ怒ってる?」
レオナルドの腕をぐいぐい引っ張り、邪魔にならない場所にずれながら尋ねる。すると、レオナルドは楽しそうに笑った。
「フランチェスカにあんな物言いをしたんだ、どんなことをしても償えないだろう? それに立場上、一応は、カルロがロンバルディ家に害されないように牽制する必要もある。……一応だが」
「違うよ、レオナルドだって分かってるでしょ! ヴァレリオさんは、カルロさんに意地悪するためだったり、取り戻すために来たわけじゃないってこと」
ヴァレリオが来客として訪れることを、カルロは知っていたようだった。
カルロが診療所に戻った際、ここに居たのがフランチェスカたちだったことに、意外そうな様子を見せていたのだ。
「それにほら、あれはパンだよ、すっごいパン……! 焼き立ての香り、美味しそう……」
「うんうん。後で近くのカフェに行こう、君は本当に可愛いな」
「――カルロよ」
ヴァレリオは大きく咳払いをすると、孫であるカルロの前に立ちはだかった。
「お前がこのところ、不在がちな理由を聞き及んだぞ。当家を追放された身でありながら、恐れ多くも王城にお招きいただき、何やらしでかしているようだな?」
(ルカさまが、クレスターニの件で呼んでるから……!)
この国の頭脳とも呼ばれるロンバルディ家にとって、勘当したはずのカルロが招集されるのは、不名誉でしかない事態のはずだ。
「……お祖父さま」
「お前、まさかとは思うが……」
ヴァレリオは鋭い眼光で、カルロのことを睨み付ける。
そして、威圧感のある重々しい声音で、はっきりとこう言い切るのだ。
「――また、食事を抜いているのではないだろうな?」
(………んん………っ)
思わず声が出そうになるのを、レオナルドの後ろに隠れて誤魔化した。
「ほんの数日見なかっただけで、一段と顔色が白くなったではないか。隈も濃くなっている、血行が滞るほどの不摂生を繰り返しているのか?」
「否定します、お祖父さま。俺は健康です、心から」
「では、十分に栄養は取れているのだろうな」
「勿論。忘れてなければ」
「馬鹿者が……」
ずいっと踏み込んだヴァレリオが、孫へと厳しく言い募る。
「お前やエリゼオの脳は、我がロンバルディ家における財産なのだぞ。潤滑に思考を巡らせるための補給と休養を怠るとは、一体どういう了見だ? ロンバルディの人間たる自覚が足りん。思考が鈍すればそのまま愚考に繋がる、しかと心得よ」
「弁解の余地なく。申し訳、ありません」
(無表情で分かりにくいけど、カルロさんがしょんぼりしてる……!)
「フランチェスカ。寒いだろう、もう少しこっちにおいで」
「あ、ありがとレオナルド……」
扉が開け放たれたままなので、診療所内にはどんどん冷たい外気が吹き込んでいる。フランチェスカを抱き寄せてくれたレオナルドに、フランチェスカはひそひそと尋ねた。
「ねえ、レオナルド。ヴァレリオさんってやっぱり……」
目の前で繰り広げられている光景は、『当主と追放された異端者』ではない。
「――明らかに、『孫を心配する不器用なお祖父ちゃん』だよね……?」
「ははっ」
「こほん。カルロよ」
ヴァレリオは大きな咳払いをすると、パンの入った紙袋を、カルロにぐいっと押し付ける。
フランチェスカの脳裏に過ぎるのは、今世の父や前世の祖父が、フランチェスカの好物を際限なく買って来てくれる思い出だ。
「これを食え」
「お祖父さま。しかし、この量」
「また来る」
(もう帰るの!?)
その驚愕を声に出す暇もなく、ヴァレリオはくるりと踵を返した。
外に通じた扉が閉まるまでは、あっという間だ。ヴァレリオの居なくなった診療所で、フランチェスカはカルロに尋ねた。
「……カルロさん。お祖父さんって、しょっちゅういらっしゃるんですか?」
「最近は、三日に一度。大量の食料と共に」
「やっぱり……」
フランチェスカは僅かに扉を開けて、ヴァレリオの後ろ姿を見遣った。
(ただ歩いてるだけで、通行人がなんとなく緊張してるほどなのに。ヴァレリオさんが、こんなに心配性だったなんて)
その心情を想像して、フランチェスカはぎゅっと眉根を寄せる。
(……カルロさんと、もっとお喋りしたかったんじゃないかな。一緒にパンを食べたかったのかも? もしもこれが、私のお祖父ちゃんだったら……)
余計なお世話だと、そう思われるかもしれない。
けれどもどうしても耐えられず、フランチェスカはレオナルドたちに告げた。
「私、ちょっと行ってくる!」
「フランチェスカ」