233 ただ知るため
その声音に、感情の片鱗は見られない。
カルロはただ事実を述べるだけと言わんばかりに、淡々とこう続けるのだった。
「本の愛で方。知識への欲求。何もかも、形が違う」
「……カルロさん」
抱えた本をどさりと机に置きながら、カルロは呟く。
「ロンバルディ家にとって、知勇とは、世界を変える力」
「…………」
エリゼオも、世界を変える力についてを口にしていた。
「知識を求めるのは、未来のため。国のため。世界のため」
「カルロさんは、違うんですか?」
「俺は、知識の使い道など、考えない」
カルロは続いて、診療椅子の背に掛けてあった白衣を手に取る。
「知りたいから知る。知りたいから試す。知りたいから読む。――あとはただ、使いたい人間が、使いたいように使えばいい」
(……そうだ。確かに、ゲームでも)
カルロという人物は、キャラクターとして本編には未登場でありながら、その名や所業だけは語られていた。
(『悪役のレオナルド』は、色んなところでカルロさんが作り出した薬を使ってた。第五章で主人公たちが聞き込みしたかった証人が、明らかに毒を飲まされて亡くなっていたのに、鑑定スキルでも毒物が検出されなかったり……)
その毒については、恐らくはカルロの所業だろうというのが、ゲームのエリゼオの見解である。
(第一章でばらまかれた薬物も、カルロさんが依存性を高めるように手を加えたものだって説があったよね。レオナルドの配下として、その頭脳を使ってこの国の人たちを苦しめる、闇のお医者さん。それなのに)
フランチェスカは、目の前でもぞもぞと白衣を着ようとしているカルロのことを見上げる。
(ゲームで描かれる『カルロというキャラクター』に、人を困らせようっていう悪意みたいなものは、ひとつも感じられなかった。ただただ、ゲームのレオナルドの思うままに……)
フランチェスカの胸中に、ちりっと小さな不安が生まれる。
(ゲームのカルロさんが、『悪役であるレオナルド』の配下だったなら)
心に浮かべたのは、ある意味で単純かつ明快な図式だ。
(……この世界では、クレスターニの配下だっていうことにならなくちゃ、不自然なんじゃ……)
「なあカルロ」
レオナルドは、こちらに裏側を向けて置かれた長椅子の、その背凭れに腰掛ける。
「お前、ロンバルディ家を恨んでるか?」
(レオナルドって本当に、私以外の人には遠慮がない……!)
微笑みながら放たれた問い掛けに、フランチェスカの方が緊張してしまう。
しかしカルロは、ようやく袖を通し終えた白衣のボタンを留めながら、あっさりと言い切った。
「無い。現状、研究に支障も皆無」
一度着替えの手を止めたカルロが、真っ直ぐにレオナルドを見据える。
「――『アルディーニの弟』が、俺を拾った結果だ」
その呼び方に、フランチェスカは瞬きをした。
(そっか。カルロさんにとっては、レオナルドのお兄さんこそが『アルディーニ』なんだ。レオナルドは何よりも、その弟……)
「ロンバルディ家は本当に、都合の良い人材を放出してくれたものだ」
レオナルドは笑い、フランチェスカにまなざしを向ける。
「エリゼオの父親も、カルロの父親も、あの爺さんにとっては不出来な息子だった。その分、孫であるカルロとエリゼオには、尋常じゃないほどの期待を掛けていたらしい」
「ヴァレリオさんだよね。すごく厳しそうな人なのは、会って分かったよ」
ゲームでも知っていたことではあるが、カルロが居るためにそれは伏せた。レオナルドは頷いて、こう続ける。
「爺さんが後継者に選んだのは、先に生まれたカルロではなくエリゼオだ。とはいえカルロ派の親族もそれなりに居て、諍いの種になるのは明らかだ。――あの爺さんが上映したカルロの追放劇は、実に鮮やかな筋書きだった」
肩を竦めたレオナルドの仕草は、少々芝居めいたものだ。
「カルロが違法な薬物を生成したと、そんな冤罪を掛けたんだ。カルロは正真正銘の天才で、それゆえに危うく、善悪の分別がつかないと知らしめた」
「…………あれ?」
ゲームでは何の疑問も持たなかったエピソードへ、不意に小さな違和感を覚える。
「それって、どうしてなんだろう」
「む?」
カルロが不思議そうに瞬きをするので、フランチェスカは悩みつつ答える。
「失礼なことを言ってごめんなさい。でも、なんだか不安要素が多いというか……知勇を重んじるロンバルディ家において、カルロさんが天才だからっていうのを否定しないと、後継者争いは決着しないと思うんです」
「…………」
「せっかく嘘をつくなら、『カルロさんは優秀じゃない』ってことにして追放するのが、一番だったのに。掟に反するとはいえ、わざわざ高く評価されそうな功績を、捏造された理由……」
「それはな、フランチェスカ」
悪戯を仕掛けたように微笑み、レオナルドが立ち上がる。
「きっと、もうじき来るらしい来客を見れば、よく分かる」
そのとき、ちょうどノックの音が響いた。
カルロが振り返る前に、扉が開く。フランチェスカは、そこに現れた人物の姿を見て、思わず絶句してしまった。
「…………っ!?」
「……お前たちは……」
つい昨日も向けられたばかりの、気難しそうな眼光が注がれる。
(ロンバルディの、お爺さん……!?)
ロンバルディ家の老当主ヴァレリオが、診療所の前に立っていた。
(え…………)
何故か、焼き立てらしきパンが大量に入った、大きな紙袋を抱えたままで。