232 仮定の話
「こ……心強いけど、駄目だよレオナルド! レオナルドやパパが誰よりも守らなきゃいけないのは、ルカさまなんだから」
「ははっ。ルカさまが最優先、か」
レオナルドが目を眇めるその仕草は、何処か悪戯めいている。
「――ちゃんとそう見えるようには、努力するさ」
(パパもレオナルドも、時々平気で危ないこと言う……)
火照った頬を両手でむぎゅりと押さえつつ、フランチェスカは自らに言い聞かせる。
(レオナルドに守ってもらう、そんな前提じゃいられない。これからは、クレスターニを待つだけじゃなくて、こっちからも仕掛けるって決めてるんだから)
フランチェスカは改めて、現在の方針を繰り返す。
「こほん! ……クレスターニが、『洗脳対象に私が近付くと、洗脳が解ける』って誤解してるなら。第四章の主要人物に私が会っていくことで、クレスターニも新しい動きを見せるかも」
「俺としては、クレスターニの仮説が正しいかも気になる所だ」
レオナルドが、薔薇の色をしたフランチェスカの髪をそっと掬う。
「本当に、君と接触した人間の洗脳が解けるとしたら?」
「スキル外の能力なんて、この世界には存在しないと思うけどなあ……そうだとしたら、ゲームで何かの言及があったはず」
もっともフランチェスカのスキルには、内容以外のイレギュラーが存在する。とはいえそれは、洗脳解除には無関係だろう。
「それにこれまでの洗脳者だって、ただ私の傍に居たから解けた訳じゃないよ。覚えてるでしょ?」
「そうだな。……必要な鍵は、真実を突き付けること」
リカルドの父も、グラツィアーノの父も、娼婦のイザベラやダヴィードもそうだった。
「クレスターニ側の人間であるという推論を突き付けたとき、あいつら洗脳者の言動は、決定的におかしくなる」
「うん。最後まで嘘を突き通したり、冷静に別の対応をするような、そういう行動は絶対に取らない……」
それは、ダヴィードが語ったクレスターニの言葉によれば、想定外の動きであるようだ。
「俺が、クレスターニであれば」
(……レオナルド、さっきから、二回もそんな仮定の話をしてる?)
フランチェスカがその気付きを口にする前に、レオナルドが言葉を続けた。
「洗脳者を使った策略において、たとえこの国の要である聖樹を取れるとあっても、聖夜の儀式は狙わない」
「……うん」
「恐らく今回の計画には……」
その時、診療所のドアが開く音がした。
(あ。カルロさんだ!)
「もう、いらしていたのですか?」
フランチェスカは立ち上がり、この診療所の主を出迎えに行く。
「謝罪します。買い物が、長引いた結果……」
「こんにちは、カルロさん!」
「……ふむ?」
紫色の長い髪を後ろで結び、白衣の上に外套を着たカルロが、緩やかな瞬きをした。
「客人。意外、君たちか」
(意外? 誰か他に、来る予定の人が……)
「おかえり、カルロ」
レオナルドは長椅子の背凭れに腕を置き、更にその上に顎を乗せる。
「洗脳スキルの解除方法に関して、調査を進めろ」
そして、人懐っこいのに決して有無を言わさない、強制力を帯びた声音で言った。
「出来るだろ?」
(…………)
その瞬間、空気が僅かに張り詰める。
カルロは外套のボタンを外しながら、淡々とレオナルドに尋ねた。
「優先。それは、国王陛下の命令よりも?」
「ああ。だがくれぐれも、その事実がルカさまには気付かれないように。国王命令よりも優先させたとあれば、側近たちがうるさそうだからな」
(……アルディーニ家当主としての、レオナルドの顔だ)
フランチェスカは、何処か普段と違う雰囲気のレオナルドを見遣る。
(レオナルドはいつもなら、私の前であんまり『アルディーニ当主』らしいところを見せない。アルディーニ家の構成員も、カルロさん以外の幹部クラスとは、まだ会ったことがないし)
恐らくは、裏社会に関わらず生きていきたいと願うフランチェスカへの配慮なのだろう。
(パパとの物語が主軸になるゲームの五章では、レオナルドの右腕的な存在の人だって、しっかり出てきたのにな。『フランチェスカ』の敵としてだけど……)
レオナルドは、今世のフランチェスカが唯一面識のある幹部のカルロに、気軽にこんなことを言い放った。
「ついでに少し、ロンバルディ家の事情についても確認したいんだが」
「レオナルド……」
フランチェスカは慌てて身を屈め、レオナルドにひそひそと話した。
「カルロさんは、ロンバルディ家を追放されたんでしょ? いきなりそんな聞き方したら、嫌なことを思い出させちゃうんじゃ」
けれどもカルロはさほど気にしていない表情で、脱いだ外套を丸めた。そして、積み上げられた本の上にぽすんと置く。
「生家の話。構わない」
「わわわ! カルロさん、本! 本が落ちちゃいます!」
「む」
ばさばさと床に散らばった本を、カルロが見下ろす。フランチェスカが慌てて駆け寄ると、レオナルドも笑いながら立ち上がった。
「お前がロンバルディ家に残ってたら、本を粗末に扱った罪で、大変な目に遭ってたかもな」
「本は偉大。どのような状態でも、知識の宝庫。……ありがとう」
フランチェスカとレオナルドが拾った本を受け取って、カルロが頭を下げる。
そして、朴訥とした言葉を漏らした。
「――俺は、ロンバルディ一族のはみ出しものだ」
「!」